おはようございます。
今日2月20日(月)もクリニックFの診療日。朝から東京・四ッ谷に来ています。
今日は朝から気持ちの良い快晴ですね。
ブログは、年始に訪れたヨーロッパブログの続きです。
オーストリアは書きたいことが多すぎて、なかなか終わりませんね(笑)。
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音楽の都ウィーンを歩く楽しみの一つに、音楽家たちの住んだ家を訪ねることがあります。
街を歩くとやはりドイツ車が多いような印象でしょうか。
こちら偶然見かけたAMG SLSです。
ガルウイングはやっぱりかっこいいですよね。憧れます。
ブルグ劇場から北に向かって徒歩約5分。
歩いた先にはベートーヴェンが住んだパスクァラティハウス(Pasqualatihaus)があります。
この高台の建物の最上階に、ベートーヴェンが暮らしていたのです。
ちょうど明かりがついている部屋ですね。
この入口をくぐり、狭いらせん階段を4階まで登ります。
彼はこの場所に1804年から1815年に住んだのだそうです。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが生まれたのは1770年12月ですから、34歳から45歳までの黄金期をこの場所で過ごしたことになります。
交響曲第4番、第5番「運命」、第7番、第8番、さらにベートーヴェンが唯一完成させたオペラ「フィデリオ」もこの場所で生まれました。
(Here he worked on his 4th, 5th, 7th and 8th symphonies, among others, and above all on his opera “Fidelio”.)
中にはベートーヴェンの使用した備品やライフマスクがありました。
窓から外の景色はこちら。
目の前には名門ウィーン大学があります。
ウィーン大学は1365年創立。
ノーベル賞受賞者を15名出している大学です。
医学の分野でも、現在のABO式の血液型を発見して、1930年にノーベル生理学医学賞を受賞したカール・ラントシュタイナー(Karl Landsteiner)博士などが有名ですよね。
戦中の人体実験などで、動物の血を負傷者に輸血したりなど、非人道的なことが行われてきましたが、ABO式の血液型が発見されたことの医学的な意義は、やはり安全な輸血が可能になったことに尽きます。
一方世に言われる血液型の性格判断などは、医学的には因果関係が未だ見出されていないのですよね。
ウィーン大学のこちらの建物が完成したのは1877年ということですので、残念ながらベートーヴェンの観ていた景色とは違うようですが、今でいうと、いわゆる文教地区のペントハウスに住んでいたのですね。