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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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日食の写真

昨日の皆既日食は、見ることできましたか?

僕はクリニックから一眼レフとレンズを持って帰り、部分日食の写真を撮ろうと準備していたのに、あいにく都内は深い曇り空。

日食はあきらめ、予定を変更し、ちょっと用事があって有栖川公園を散歩方々都立図書館に向かう途中、空を見上げると偶然。

数十秒のことでしたが、曇り空の中から、日食の太陽が見えました。

iphoneで撮影したのであまりきれいには撮れませんでしたが、ご報告しますね。


皆既日食と日本神話

ロシアブログの途中ですが、明日は皆既日食の日ですね。

東京では70%程度、太陽が欠けると予測されていますが、上海やトカラ列島などの皆既日食スポットに、旅行に行っている友人が何人もいます。

東京の天気はあまりよくなさそうですが、観たかったなあ。

考えてみれば、飛行機で沖縄まで往復するチケットを買っておけばよかった。

ダイヤモンドリングが見えるんでしょうか?

日食のときに使用するグラスが失明の恐れがあると報道されましたが、太陽光のうち、特に紫外線に近い短い波長を長いこと見続けていると、網膜の茶色いメラニン色素を破壊したり、熱変性を起こしてしまうケースがあるのです。

特に子供は夢中になって見てしまうでしょうから、注意が必要ですね。

閑話休題

日食というと僕が思い出すエピソードは、二つあります。

ひとつはコンコルドで皆既日食を追いかけた話。

太陽光が月によってさえぎられる皆既日食は、コロナやプロミネンスなどの太陽活動を観察するのに最も適しているといわれています。1973年6月にアフリカで見られた皆既日食では、専門研究チームがコンコルドで皆既日食を数時間にわたって追いかけたのだそうです。うらやましい。

もうひとつは、卑弥呼の死が日本の皆既日食と関連があるという話。

日本は古来より八百万(ヤオヨロズ)の神の信仰がありましたが、日本神話の中では、日の象徴である天照大神(アマテラスオオミカミ)が最も偉大な神。

そもそも日本の皇室は、大国主(オオクニヌシ)から、ヤマトの国を引き継いだ天照大神の子孫にあたるという説があるのです。事実、大国主は冥界の神になり、出雲大社でまつられていますよね。

おそらく古代日本でおこった政権の交代が神話という形になったのでしょう。

邪馬台国の生き神であった卑弥呼は、実は暗殺されてしまったと言い伝えがありますが、計算上、邪馬台国の時期に日食が二度あったのだそうです。

それが起源247年と248年。ちょうど卑弥呼が死んだとされる年代と一致するのです。

つまり、皆既日食が起こったたため、その時期に日の神であった卑弥呼が逆に民衆の支持を失い、殺されてしまった…。

実際にこの時に皆既日食がみられた地方は九州地方だけだったという読みもあり、これが邪馬台国九州説を後押する一つの要因になっています。

古代の日本に実際に何があったのかわかりませんが、悠久の歴史には、ロマンがありますね。

「海の神スサノオの乱暴に困り果てた日の神アマテラスが天の岩屋の中に閉じこもってしまい、高天原(タカマガハラ)が暗闇になってしまった。」という「アマテラスの岩戸かくれ」という神話がありますが、これもきっと日食の事実を語っているのでしょう。

天文の知識のない古代の人には、日食は生涯で一度見れるか見れないかという大きな偶然のイベント。

さぞかし大きな出来事だったのでしょうね。


ロシアのフラーレン学会

さて、この学会ですが、サンクトペテルブルグ大学の特別研究棟なるところで行われました。

地下鉄を降りてから大学の門の中にはいります。

その後、しばらく森の中を歩くのです。

さて、研究棟が見えてきましたよ。

最初なので入口で写真を撮りました。

一般の講堂の中での学会という感じでした。


エルミタージュ美術館

ロシアについた次の日の朝、初めての土地に気持ちも高揚しています。

まずはどうしても行きたかったエルミタージュ美術館へ。

開館時間10時半に間に合うよう、向かいました。

エルミタージュ美術館は、世界屈指の西洋美術のコレクションをもつと同時に、サンクトペテルブルグ唯一の宮殿でもあります。

皇帝が冬にすごす「冬宮」としてピョートル大帝(1721年)の時代に建築が開始され、エカテリーナ二世の時代(1762年)にほぼ現状の建築になったということです。

ちなみにエルミタージュの意味は「隠れ家」。

エカテリーナ2世は1764年に225点の西洋美術品をベルリンの商人から購入しており、これが美術館としての始まりだったそうですが、文字通り美術品に囲まれた「隠れ家」として自分の時間を楽しんだといわれています。

この大きな門をくぐって中に入ると本当に大行列。

時間当たりの入場を制限しているらしいのです。

僕の場合、一緒に行った研究者仲間が機転を利かせて、インターネットでチケットを購入しておいてくれたので、列には並ばずにすみましたが、それにしてもすごい人でしたよ。

帝政ロシアを代表した宮殿だけあって、内装を見ているだけでも楽しめます。

こちらはロシアの優秀な軍人の絵が飾られた間。

レオナルド・ダ・ビンチの「リッタの聖母」がありました。同じくダ・ビンチの「ベヌアの聖母」も同じ部屋にありました。

エルミタージュの中から宮殿広場を見ると、こんなビューが。壮大でした。

まだお昼前なのに、長蛇の列が宮殿をはみ出してこんなに。朝一番に出てきてよかったです。

そのほかにもピカソの「楽器」

ルノワールの「扇子を持つ女」

ゴーギャンの「果実を持つ女」などがありました。

この絵はイースター島に行く時に経由したタヒチのゴーギャン美術館で写真でしか見れなかったのですよね。

僕的にいたく感動したのは、日本美術のコーナーに歌川広重の「亀戸梅屋舗(かめいどうめやしき)」を見つけたこと。

ご存知の方も多いと思いますが、日本の浮世絵はゴッホに大きな影響を与えたといわれています。

ゴッホは広重の梅の絵を模写した絵を描いているのです。

僕が高校生の時、上野美術館でゴッホ展を初めて見た時に本当に感動したのですが、その中でも目に焼きついた絵の一枚が、花咲く梅の木だったのです。

ゴッホはこの構図の絵の左右に、日本の漢字を絵筆で沢山描いているのですが、そのひたむきな芸術家魂に妙に感激したのを覚えていますよ。

確かその時に、おこずかいをはたいてゴッホの画集を買ったのですが、思い返せばそれが僕が初めて買った画集だったのです。

いまもまだ実家に残っているはずですよ。


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