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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

北大路魯山人の活躍

北鎌倉は山崎の魯山人の星岡窯旧跡を訪ねて

今、僕が作陶に行っている北鎌倉の窯は、かの魯山人が使用していた星岡窯なのです。

まさに僥倖なり。

北大路魯山人(きたおおじ・ろさんじん)1883年~1959年の名前を聞いたことがない人はほとんどいないと思いますが、実際にはどんな活躍をした人なのか、あまりピンと来ないのではないでしょうか?

明治生まれの日本の芸術家。

晩年まで、篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家・批評家・文筆家として活躍したのが知られています。

わかりやすい例でいうと、漫画「美味しんぼ」の海原雄山のモデルになった人です。

もともとは書家として頭角を顕わしますが、1921年(大正10年)、会員制食堂「美食倶楽部」を発足。

自ら厨房に立ち料理を振舞う一方、使用する食器も自ら創作していたそうです。

魯山人は、1925年(大正14年)3月20日には東京・永田町の「星岡茶寮(ほしがおかさりょう)」という会員制高級料亭を始めました。

赤坂日枝神社の裏にあたるこちらの跡地に建っているのは、ビートルズも宿泊に利用した現在のザ・キャピタルホテル東急。

現在も2階に星ヶ岡という中華料理店があり、古き名前を偲ぶことができます。

1927年(昭和2年)には宮永東山窯から荒川豊蔵を鎌倉山崎に招き、魯山人窯芸研究所・星岡窯(せいこうよう)を設立。

ここで星岡茶寮で使われる食器の、本格的な作陶活動を開始し、横浜の病院で逝去するまでこの登り窯を使って作陶を行っていたのです。

魯山人が日本の食文化に与えた影響は多大で、まさに日本料理を芸術に押し上げた人物とも言えますよね。

そんな魯山人ですが、いくつも語録を残しています。

「低級な食器に甘んじているものは、それだけの料理しかなしえない。この料理で育てられた人間は、またそれだけの人間しか生まれない」

「すべて本来の持ち味をこわさないことが料理の要訣である」

「日本人が常に刺身を愛し、常食する所以は、自然の味、天然の味を加工の味以上に尊重するからである」

「自然の栄養価値、栄養の集成が味の素である」

「人はただ自然をいかに取り入れるか、天の成せるものを、人の世にいかにして活かすか、ただそれだけだ」

「食器は料理の着物である」

「いいかね、料理は悟ることだよ、拵(こしら)えることではないんだ」

「料理は自然を素材にし、人間の一番原始的な本能を充たしながら、その技術をほとんど芸術にまで高めている」
などなど。


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