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フィンランド EADV

フィンランドのサーリセルカで行われたヨーロッパ皮膚泌尿器科学会(EADV)に参加してきました。もともと極圏にあるこの街の人口は300人程度なのに、今回この学会のためにおそらく2000人近い皮膚科医が世界中からこの街に集まったのです。大変な賑わいとなりました。街にある3つの大きなホテルをすべて借り切った規模で行われましたが、そのホテル同士が遠くて、寒い中、防寒服を着込んでの移動にくたくたになってしまいました。

サーリセルカについたのは夜中でした。おそらくマイナス20度近かったのでは?? ホテルの会場の氷でEADVと彫刻がある前で写真を撮りました。ちなみに、この写真をとった後、いきなりデジタルカメラの液晶が割れてしまいました。写真は撮れるのですが、液晶で写真を確認できないのです。困ったなあ・・と感じるとともに、毎日いかに文明の利器に頼っているかを思い知らされました。

学会の行われたホテルの1つである、Hotel Riekonlinnaです。僕が泊まったビレッジから雪深い中、15分ぐらい歩いて到着します。学会が始まる8時前ですが、まだ日が出ていません。寒かったです。

今回のEADVは、ドイツ人の医師による、炭酸ガスレーザーによるフェイシャルのリサーフェシング(肌の入れ替え)の演題が面白かったです。炭酸ガスレーザーによる肌の入れ替えは、欧米人のように色が白い人には非常に有効です。アジア人は色素沈着してしまうので、CO2リサーフェシングは出来ませんでした。アジア人にも使用できる肌の入れ替え機器であるフラクセルは画期的ですね。こちらではまだ使用する医師はあまりいないようです。

もうひとつ興味深かったのは、ボトックスによるフェイスリフト法です。技術を学んできましたので、ご興味のある方はクリニックまでご連絡下さい。アメリカ人は最先端の新医療機器の開発に興味を持ちますが、ヨーロッパ人は、自分の持つ道具を工夫して診療をする人が多く、そういった点では工夫上手です。

同じ皮膚科の学会でもEADVはアメリカのAADとはずいぶん違った雰囲気です。アメリカの学会はレーザー会社などが前面に広告を出していて、もっと商業的な雰囲気なのです。展示場の中です。このような展示がなされます。純粋に医師が症例を検討するという感じで、雰囲気はヨーロッパのほうが好きです。言葉のほうも英語が共通言語なのですが、お互い第二言語なので、表現が易しく、むしろ聞き取りやすいですね。

会場から出てみると温度計がありました。昼なのにマイナス13度です。

一日目はがんばってスーツで過ごしたのですが、ギブアップして二日目からはスキーウェアで参加しました。学会参加証がスキーウェアの上で浮いていますね。(笑)ホテルの前ですが、ノルディックのスキーに興じる観光客などがいて、スキー場では無いのですが、さながらゲレンデです。

樹氷というのでしょうか。写真では見えないのですが、ダイアモンドダストが輝いて、とても綺麗でした。

フィンランドはヨーロッパでは珍しい、アジア系民族の国です。たしか、ハンガリーのマジャール人と並んで、アジア系のフィン人の国家であると高校の時の地理の先生に習いました。

フィンランドといえばシベリウスの”フィンランディア“という交響詩が有名ですね。フィンランドは長い間スウェーデン内の自治領でした。そしてロシア軍の侵略によってロシア領となります。ロシア統治下でもしばらく自治は行われていたのですが、ニコライ1世、2世の時代になるとフィンランドの自治権は奪われました。そのためフィンランド内では愛国運動が起こり、その一環として歴史劇「いにしえからの情景」という劇が講演されるようになります。その中の交響詩として、フィンランディアという曲が作られたのです。

フィンランドはトルコと並んで、実はかなりの日本贔屓の国です。日露戦争で東郷平八郎が日本海海戦でバルチック艦隊を撃破したことがきっかけとなり、ロシア革命に乗じて1917年に独立をはたしています。今回の滞在では確認できませんでしたが、トーゴービールというビールが存在するという話しを聞いたことがあります。交響詩フィンランディアは、やはりカラヤンが上手いですかね。彼は5回録音していて、64年と84年。初期と最後の演奏が良いと思います。

日本でもその美しい旋律からコンサートに取り上げられることが多いです。ちょっと趣味の世界に走っちゃいました。

ヘルシンキの上空です。拡大していただければわかると思いますが、照明が光る夜景がとても綺麗でした。

 


グレン・グールド

ピアノのクラシック曲が好きで、多くのピアニストを聴いてきました。中でも特別お気に入りは、ディヌ・リパッティとグレン・グールドです。リパッティはステレオ録音がまったく残っていないので、その技巧の素晴らしさは想像つかないのですが、グレン・グールドは80年代まで健在だったこともあり、多くのCDや著作を残してくれています。

グールドの母は旧姓をグリーグといい、母方の曽祖父のいとこが高名なノルウェーの作曲家エドヴァルド・グリーグであったといいます。音楽家の血が流れているのですね。彼はかなりの変人で、演奏会に気に入ったピアノを持ち込ませるのは当たり前で、ピアノを弾くときのいすの高さにこだわって、いすの足を切らせてみたり、それで膝が邪魔になると、ピアノ自体を台をつけて持ち上げさせたり、ステージが始まる前に、儀式のように腕から先を温水につけたり、主催者にはいろいろな要求をしました。当時でもかなりの実績を持つピアニストであったにも関わらず、32歳の時に、ステージから一切身を引き、限られた人間としか接触しなくなります。その後は1982年に50歳で他界するその二日前まで演奏活動を行い、スタジオでのレコーディングに徹しました。

音色が美しいピアニストならば、アラウやルプー。音色が真実なるピアニストならリヒテルやペトリが挙げられるとおもいますが、グールドは、技巧が優れている点ではリパッティやホロビッツに匹敵しますが、音色をそぎ落とし、音楽の骨格をむき出しにしたような、なんともいえない音色でピアノを奏でるのです。いわばわざわざ反ピアノ的な演奏をして、ピアノにそぐわないような音色を偏愛するのです。グールドの研究家でもあるフランスの精神分析学者ミシェル・シュネデールは、グールドの音楽に対する姿勢は神を知るための行為であったと表現していたのを思い出します。確かにグールドの演奏は神秘的なところがあります。装飾を一切省いた、はっきりと区切りがある、点描的な演奏とでも言うべきでしょうか。

初めて彼を聴いたのは、バッハの『インヴェンションとシンフォニア』でした。なぜこんなにも難しく(哲学的に?)バッハを弾くのだろうと思いました。なんと言ったらよいのか、普通なら速い速度で弾かれる部分を半分以下のスピードで弾いたり、その逆をわざとやったりするのです。クラシックの場合、新規性を求めて演奏をすると、品位が失われてしまうこともありますが、彼は非常にうまく作曲家の意図を演奏の中で中和させているのです。

ゴールドベルク変奏曲も二回、録音していますが、聞き比べてみると、まったく曲が違って聴こえます。常に感性が変化しているのでしょう。平均律クラヴィーアも何百回も聴いたと思います。そうそう、平均律クラヴィーアで思い出すのはバグダットカフェという映画です。だいぶ前に観たのですが、なんの特徴も変哲もない、ある小太りのおばさんが寂れた街のカフェにやってきて、そのカフェをとても人気のカフェに変えてゆくのです。その映画のストーリーとはまったく関係のない挿入なのですが、ある黒人の男の子が、母親に怒られながら、バッハの平均律クラヴィーアを弾くのです。そう、アヴェマリアの歌詞もついている、ドミソドミソドミの曲です。最初は物凄く下手で、聴くのもつらいのですが、何回かこの子のシーンが挿入されるたびに腕が上達していきます。他にもストーリーと関係のない挿入があって、そのおばさんに好意を持つ絵描きのおじさんが、おばさんをモデルに絵を描き始めます。おばさんは最初は緊張した顔をしているのですが、シーンの挿入ごとに次第に心開いて、最後はヌードを描かせるまでになるのです。ストーリーは、ほとんどないのですが映像と音楽だけが鮮明に印象に残る、とても不思議な映画でした。

グールドはバッハを好んだため(おそらくバッハの対位法的精神が彼の相に合ったのでしょう。)あまりにバッハのイメージが強いのですが、ベートーヴェンやモーツアルトのピアノ協奏曲、ブラームスのピアノ曲も得意でした。コンサートは絶対に開かなかったのですが、ラジオ、テレビ出演の演奏も多かったため、多くの演奏が残っています。CDのジャケットでは彼の端正な顔が見られます。カナダのトロントには彼のお墓があります。僕も8年ぐらい前にトロントに行ったときに彼のお墓を探してみたのですが、残念ながら見つけられませんでした。いつか訪れてみたいと思います。


医療と経営

大学を卒業して初めて外来に出て、診療することでお金をもらうということに、とても違和感を感じたのを覚えています。医者になる前は、「感謝されてお金をもらえるなんてなんていい商売なんだ」と勝手に想像していたのですが、社会的責任や、患者さんにとっての生涯を決めるような大きな局面で、医療という命に関わる知財を提供することで、お金をもらうというシステムが、どうしても割り切れなかったのです。名医として名高かった死んだ祖父が、息子たちを一人も医者にしなかったというのも分かる気がします。

医療と経営は二律背反します。良い医療、特に最先端の医療を提供しようとすれば、経営面で病院はその組織の維持さえ出来ない状態になります。医師は心から良い医療を提供したい。しかし、病院を経営する人間にとっては、そんなことをやられてはたまらないわけです。診療の公共性を増すために、日本は利益の配分が出来ず、出資比率が経営決定権に関与しない医療法人なるものを作りましたが、そもそもこのような仕組みが経済市場の中で、うまく行くはずがありません。極論ですが、病院でお金を稼ごうと思ったら、盲腸の手術を素晴らしい手術で成功させて3日で退院させるより、失敗して術後感染させ、抗生剤を垂れ流して2週間入院させれば良いのです。

落ち着いて医療関係者が診療を行うためには、人間的な余裕が必要だと思います。それは時間的余裕、精神的余裕、そして経済的余裕です。今の日本の医師にこれらの余裕があるのでしょうか?極限状態で働かされている医師の中には不謹慎な発言をする人間も確かにいます。死に日常的に触れる事で、だんだん人間としての感覚を失ってしまうのです、いや、逆に失うようにしなければ自分の精神を維持できない場合だってあるのです。

大学病院にいた時に、ガンの患者さんに余命を説明している外科医師が、ショックを受けている患者さんに「ガンで死ぬのがそんなにいやかなー。僕なんて、もう死んじゃいたいけれど。」という言葉を口に出しているのを聞いて、耳を疑いました。彼の理論では、人間は所詮、致死率100%なのだし、ガンだったら余命があるので、その期間に身辺整理が出来る。脳梗塞や脳出血で突然死んでしまったら、それさえ出来ないでしょう。ということを言いたかったのだと思います。それにしても酷すぎますけどね。

ただ、自分もそうだったのですが、日常死に関わっていると、人間は必ず死ぬし、突然事故に巻き込まれることも多いから、いつでも死を受け入れられるというか、明日死んでもしょうがないか、という達観した気持ちになってきます。だから今日全力で頑張れるわけです。そういえば医者の平均寿命は他の職種より10歳近く、短いんですよね。無理して生活していることもあるでしょうし、精神的に参ってしまう人、手術中に肝炎の患者さんの血を浴びて、肝炎をもらってしまう人、X線造影をやりすぎて、白血病になってしまう人。身の周りにも何人も若くして命を落とした人がいます。医者も因果な商売ですね。

 


コールドリーディング

何も情報のない状態から相手の素性を当てるのをコールドリーディングといいます。これは占い師や詐欺師が行う手段で最近石井裕之氏の著作がテレビに取り上げられるようになって、再び脚光を浴びています。非常に面白いコミュニケーション手段だとおもいます。

悩んでいる人を見たら、まずは、占い師は、ほとんどの人がそうだと思えるセンテンスを用意します。ストックスピールというものです。心理学の実験ではバーナム効果、フォーラー効果と呼ばれるもので、以下のようなセンテンスが使われるそうです。

たとえば、「外向的で愛想がよく、付き合いがいいときもある半面、内向的で用心深く、ひきこもってしまうこともある外見は自信があるように見えるけれども、心の中はくよくよしたり不安になってしまう面がある」
であるとか、
「あなたは自分に対して厳しすぎることがある。あなたはどんなに頑張っても本当の悪人にはなれない人です。あなたのこれまでの人生はもらうよりも与えることの方が多かったですよね」

などなど。果たして、これらの文章が自分に該当しているかを問うと、被験者は高い率でYESと答えるわけです。

これを、我の強いMeタイプと協調性重視のWeタイプの2種類に大別し、それぞれにヒット率の高いストックスピールやそれを誘導する質問群を用意しておくのが世渡りの秘訣だということです。確かに自分のことを言い当てられると驚きますよね。もちろん、本当にスピリチュアルな能力を持った人もたくさんいて、その見分けが必要なのでしょうが。

でもこれらの手法は、コナン・ドイルのシャーロックホームズがまさに達人でしたよね。シャーロッキアン(世界中に存在する、シャーロックホームズのマニア的研究家)もよく指摘するところですが、かれのコールドリーディングの技術は本当に卓越しています。

たとえば、皆さんも良くご存知だと思いますが、ワトソンと初めて会ったシャーロックはワトソンがアフガニスタン帰りだと言うことをいとも簡単に言い当てます。その推理の根拠を確かこんな様に語ったとおもいます。

ここに医者風で、しかも軍人タイプの紳士がある。無論軍医に違いない。顔は真っ黒だが、黒さが生地でないのは、手首の白いので知れる。してみると熱帯地帰りなのだ。艱難をなめ、病気で悩んだことは憔悴した顔が雄弁に物語っている。ついでに左腕に負傷している。使い方がぎこちなくて不自然だ。わが陸軍の軍医が艱難辛苦し、腕に負傷した熱帯地はどこだろう?無論アフガニスタンだ。

この推理力に感心したワトソンは、シャーロックの語り手として片腕になるのです。

でも、この話、ちょっと出来すぎですよね。日本のどこかにも、こんな話があったような気がしますが……。

シャーロック「ワトソン君、今年は桶屋が儲かると思うが、どうしてだかわかるかね?」

ワトソン「いや、まったく分からないよ。シャーロック、またどういった推理なんだね?」

シャーロック「いや、ワトソン君、いとも簡単な推理だよ。今年は風が強いじゃないか。風が吹くと砂ぼこりが出て盲人がふえる。すると盲人は三味線をひくために、三味線に張る猫の皮が必要でではないか。猫が減るとと、鼠がふえて桶をかじる。だから桶屋が繁盛するのさ。」

ワトソン「いつもながらの素晴らしい推理だね。流石だよ。シャーロック。」

チャンチャン。
どんな推理も飛躍をしてはいけません。
お後がよろしいようで。 (笑)


血液型と性格について

血液型と性格について、書かれている俗本によるとおおよそこのようになります。A型はまじめで几帳面で、悪く言えば理屈っぽく融通が利かない。O型は感情優先のおおざっぱ性格。B型はひょうきんものでマイペース、時に自分勝手に映るため批判を浴びることもある。AB型は時にはA的自分とB的自分との葛藤の末の、天才・分裂肌。世界的には、西洋ではO型が多く、東洋ではB型が多いので、A型の多い日本は世界的にみると特殊な存在です。日本人について言われる様々な性格風土は言われてみれば農耕民族的な生真面目なA型と重なるように思えてきます。アメリカ人のあのような喜怒哀楽に富んだ自己表現もO型的特徴といえますよね。

でも、医学的には血液型と性格はまったく関係がないと言われています。脳と血管の間には解剖学的にはBBB(ブラッドブレインバリア)と呼ばれる関門があって、そもそも脳の中には血流がはいらないのです。性格を決めているのは脳でしょうから、西洋医学的には、関連があるはずがありません。ただし、脳の中の自律神経を支配している視床下部および下垂体と呼ばれる部分にはBBBが存在しないため、血液が脳内に入り込む可能性はあります。本能とか、情動に関しては、血液型が関わる可能性はありますよね。でも、こいつはA型に違いないとか、B型に違いないとか、なぜか分かるときが正直あります。ちなみに僕自身はO型ですが、僕が今まで付き合った女性は、選んだわけではなく、全員がA型なのです。友人はB型が多いです。何ででしょうか?

おそらく、血液型はもともと持っている遺伝子のオリジンに関わっているのでしょう。アジア大陸的は遊牧民族であるB型、農耕民族の多いA型、そして狩猟民族のO型。各々によって食生活が違うので、血液型にあった食事をしたほうが良いと言われています。アメリカの自然療法医であるダダモ博士の本によると、A型は、肉、乳製品は極力避け、野菜や穀物を多く摂ると良い。B型は乳製品を中心に青菜、肉、卵、レバーなどを積極的に摂ると良い。O型は、肉中心の食生活だったから米で太るなどと言ったものです。これからの検証が必要ですが、面白い説だと思いました。

ところで、O型の血は蚊に刺されやすいというのを知っていますか?体温が高ければ、刺されやすいというのを聞いたことがありますが、O型が蚊に好まれるというのは化学的に構造式で説明できます。O型の血液には構造上、フルクトース(糖鎖)に近い構造があるのです。この論文を読んだときに、どうして友達と一緒にいても、僕ばかりが蚊に刺されるのか、よく分かりました。


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