僕は鎌倉の由比ヶ浜のヒロ病院で産まれ、祖母のいた鎌倉で、鎌倉高校卒業まで育ちましたので、人一倍、鎌倉愛が強いです。最近は別荘族も多く、先日も有名店北じまで気の置けない友人と楽しく会食をしてきました。
そんな鎌倉ですが、2013年に世界遺産登録推薦を辞退したという悲しい歴史があり、その理由と再登録への課題について、生成AIとディスカッションしてみました。何度かやり取りすると問題点も浮かび上がりますね。
鎌倉市の世界遺産登録に向けた課題と改善策
1. 鎌倉の遺産の分類:文化遺産・自然遺産・複合遺産
世界遺産は大きく「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」の3種類に分類されます。文化遺産とは人類の歴史が生み出した建造物や遺跡などで、自然遺産は地球の生成過程や動植物の進化を示すもの、複合遺産は文化的価値と自然的価値の両方を有するものです。鎌倉市が目指す世界遺産は、このうち文化遺産に該当します。
鎌倉には神社仏閣や史跡といった歴史的資産が集中しており、その価値は人類の歴史・文化に関わるものだからです。実際、鎌倉市の遺産は1992年に「古都鎌倉の寺院・神社ほか」としてユネスコの世界遺産暫定リストに記載されており、分類も文化遺産とされています。鎌倉には海や山に囲まれた豊かな自然環境もありますが、それ自体が顕著な普遍的価値を持つ「自然遺産」として評価されているわけではなく、あくまで歴史・文化を引き立てる背景として位置付けられています。したがって、鎌倉市の世界遺産登録は文化遺産カテゴリーで検討するのが適切と言えます。
2. 2013年の登録推薦取り下げの経緯とその後の対応
鎌倉市では長年世界遺産登録を目指して準備を進めてきました。1992年に暫定リスト入りした後、2004年(平成16年)には「武家の古都・鎌倉」というコンセプトがまとめられ、2007年からは神奈川県・鎌倉市・横浜市・逗子市の4者で推進体制を整えて本格的な準備が始まりました。候補となる史跡の国指定や保存管理計画の策定、遺産を保護するための緩衝地帯の設定など基礎条件の整備が進められ、2012年1月に日本政府からユネスコへ正式に推薦書が提出されました。鎌倉が源頼朝により初めての武家政権の都となった歴史的意義や、武家文化の影響などが推薦書で強調されました。
しかしその後、ユネスコの諮問機関であるICOMOS(イコモス)の現地調査・審査が行われ、2013年4月30日にICOMOSの勧告が「不記載(登録不可)」という厳しい内容で公表されました。ICOMOSは「武家の古都・鎌倉」は日本側が主張する登録基準に適合せず、顕著な普遍的価値(OUV)が十分に証明されていないと評価したのです。
具体的には、現在の鎌倉に残る資産では中世武家政権の歴史的重要性を十分に物証として示せておらず、世界遺産としての価値を立証できないという指摘でした。ICOMOSの評価概要によれば、推薦書自体は鎌倉の歴史的重要性を包括的に説明しているものの、肝心の構成資産がその歴史を裏付ける連続した有形の証拠となっていないとされています。
例えば、社寺や切通(山稜を削って作った中世の街道跡)以外の物的証拠が不足し、武家政権の権力の証拠や都市としての生活の様子を示す遺構がほとんど残されていない点が問題視されました。また、登録基準(iii)(歴史上の文化的伝統の唯一または稀有な証拠)について、鎌倉の武家政治と文化の伝統が独自であること自体は認めつつも、それを示す考古学的遺跡(武家館跡や港跡、市街地の遺構など)の顕著さが限定的で、世界的価値を裏付けるには不十分と判断されました。
さらに、登録基準(iv)(歴史上の段階を示す建築・景観の優れた例)に関しても、鎌倉の地形を防御に活かした切通などの遺構は評価されたものの、防御面以外の価値を示すものではなく、国際的な比較研究の観点でも突出した価値の証明には至らないとされました。 こうしたICOMOSからの厳しい勧告を受け、日本政府および関係自治体は対応を迫られました。
世界遺産委員会で「不記載」と正式決議されてしまうと、原則として再推薦が認められなくなるため、鎌倉市など4県市は2013年5月27日に自主的に推薦を取り下げる方針を決定し、6月4日に日本政府も推薦取下げを正式決定しました。これは一度仕切り直して、後日あらためて改善した内容で再挑戦する余地を残すための措置でした。 推薦取り下げ後、鎌倉市や神奈川県はただちに課題の分析と今後の戦略検討に動きました。ICOMOS勧告の内容を詳細に分析し、問題点を洗い出す作業が行われています。
主な課題として浮かび上がったのは、(1) 武家政権を物証する考古遺跡の不足、(2) 個々の資産価値の国内外比較研究・位置付けの不足、(3) 国内的な価値に留まらない普遍的価値の訴求不足、という3点でした。
これらを踏まえ、鎌倉側は平泉の再推薦例(2008年に一度延期勧告を受け2011年に登録)なども参考にしながら、構成資産の見直しや比較研究の強化を検討しています。文化庁や国土交通省など国の関係機関とも協力し、コンセプトの練り直しや顕著な普遍的価値を証明するための具体策を模索してきました。
その後の鎌倉市の対応としては、地元での普及啓発や学術調査の継続が挙げられます。例えば、市民向けに世界遺産の価値や意義を伝えるポスター事業やフォーラム開催、発掘調査成果の展示会「発掘された武家の古都・鎌倉」などを実施し、市民理解の促進に努めました。一方で、再推薦に向けた準備も模索されましたが、ICOMOSが求める普遍的価値の構築には時間がかかるとの判断から、2022年には鎌倉の世界遺産登録を「中長期的な目標」と位置づけ、当面は推薦書案作成の活動を休止することが発表されています。
現在、鎌倉市は世界遺産登録をすぐに再申請する段階には至っておらず、長期的な課題として引き続き検討・準備を進めるスタンスです。つまり2013年の挫折を経て、鎌倉の世界遺産挑戦は一旦「第1部・完」となり、いずれ訪れるべき「第2部」を見据えて地道な取組を継続している状況と言えます。
3. 京都・奈良など既存世界遺産との比較(不足している要素の分析)
鎌倉が世界遺産登録を目指すにあたり、既に登録されている京都や奈良の遺産と比較すると、文化的価値・保存状況・国際的評価の面でいくつかの相違が浮かび上がります。
まず文化的価値・顕著な普遍的価値(OUV)の点で、京都や奈良は世界的にも明確に評価される要素を備えていました。京都は長岡京・平安京以来の千年以上に及ぶ都として、日本独自の建築・庭園文化の発展を示す多数の寺社や城郭を有し、世界遺産「古都京都の文化財」は17件の資産から構成されています。京都の遺産は登録基準(ii)「文化の交流を示すもの」、(iv)「建築・景観の発展を示す優れた例」を満たすと認定されており、まさに日本文化が連綿と発展してきた証としての普遍的価値が明確でした。
奈良もまた8世紀の古都であり、東大寺や興福寺、春日大社といった国宝建造物や平城宮跡、さらに春日山原始林まで含む8つの構成資産によって、日本における仏教伝来から繁栄までの歴史を物語る遺産群となっています。奈良の世界遺産「古都奈良の文化財」は登録基準(ii)、(iii)、(iv)、(vi)と複数の基準で顕著な価値を認められており、現存する世界最大級の木造建築物(東大寺大仏殿)や飛鳥・奈良時代の芸術・文明の稀有な証拠が評価されました。
つまり京都・奈良はいずれも、都としての歴史的役割とそれを伝える有形遺産の双方が揃い、国内外で唯一無二の価値が比較的容易に理解できるのです。
一方、鎌倉も日本史上初の武家政権の首都という大きな歴史的意義を持ちますが、その価値を裏付ける物的証拠の示し方で課題が指摘されました。京都や奈良に比べ、鎌倉には当時の都市計画や政権の実態を直接物語る遺構が少ない傾向があります。
例えば、鎌倉幕府の政治の中心であった「幕府(政庁)」そのものの遺構や、武家屋敷が立ち並んだ町並みの痕跡などは十分に残っていません。主要な神社仏閣は現存しますが、多くは鎌倉時代以降に再建・修復されたもので、13世紀当時の原型建築がそのまま多数残るわけではありません(※鎌倉大仏のように当時の姿をとどめるものもありますが)。
ICOMOSの指摘も、鎌倉の資産群では精神的・文化的側面(仏教寺院や武家の信仰を示す社寺)は示されている一方で、防御的側面(切通など)も一部に留まり、都市計画・経済活動・人々の暮らしといった他の観点の証拠が欠けているというものでした。これは京都・奈良との大きな違いであり、鎌倉の場合は「首都機能を持った中世都市」の全体像を示すのに必要な遺産要素が十分揃っていない、と評価されたことになります。
保存状況・景観面でも差異があります。京都や奈良では、都市化の進行はあるものの、主要な文化財の周辺は保護され歴史的景観が維持されている部分が多いです。奈良公園周辺では東大寺や興福寺といった寺社と鹿の遊ぶ緑地が調和し、春日山原始林のように古来の自然環境もそのまま残されるなど、古都の雰囲気を感じられる空間が広がります。
一方、鎌倉の市街地は近代以降に観光地・住宅地として発展した経緯もあり、必ずしも「古都らしい町並み」が全面的に残っているわけではありません。たとえば鎌倉駅前の小町通りは観光客で賑わう商店街ですが、その街並みが江戸時代以前から連続しているわけではなく、実際には昭和以降に形成されたものです。古い建物が点在するものの、多くは明治〜昭和期のもので、鎌倉時代はおろか江戸時代の町並みすら連続的には残っていません。
ICOMOSも鎌倉の問題点として、資産周辺の都市化の影響で景観の完全性(visual integrity)が損なわれている可能性を挙げていました。この点、京都・奈良でも現代的建築物の混在はありますが、少なくとも世界遺産に登録された資産の範囲内では歴史的景観が保たれており、緩衝地帯の設定などで視覚的調和に配慮しています。鎌倉も都市美観条例等で景観保全に努めていますが、首都圏近郊の住宅都市という性格上、高度経済成長期以降に開発が進んだ地域もあり、歴史資産と現代生活空間が密接に隣り合っている特徴があります。
国際的評価の違いについては、登録時期と審査基準の厳格化も一因と指摘されています。京都は1994年、奈良は1998年という比較的早い時期に世界遺産登録を果たしました。一方、鎌倉が正式推薦に至ったのはそれから約15年後の2012年であり、その間に世界遺産リストの登録件数は飛躍的に増大(2013年時点で約1000件)し、審査も厳しくなっていました。鎌倉市関係者からも「京都や奈良に続きもっと早い時期(世界遺産制度創設初期)に鎌倉を推薦できていれば、ICOMOSの評価も違ったのではないか」という声が出ています。実際、ICOMOSが鎌倉に下した評価(4段階中最も厳しい「不記載」)について、過去の登録例と比較して疑問を呈する向きもあります。それでもなお、京都・奈良と鎌倉の間にある「物的証拠の差」や「価値の国際性の差」は無視できず、鎌倉が世界遺産級かどうかの判断に影響を与えたことは確かでしょう。
要するに、京都・奈良には国宝級の建築や遺跡が数多く現存し、その価値が国内外で広く認知されているのに対し、鎌倉は価値のコンセプト自体は明確ながら、それを支える遺産の実物がやや弱いとみなされたのです。このギャップを埋めることが、鎌倉が世界遺産登録を実現するための鍵となります。
4. 世界遺産登録に向けた改善策と提案
鎌倉の大仏(高徳院)は、市内の代表的な文化遺産であり、年間数百万人の観光客が訪れる人気スポットとなっている。 鎌倉市・神奈川県・国の関係機関は、上述した課題を踏まえ、世界遺産登録に向けて戦略的な改善策を講じる必要があります。文化庁やユネスコの基準に即し、観光資源としての活用と遺産の持続可能な保全を両立させることが重要です。以下に具体的な施策の提案をまとめます。
物的証拠の充実と研究の強化: 鎌倉幕府の政庁跡や武家屋敷跡、市街地の遺構など、武家政権の実態を示す考古学的証拠の発掘・保存を進めます。未調査の遺跡について発掘調査を行い、新発見があれば史跡指定して保護します。また、既存の11の寺社と10の遺跡からなる構成資産の選定を見直し、武家政治の証拠を十分示せる資産を追加・強化することも検討されます。
例えば、幕府のあった扇ガ谷・大倉幕府跡や、執権北条氏の館跡などを積極的に公開・解説し、単なる更地であってもその歴史的重要性を示す展示や復元図を整備することで来訪者にも価値が伝わるようにします。
さらに、国内外の類似遺産との比較研究を深め、鎌倉の遺産がいかにユニークで普遍的かを学術的に証明することも不可欠です。例えば、ヨーロッパの中世都市との比較、日本国内の他の武家政権(室町幕府や江戸幕府)との比較などを行い、鎌倉の武家文化が後世や他地域に与えた影響を位置付けます。
顕著な普遍的価値(OUV)の再定義と発信: 鎌倉の価値を国内史的な意義に留めず、世界史的な観点から再評価していきます。例えば「武家政権の成立という政治制度史上の画期」「禅宗の受容と東アジア文化交流」「武家文化(武士道、美意識)が日本文化に及ぼした長期的影響」など、ユネスコの基準に照らして訴求力のあるテーマを練り直します。こうした価値を裏付ける資料や文化財(古文書、工芸品など)も活用し、鎌倉が人類史に貢献した要素を物語性豊かに伝えるストーリー作りを行います。国内外の専門家の意見を取り入れ、推薦書に盛り込む論拠を強化するとともに、英語での情報発信や国際会議でのPRも行い、国際的コンセンサス(合意形成)を高めます。
保存管理と景観保全の徹底: 世界遺産登録の前提として、鎌倉の遺産の完全性(インテグリティ)と真正性(オーセンティシティ)を確保する施策を強化します。具体的には、既に整備された緩衝地帯(バッファゾーン)内での開発規制を厳格に運用し、資産周辺の無秩序な都市化を抑制します。景観に悪影響を及ぼす高層建築物や電線地中化などについては、条例やガイドラインで明確に制限・誘導し、歴史的景観の回復に努めます。
例えば主要社寺の周辺では伝統的景観を損なう要素を排除し、緑地の保全や景観整備(竹林・生垣の再生、隧道の修復など)を進めます。また、保存管理計画を机上のものにせず実効性ある体制にすることも重要です。鎌倉市教育委員会や神奈川県教育委員会の文化財担当部局に専門職員を充実させ、定期的なモニタリングや劣化した文化財の修復を計画的に実施します。地域住民とも協議し、景観保全の取り組みに地域ぐるみで参加してもらう仕組みづくり(景観協定やボランティアガイド活動支援など)も検討します。
観光客管理と持続可能な観光: 鎌倉はすでに年間約2,000万人もの観光客が訪れる日本有数の観光地であり、世界遺産登録が実現すればさらなる来訪者増が見込まれます。観光客の急増は一方で文化遺産への物理的・環境的プレッシャーとなり得るため、持続可能な観光戦略が欠かせません。具体的には、人気スポットへの過度の集中を緩和する施策(例えば寺社ごとの入場者数のモニタリングや、ピーク時の一方通行規制、予約制の導入検討)を行います。
また、観光客に対するマナー啓発や多言語での遺産解説を充実させ、観光を通じた遺産価値の理解促進と保全意識の向上を図ります。市内交通については公共交通や周遊バスの整備で自家用車流入を抑制し、騒音・振動から文化財を守る工夫をします。観光収益の一部を文化財保護に還元する仕組み(クラウドファンディングや寄付金付き入場券など)を設け、観光と保全が相乗効果を生む循環を目指します。
行政間の連携と継続的な取り組み: 鎌倉市・神奈川県・国(文化庁・国交省など)の密接な連携体制を維持・強化します。世界遺産登録は一度きりのイベントではなく、その後も適切な保全管理が求められるため、長期的視野で人的・財政的支援を続ける必要があります。文化庁の専門家会議や有識者の助言を仰ぎつつ、推薦書の改訂作業を段階的に再開し、最適なタイミングで再推薦を行う計画を練ります。現在は中長期目標とされていますが、例えば数年ごとに進捗を評価し、課題が解消できた段階で再挑戦するロードマップを描きます。国もまた世界遺産推薦件数の調整(各年1件までなど)を行っているため、鎌倉の再推薦順位を上げるには国内での評価向上も必要です。ゆえに平泉の例にならい国内推薦候補として再度選定されることを目指し、各種文化財指定や保存事業で実績を積み重ねます。
以上のような施策を総合的に講じることで、鎌倉市は世界遺産登録に向けた課題を一つ一つ克服していくことができます。鎌倉が持つ歴史的・文化的価値を的確に世界に発信し、かつ現在と未来の市民がその遺産を享受し守っていけるよう、「武家の古都・鎌倉」の魅力と保存体制を磨き上げていくことが期待されます。こうした努力の積み重ねが実を結び、いずれ鎌倉が京都・奈良に続いて世界遺産リストに名を連ねる日が来るでしょう。その際には、単なる観光名所としてだけでなく、人類共通の遺産として末永くその価値を享受できるよう、引き続き持続可能な保全と活用のバランスを図っていくことが肝要です。