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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

叩きすぎた石橋の向こう側

叩きすぎた石橋の向こう側

我々はいつからだろうか。

橋を叩くことが「美徳」だと教え込まれてきたのは。

慎重であれ。
失敗するな。
恥をかくな。

幼い頃から耳にたこができるほど言われてきた言葉だ。

けれど、叩きすぎた橋はいつしか渡れなくなる。

手のひらで叩き続けた石は欠け、亀裂が入り、やがて崩れ落ちる。

本来、橋は渡るためにあるのに。

叩くことが目的化した瞬間、人は挑戦することを忘れる。

人生には、どうしても叩いている時間すら許されない場面がある。

火事場で逃げるとき、突風で崖が崩れかけたとき、追いかけてくる運命から逃れるとき。

橋があるなら、渡るしかない。

叩いて確かめることよりも、渡った先に見える景色こそが人生を変える。

たとえ橋が壊れたとしても、その向こうに何があるかを知っている者と知らない者とでは、その後の生き方がまるで違う。

叩くのをやめたとき、人は橋を渡れる。

渡ったとき、人はようやく自分の足で立てる。

そして気づくのだ。

壊れるかどうかは問題ではない。

渡りたいかどうか、それが全てだったのだと。

だからなのだ。

子供もまた、小さい頃から「叩き方」ばかりを教え込まれてはいけない。

「落ちると危ないから、叩いてから渡りなさい」
「周りと違うことをすると恥ずかしいから、ちゃんと確かめなさい」

その言葉に愛がないわけではない。

けれど、叩くことだけを教えられた子供は、いつか橋を渡ることを忘れてしまう。

挑戦するより、正解を探すことを選ぶ。
走り出すより、転ばない方法を探す。
夢を見るより、失敗しない道を選ぶ。

そして気づけば、叩き続けるだけの人生になってしまう。

本当は子供こそ、橋を叩かずに駆けて渡れる存在なのに。

怖いものなどなく、転んでも笑って立ち上がれる存在なのに。

叱るよりも、守るよりも、
その小さな背中を押してやること。

「行っておいで」

その一言こそが、未来を渡る力になる。

叩くことを覚えるのは、大人になってからでいい。

子供にはまず、渡りきる勇気を与えたい。

橋を叩く人生ではなく、橋を渡る人生を。

そして渡ったその先にこそ、私たちの本当の物語が始まる。


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