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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

カテゴリー:欧州 オーストリア編

■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月(21) Mozarthaus Vienna ウィーン・モーツァルトハウス

おはようございます。

しばらく海外出張のない2月。今日も僕は朝から東京・四谷にいます。

最近ショックだったことは、先日折れたゴルフのクラブ、「修理不可能」と判断されたこと・・・。

旧シリーズのものなので、シャフトを替えるだけで、現行の新品よりもかなり高くつくらしいのです。ウッドはシャフトを揃えているからなあ。

7番ウッド・・・(涙)。

さて、気を取り直して(笑)、久しぶりにウィーン出張記に戻ります。

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シュテファン寺院を出て、裏手に回ります。

このすぐ先の路地には、1756年生まれのモーツァルトが、1784年から87年まで暮らした家があるのです。

こちらの路地を右に曲がると、見えてきました。

モーツァルトハウス。

こちらの建物ですね。青く細長いポスターのようなもの、見えますか?

モーツァルトの横顔です。

Vの字の上に流れるようなMが。

「Mozarthaus Vienna」と書いてありますね。

階段を上がった先がモーツァルトの住んだ部屋です。

この家でオペラ「フィガロの結婚」が作られたのです。

モーツァルトにとってこの家で暮らした28歳から31歳は、最も幸せだった時期だと言われています。

ちょうど映画「アマデウス」で描写された時代ですね。

200年以上前の話ですので、内装は白く塗り替えられていますが、

一部分、モーツァルトの住んでいた時代と想定される壁紙が保存されていました。

こちらが窓からの景色。

この景色を眺めてモーツァルトが「フィガロの結婚」の筆を進めていたと思うと感無量ですね。

 

 

 


■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月⑳ カフェ「アイーダ」 宝石店「ワグナー」 シュテファン寺院のミサと主祭壇

おはようございます。

今日2月22日(水)もクリニックFの診療日です。

東京は朝から晴れています。日中は10度まで気温が上がるそうですね。

今日も忙しい一日になりそうです。

昨日はリヒテンシュタイン公国で新たに開発されたレーザー機器について、日本国内販売と機器評価を包括した、医療+経営コンサルタント業務の打診をされました。

社員数は40名ぐらいの決してまだ大きくない会社ですが、独自の技術と特許を持っているのだそうで、興味深いお話を伺うことができました。

新たなコンセプトのレーザー治療器が開発されたという話は、世界各国を訪問していると本当に良く耳にします。

しかしながら、機器を実際に見てみるとスペック通りの値が出ていなかったりしますし、安定性が確認された後も、日本人用のパラメーターを特定した後でなければ、実際の機器評価はなかなか出来ません。

また、たとえ本当に新しい技術を持っていたとしても、資金力の問題でわずか数年で会社が買収されてしまったり、なくなってしまったりすることさえあります。

来月の米国皮膚科学会(AAD)参加前に、社長がリヒテンシュタイン公国よりクリニックFを訪れてくれるそうですので、実際の業務の話はそこで詰めてゆくことになりそうです。

本当に良いものであれば、きちんとした形で世に送り出したいですよね。そして自分がそこで何かの役割を果たすことができるなら、とても光栄なことです。

閑話休題

過去50年にわたって開発されてきたレーザー/光機器。

現在のパーソナルコンピューターがそうであるように、昔は大きな部屋一つぐらいの大きさの装置でしたが、ダイオードレーザーなどの技術開発によりずいぶんコンパクトになってきました。機動性も、安定性も上がりました。

さらにLEDなど、ほかの技術を用いた光源も、レーザーに近い出力が出せるようになってきました。

僕は何度もこのブログで述べていますが、医学と工学の融合こそが、21世紀の世界市場に対して日本の技術力を生かすことが出来る数少ない分野だと思っています。

特に僕が専門としているレーザー/光工学技術の、医学、薬学方面への応用は、まだまだ進化の余地があり、21世紀に向けて莫大な市場が残されていると思います。

レーザー光などの電磁波を利用したドラッグデリバリーシステム(DDS•薬剤伝達システム)、長波長低出力のレーザー光を応用した痛み治療機器、内視鏡などの体内で利用できる微細ファイバーデリバリーのレーザーメス開発などなど、レーザー医学とレーザー工学の両領域に長けた専門家がいなかったために、開発が進まなかった分野も沢山あります。

今後の医療を見据えて、医学と工学の知識をつけるべく、僕も日々粛々と研究と勉強を続けてゆきたいと思います。

さて、難しい話はここでおしまい。

新春に訪れたウィーンでの話を今日もご紹介したいと思います。

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オペラを観た翌朝、早起きしてウィーンの街を散策しました。

まずは国立歌劇場を観て、ケルントナー通りを北上。

見つけたのは、ヴェルディの傑作オペラ「アイーダ」にちなんだ名前のカフェ。

こちらはワグナーという時計屋さんです。

イタリア、ドイツの二つの名前が街に並立するのも、神聖ローマ帝国の首都として君臨し、650年にもわたり中央ヨーロッパを支配したハプスブルグ家の栄華を現代に残すウィーン。今もパリやロンドン、ローマとはまた趣の異なる華やかな街が迎えてくれます。

こちらはモーツァルトという名前のお店。

人気店のようです。

このような街並みが続きます。

徒歩数分で、ウィーンのシンボルであるシュテファン寺院に着きました。

シュテファン寺院は1359年に完成。

屋根のモザイクが美しいですね。

こちらの大きな南塔は137m。

ドイツのウルム、さらに数日前に訪れたケルンの大聖堂に次ぐ世界で3番目の高さなのだそうです。

本当は北にも同じ大きさの塔を造るはずだったらしいのですが、予算不足でいまだに完成していないのだそうです。

中に入るとちょうどミサの時間。

内陣には長い身廊があり、さらに奥の主祭壇はかなり立派なものでした。


■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月⑲モーツァルト魔笛の台本作者シカネーダーの建設したオペラハウス

おはようございます。

2月21日(火)。今日も僕は東京・四ッ谷に朝からいます。

実は週末に出かけたゴルフのラウンド前の練習で、大事にしていたクラブのシャフトを折ってしまい(!)、昨日はちょっと落ち込んでいたのですが(苦笑)、今朝修理に出してきました。

また元気な姿で戻ってくるのを待ちたいと思います(笑)。

さて、ブログは引き続きウィーンの滞在記をお届けしたいと思います。

今日はモーツァルトの魔笛の話です。

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クリムトを存分に楽しんだセセッション館を後にし、西に向かって徒歩1分。

大通りから少し路地に入ったところに、モーツァルトの名オペラ「魔笛 The Magic Flute」の台本作者シカネーダーが建設した、ウィーン最古のオペラハウスがあります。

アン・デア・ウィーン劇場。

エマヌエル・シカネーダー(Emanuel Schikaneder)はヨーロッパ各地を巡業していた旅一座のオーナー。劇場支配人。

このオーナーが、モーツァルト最後のオペラ(ジュングシュピール)であり、現在モーツァルト作品の中で最も人気の高い作品となった「魔笛」の作成依頼人となるのです。

一座の巡業で演じることを目的とした作品を、モーツァルトに依頼したというわけなんですね。

ちなみにオペラ「魔笛」には、秘密結社「フリーメイソン」にちなむ言葉が沢山含まれていると言いますが、シカネーダーは、モーツァルトとともにフリーメイソンの会員だったそうです。

魔笛にはパパゲーノ=「鳥刺し男」という道化役が出てくるのですが、この初代パパゲーノをシカネーダー自身が演じています。

魔笛は、この鳥刺し男によって劇のカラーが決まってしまうオペラでもあります。

ご存知のない方のために、動画を探してみたところ、ネイサン・ガン Nathan Gunn が Julie Taymor 演出の魔笛の舞台でパパゲーノを演じた動画を見つけました。

ニューヨークメトロポリタンオペラの映像なので、リンクが切られてしまうかもしれませんが、名演です。

劇場にはパパゲーノの彫刻がありました。

パパゲーノが笛を吹いている彫像がかわいらしいですね。

 


■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月⑱ ベートーヴェンのパスクァラティハウス、カール・ラントシュタイナー

おはようございます。

今日2月20日(月)もクリニックFの診療日。朝から東京・四ッ谷に来ています。

今日は朝から気持ちの良い快晴ですね。

ブログは、年始に訪れたヨーロッパブログの続きです。

オーストリアは書きたいことが多すぎて、なかなか終わりませんね(笑)。

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音楽の都ウィーンを歩く楽しみの一つに、音楽家たちの住んだ家を訪ねることがあります。

街を歩くとやはりドイツ車が多いような印象でしょうか。

こちら偶然見かけたAMG SLSです。

ガルウイングはやっぱりかっこいいですよね。憧れます。

ブルグ劇場から北に向かって徒歩約5分。

歩いた先にはベートーヴェンが住んだパスクァラティハウス(Pasqualatihaus)があります。

この高台の建物の最上階に、ベートーヴェンが暮らしていたのです。

ちょうど明かりがついている部屋ですね。

この入口をくぐり、狭いらせん階段を4階まで登ります。

彼はこの場所に1804年から1815年に住んだのだそうです。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが生まれたのは1770年12月ですから、34歳から45歳までの黄金期をこの場所で過ごしたことになります。

交響曲第4番、第5番「運命」、第7番、第8番、さらにベートーヴェンが唯一完成させたオペラ「フィデリオ」もこの場所で生まれました。

(Here he worked on his 4th, 5th, 7th and 8th symphonies, among others, and above all on his opera “Fidelio”.)

中にはベートーヴェンの使用した備品やライフマスクがありました。

窓から外の景色はこちら。

目の前には名門ウィーン大学があります。

ウィーン大学は1365年創立。

ノーベル賞受賞者を15名出している大学です。

医学の分野でも、現在のABO式の血液型を発見して、1930年にノーベル生理学医学賞を受賞したカール・ラントシュタイナー(Karl Landsteiner)博士などが有名ですよね。

戦中の人体実験などで、動物の血を負傷者に輸血したりなど、非人道的なことが行われてきましたが、ABO式の血液型が発見されたことの医学的な意義は、やはり安全な輸血が可能になったことに尽きます。

一方世に言われる血液型の性格判断などは、医学的には因果関係が未だ見出されていないのですよね。

ウィーン大学のこちらの建物が完成したのは1877年ということですので、残念ながらベートーヴェンの観ていた景色とは違うようですが、今でいうと、いわゆる文教地区のペントハウスに住んでいたのですね。


■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月⑯ 生誕150年のクリムトの作品を探してウィーンの街を歩く

おはようございます。

今日2月16日は木曜日でクリ二ックFは休診日です。

実は今日明日と、工学部大学院博士課程の単位取得のため、特別講義を大学で受講しなければならなくなりました。

そのため明日17日(金)の診療は、夕方からとなります。

そんな理由もありますが、今日の国際学会周遊記は、年始にウィーンで観たクリムトの作品についての長いブログです。

どうぞお付き合いください。

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ウィーンの街で今回楽しみにしていたのは、クリムトの散策でした。

クリムトと言えば、女性の官能的な絵を描く画家ですが、その絵の中に常に「死」が見え隠れするのがは不思議です。

2012年はグスタフ・クリムト生誕150周年で、ウィーンの街は彼の作品の特別展が多く開催されています。

クリムトの作品は、

こちらのベルヴェデーレ宮殿上宮にある「接吻」。

2007年にこの地で開催されたヨーロッパ皮膚科学会(EADV)に参加した時に、初めて本物の巨大な「接吻」の絵を観たときには、衝撃で息が止まりそうになりました。

この絵はレプリカですが、本物は金箔が貼られています。

金箔は日本画の影響を強く受けたものだそうです。

今回も赤い額の中で、変わらぬ姿を観ることが出来ました。

そして、

ウィーンミュージアム・カールプラッツにある「愛」

さらに、

ミュージアム・クウォーターのレオポルト美術館にある「死と生」

などが僕の好きなクリムトの作品。

ウィーンでなければ、これらの作品を観ることができません。

ウィーンの街には、クリムト作の多くの壁画が残されています。

今回のウィーン滞在中は、クリムトの作品を求めて、7つの美術館や施設をはしごしました。

ご紹介しますね。

クリムトの壁画を探しに訪れたのは、こちらウィーン美術史博物館。

お正月の最初のブログで、フェルメールの絵画とバベルの塔についてふれましたよね。

このロビーの大広間の階段の上に、クリムトの描いた壁画があります。

こちらの二つの柱の横にある壁画が、クリムト作です。

「エジプト」「古代ギリシャ」をモチーフにしたもの。

ちょっと距離があって、双眼鏡が欲しかったです。

そして、ウィーンオペラの殿堂の一つ。ブルグ劇場。

ウィーンと言えば、やはり国立オペラ劇場が有名ですが、ブルグ劇場の内装が素晴らしいことはよく知られています。

こちらは第二次大戦で戦火を免れ、貴重な壁画が残りました。

滞在中に、週に一度のクリムトの壁画専門の英独語ツアーがありましたので、行ってきました。

こちらの両翼の建物にある階段の上の天井画。

この一部が若き日のクリムトが描いたものなのです。

正面に見える美しい壁画。

上部にも壁画があります。

そして、ガイドさんに導かれて向かった反対翼。

こちらもこのような天井画があるのです。

こちらも見事な壁画です。

ブルグ劇場の最上階には、これらのクリムトのスケッチが残されている場所があります。

普段はいけない場所ですが、こちらもクリムトツアーで案内していただきました。

鉛筆での実物大のデッサン。

試行錯誤の跡があり、実際に出来上がった壁画とは違う姿勢のデッサンもありました。

こちらの絵の中に描かれた人物。

クリムトの自画像です。

こちらの天井画に描かれていた絵の右端中央の人物と比べてみてください。

そしてもう一つ感激したのが、

こちらセセッション館にあるベートーヴェン「交響曲第9番」をモチーフとした壁画。

(ちなみに「セセッション」とは、Wikipediaでの説明から引用しますと、1897年にクリムトを中心に結成された新しい造詣表現を主張する芸術家のグループを指し、日本語では「ウィーン分離派」と呼ばれます。

セセッションの活動は、Arts&Crafts、アールヌーヴォーなどに影響を受け、モダンデザインへの道を切り拓いたとされています。

クリムトに代表される世紀末の官能的、退廃的な雰囲気を漂わせた作品も多く、セセッション館とは、そんなウィーン分離派の作品を集めた展示施設で、ウィーンの名所のひとつです。)

地下室の上部には、クリムトの連作壁画 「ベートーヴェンフリース」があります。

写真が撮れませんでしたので、この写真のみ、セセッションのWEBからお借りしました。

白い壁の壁面を見上げる様に、約20mの長さでベートーヴェンの第九の曲想に沿ってクリムトの絵が描かれているのです。

作品が作られた当初は反発もあったようですが、僕は素晴らしいと思いましたよ。

頭の中で、ちょうど年末に聴いたばかりの第九の旋律を思い出しながら観てゆくと、実に興味深い。

こちら、第九の第四楽章で合唱に入る部分です。

歓喜に満ちた表情で、合唱が歌われつつある絵に、いつしか第九の歓喜の歌が聴こえてくるようで、一時間ばかりかけてじっくり鑑賞してしまいました。

セセッションを出るときには天気も変わっていました。

 


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