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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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モナコ滞在最後の朝日

モナコ最後の日の朝。

全く治らない時差ぼけも手伝って、綺麗な日の出を見ることができました。

太陽が上がってくると、ほんのりと太陽が上がる場所がピンク色に染まります。

日の出前の、何とも言えない美しい色合いです。

そして、地中海に昇る朝日。

気象の環境にもよると思いますが、光の屈折で、丸い太陽がこんな風に見えるのですね。

「神々しい」という言葉がぴったりきました。

この後、急速にあたりが明るくなってゆくのです。

輝くばかりの南仏の陽光の下、この四日間食べた朝食は格別でしたが、そんな機会もしばらくないと思うと残念に思いました。

さて、あと一時間ばかりで、プロモイタリア社が手配してくれた帰りのリムジンが迎えに来ます。

このホテル・フェアモント・モンテカルロともお別れです。


モナコをバスで観光

モナコは小さな国で、歩いて廻ることもできるのですが、もともと岩山なのでかなりの高低差があります。

ホテルからモナコ大聖堂まで歩いた僕は、坂道に疲れてしまい、その後は通常の運航バスの一日パスを買って残りのモナコの名所を巡ることにしました。

パスはこんな感じです。

バスに乗ると、あれだけ大変だった山道もあっという間。

綺麗な景色を堪能する余裕がありました。

さて、2番路線バスに乗ること30分。

モナコで最も高い場所にあり、景色の良いといわれている「熱帯公園」につきました。

観てください、この絶景。

モナコの写真として紹介される場所はこのビューだったのですね。右手奥に先ほどまでいたモナコ・ヴィレが見えます。岩山のようになっている場所です。

こちらは上のビューの右手にあたる、良く見るモナコ写真には出ていないビューです。

F1のコースに面していない、モナコ・ヴィレを挟んだ裏手に、もうひとつヨットハーバーがあるのです。このビューもとても綺麗だったので、ブログに上げておきますね。

ところで、この熱帯公園は、何千種もの熱帯植物(おもにサボテン)を岩山に沿って配置した公園なのですが、南仏の白い岩とのコントラストが見事。

この場所は、モナコを愛したフランスの女性作家であるシドニー・ガブリエル・コレットをして、

「熱帯公園で過ごす朝はなんと短いのだろう」

と言わせしめたのだそうです。

「性の解放」を叫んだコレットは、官能小説家としての印象が強いのですが、実は彼女の作品「ジジ」のブロードウェイ上演舞台の際、ほとんど無名だったオードリー・ヘップバーンを大抜擢してスターダムに乗せるきっかけを作った人物でもあるのです。人を見極める目が確かだったんでしょう。

ところで、この公園の下には実は大きな鍾乳洞があるとのこと。モナコで洞窟に入るとは思いませんでしたが、一時間に一回、約40分の洞窟ツアーがあり、それにも参加してみました。

このような長い階段を地中深くまで下りてゆくと…。

かなり見事な鍾乳洞が。

観光大国モナコ、恐るべしですね。


グレース・ケリーゆかりの大聖堂

モナコの知名度を世界的に上げたのは、F1モナコグランプリとともに、やはりハリウッド女優のグレース・ケリーの名前を上げないわけにはいきません。

ヒッチコックの作品にでてくる、あの気品ある美しい顔立ちは、まさに公妃にふさわしかったですよね。

ここはモナコ・ヴィルと呼ばれる地域にあるモナコ大聖堂。

モナコ最後の滞在日に、ホテルから汗を流して坂を登ってやっとたどり着きました。モンテカルロ地区から徒歩1時間ぐらい。

モナコの旧市街である岩山の上にあります。

グレース・ケリーは1956年にこの場所でレーニエ3世と世紀の結婚式を挙げたのです。

カトリック信徒のモナコ公室。すべての公式行事はここで行われるそうです。

グレース公妃は、モナコの発展に尽くし、世界中の人々を魅了したといえます。

彼女は1982年に自動車事故で突然の死を迎えることになりましたが、彼女の美しく輝いた人生は、誰の記憶にも残っていますよね。

この大聖堂の中にグレース・ケリーのお墓を見つけました。

バラをこよなく愛した妃のお墓の周りにはバラが添えられていました。

本名のGratia Patriciaと書かれていますね。

グレース妃にふさわしい、清楚な白い大理石。お似合いだとおもいましたよ。

この大聖堂から少し歩くと、グレース妃が暮らした宮殿もあります。

この大公宮殿は、4月2日以降でなければ中を見学もできないとのこと。目の前で写真だけ撮りました。

お昼には衛兵交代式があるそうです。

公宮殿の横には公国を守った大砲があります。

この岩山をめぐって、過去多くの戦いが行われたのでしょうね。


ホテル・エルミタージュ オテル・ド・パリ

学会が終わった次の日。

先方が取ってくれたフライトの都合で一日滞在が伸びて、自由な日ができました。

それまでは学会会場とホテルを往復する毎日。

せっかくですので、モナコの街を歩いてみることにしました。

現在モナコのある土地には、元々ジェノヴァ人の要塞があり、1297年にフランソワ・グリマルディという人物がこれを占領したのが公国の始まりだと言われています。

その後、ジェノヴァ共和国やフランス王国などの強国の侵略を幾度となく阻み、700年以上もの間独立を貫きました。

とはいえ、単なる岩山。広さも「東京のお台場」ぐらいのこの土地に、攻め落とすほどの魅力もなかったというのが正直なところなのでしょう。

この地を現在のような観光大国にしたのは、19世紀半ばのシャルル3世なのだそうです。シャルル3世は、地中海に臨む南仏のこの地がカンヌやニースと並ぶ高級リゾートになる可能性に着目したのです。

カジノや高級ホテルが次々と建てられて、モナコはヨーロッパの高級社交の場となりました。

これらの高級ホテルを経営しているのは「モンテカルロSBM」という企業。

この企業は「オテル・ド・パリ」「ホテル・エルミタージュ」などの高級ホテルや、「グラン・カジノ」などの5つのカジノ、さらに滞在型のタラソテラピー(海洋療法)を行う「レ・テルム・マラン・ド・モンテカルロ」などを運営しているのです。

今回まず「レ・テルム・マラン・ド・モンテカルロ」に行ってみたのですが、あいにく予約で満杯。

建築に興味があるので、ホテルを見学したのですが、デザインも素晴らしいですね。

特にこのホテル・エルミタージュの最も奥にある「ジャルダン・ディヴェール(冬の庭)」。

その天井の美しさに息を呑みましたよ。

そしてこちらは「オテル・ド・パリ」アラン・デュカスのお店が一階に入っています。

 

扉を越えて中に入ると…。

別世界が広がっています。

次にモナコに来る機会があったらこんなところに泊まってみたいものですね。


招待講演の打ち上げ

この日の学会終了後、講演の打ち上げを行うことになりました。

場所は会場近くのイタリアンレストラン。

最初はかしこまって飲み始めたのですが、そこは陽気なイタリアン。すぐに和気藹々とした雰囲気に。

お店には美味しいイタリアワインがたくさん。

本当に「水を飲むように」ワインを皆飲む・飲む。おいしいワインが空いてゆくたびに、皆はじけてゆきます(笑)。

楽しい夜になりました。


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