「真・善・美」の多面的な解説 その2
2. 倫理的・道徳的観点: 社会規範と「善」の意味
倫理と正義の象徴としての女神像: 写真は香港終審法院のドーム上に立つ正義の女神像(ローマ神話のユースティティア)です。天秤は真実の重みを量ること、公正さを、剣は法の力と倫理的判断の厳正さを象徴しています。目隠しは立場にとらわれない客観的な正義(真理への公平な態度)を意味し、「真実」と「善(正義)」が社会規範の柱であることを示唆します。
倫理の領域では、「善」とは道徳的に正しいことや望ましい行為・性質を意味します。人類社会は古来より「何が善いことか」を問うてきました。
例えば古代中国の孔子は「仁」(他者への思いやり)を最高の徳目とし、古代ギリシャのソクラテスは「徳は知である」と述べて知徳合一(真理を知れば善を行える)を説きました。アリストテレスは倫理学の冒頭であらゆる行動は何らかの善を目指すと述べ、人間の究極目的である「最高善」を幸福(eudaimonia)と位置付けました。その幸福は金銭や快楽ではなく、理性に従った中庸の徳ある生き方によって実現されると論じています。対してカントは「無条件に善と呼べるものはただ善意志のみである」と主張しました。才能や成果がいかに優れていても、それ自体で無条件の善ではなく、善い意志(動機)がそれらを真に価値あるものにするという考えです。
このように善は、功利的な結果ではなく意図や人格の在り方に宿るとする視点です。
倫理的「善」はまた社会規範とも深く結びつきます。法律・宗教・文化はそれぞれ共同体が重んじる善悪の基準を定めています。例えば「嘘をつかない」「人を傷つけない」といった規範は、真実の尊重や他者への善意という価値観から生まれています。
真理を曲げない誠実さ(真)は多くの倫理体系で美徳とされ、共同体の信頼を支えるものです。また正義・公平さも社会的善の重要な要素であり、法廷で真実を解明することや、功績に応じて報いることなどは「善い社会」を形作る柱となっています。
倫理学の分野では「善とは何か」について様々な立場が議論されました。①功利主義では「最大多数の最大幸福」が善とみなされ、行為の善悪は結果(幸福の増減)によって評価されます。②一方でカントのような義務論は、結果ではなく行為の内在的な道徳法則への合致こそ善と考え、たとえ不利益を被っても嘘をつかないこと等を絶対的な善い行為とみなします。③また徳倫理ではアリストテレスに倣い、人柄の徳性(勇気・正直・慈悲など)そのものが善であり、それを涵養することが良い生き方とされます。
これらの理論はいずれも異なる角度から「善」を定義していますが、共通して人間や社会にとって望ましい在り方を追求している点で一致します。 現実の社会では倫理的善は時に意見が分かれます。文化や時代により何が善いかの判断は変わり得るため、「善」は絶対不変というより合意と理解を通じて形成される側面もあります。しかし基本的な社会倫理(例えば正直・信頼・思いやり)の価値は世界の多くで共有されており、それは人類が長い歴史の中で「より良い(善い)社会」を模索してきた成果とも言えます。
要するに倫理的観点から見る「真・善・美」とは、真実に基づき正しく判断し(真)、人として正しい行為を行うこと(善)が尊ばれ、それがひいては美徳ある人格や調和した社会(美)につながるという考え方です。