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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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トスカーナの風景

ミケランジェロ広場からドゥオーモを見下ろした構図。

フィレンツェに来たんだな・・・と、感慨深い風景です。

ここに来るためには川の対岸にある山を登らなければならないので、歩くと一時間コースなのですが、実は市内バスで15分で行けるんですよ。

この広場には、ダビデ像のレプリカがあります。

フィレンツェ公国の人々は、ここから、ドゥオーモの丸屋根を見ると故郷に帰ってきたと安心したとか。

この場所に来て、それは良く理解できる気がしましたよ。

でも、 風があって寒いのです。

写真を撮ってもらったのですが、髪の毛が(顔も)茂木健一郎さんみたいになってますね(苦笑)。

 


今日の僕 20091124

連休明けの今日。朝から僕の大好物をお土産に持ってレーザー会社の方が訪ねてきてくれました。

葉山 日影茶屋の「日影大福」。

この大福は、賞味期限が「本日限り」。そのため買い置きができないのです。

うちのスタッフも皆大好きなため、今日は朝からお店に行って買ってきてくださったのだとか。

皆大喜びです。ありがとうございます!

僕は朝からもう2個も頂いてしまいました。日本茶でも美味しいし、コーヒーにも合うのです。

3個目についつい手が出そうですが・・・自粛しています・・・(笑)。

 


医師による痩身のトレンド

先週帰国したフィレンツェでの学会講演記がまだまだ続いていますが、東京での僕の近況を。

連休の中日は、秋葉原のUDXビルで開催された、第7回日本臨床抗老化医学会 東京アンチエイジング・フォーラムに出席してきました。企業プレゼンテーションの枠での招待講演です。

秋葉原の大きな駐車場跡に忽然と現れたUDXビルに、当初は驚きましたが、久しぶりに行ってみるともう秋葉原の風景のひとつになってしまいましたね。

今回僕が講演を依頼されたのは、進化型EMSアルゴリズムを組み込んだメタボリックシンドローム解消機器

「AC BODY」

について。

ここ数年、米国レーザー医学会(ASLMS )の機器開発のトレンドは、痩身に向いています。

脂肪吸引の手術を除いた、実際の機器としては

1 レーザーまたは光を使用するもの
2 RFを利用するもの
3 超音波を利用するもの
4 冷凍凝固を利用するもの
5 薬(メソセラピーや投与薬)を利用するもの

の大きく5つの分野に分かれ、

さらにマーケットとしても

○体重を減らす
○内蔵脂肪を減らす
○皮下脂肪を減らす
○部分的な脂肪やセルライトを溶かす
○ボディを彫刻するように削る

などと、市場の細分化がなされてきました。

医療分野として見ても、医学的根拠やエヴィデンスがしっかりとあり、本格的なアプローチが可能になる“役者”がいよいよ揃ってきたな、というかんじです。

これが何を意味するか。

およそ10年前まで、この日本ではエステティックサロンの独壇場だった「痩身」という分野に、「メタボリックシンドローム」という“追い風”に乗りここ数年じわじわと医療が進出していましたが、これで医療がいよいよ本格的にこの分野に乗り出し、顔の美肌が主な目的だった「メディカルスパ」に痩身というもうひとつの“柱”が出来ることになるのです。

このブログでも何度かお話していますが、美容医療の分野で開業する医師にとって、ライバルは同業者ではないのが、この日本という国の特徴です。同業者を気にしているだけでは、戦略を誤ってしまう。

かつてエステティックサロンがターゲットとしていたマーケットをよくよく勉強している医師が、この世界で生き残っていくことが出来る。

そういう意味で、痩身のトレンドは無視することの出来ない情報ではないかと思いますね。

今回僕が発表した「AC BODY」は、今までも僕のブログ新国際学会周遊記の

痩身 ダイエットカテゴリーで

何度も触れてきましたように

腹部の体幹部の筋肉を鍛える事によって、基礎代謝をあげて、内蔵脂肪を中心に優位に減少させるというもの。

筋肉を鍛えるという、ある意味、最も古典的とも言えますが、最も確実な効果を期待できる機器でもあると言えるのです。

通常使用されるEMSの装置は、痩身に対しては「過去の遺物」という印象もありますが、この機器が痩身に効果がなかったのは、低周波を利用する電流の場合、体表面の、つまり浅い部位の筋肉にしか電流が届かないという致命的な弱点があったからなのです。

この特許を申請した新アルゴリズムは、この致命的な弱点を克服し、深い部位に電流を入れ、体表から深い部位にある、体幹部の大きな筋肉を鍛える事ができるのです。

体の中で基礎代謝量ををあげているのは筋肉です。

筋肉量が多い人は、基礎代謝も当然上がり、太りにくい体になるのです。

僕自身が実際に18回の施術を体験して、身を持って効果を再確認したので、この機器に本当に効果があるのかどうか、医学的検討を加えてほしいという依頼のもと、

ここ一年ぐらい、ボランティアの方のCTを撮ったり、数度に渡りホルモン値を含む血液検査を行って結果を判定してきました。

優位な変化が出たと判断しましたので、今年10月に浜松で行われた第30回日本肥満学会において、その成果を発表しました。

昨日の発表はその結果も付け加えたものにしました。

メタボリックシンドロームは、健康と病気の境界にある予備疾患です。

西洋医学の医師は、「病気に対するアプローチ」は手術や薬など、沢山持っていますが、

健康を維持するのに何が大切か? 若々しさや活力を保つために何ができるか? という「健康に対するアプローチ」をあまり持っていないのです。

この機器は、体幹部の筋肉を鍛え、内蔵脂肪を減少させることで、体をより若い状態に戻すという意味で、この予備疾患に対し対応できるという、基本的な使用法以外に

脂肪吸引の術後などに、体形維持のために併用する

さらには、体幹部の筋肉を他動的に鍛える事で、高齢者の病後離床を早める

脳梗塞などで廃用性萎縮がおこった筋肉を個別に鍛える

など、さらに多くの利用法があると思います。

僕の15分間の講演を聴いていただいた方の中で、どのくらいの方に真意が伝わったかまだ分かりませんが、体験して頂くと、ほとんどの方がかつてのEMSとの違いに驚きますよ。

 


フィレンツェの美術館

フィレンツェは他にもたくさんの美術館があります。

アカデミア美術館には、何といってもミケランジェロの傑作であるダヴィデ像があります。

彫刻の裏まで回れましたので、いろいろな角度からのダヴィデ像を見ることが出来て楽しかったですよ。

近くのサンマルコ美術館にも行ってきました。

サンマルコ美術館は元々修道院だったため、礼拝堂もあります。

コンパクトでしたが、個人的にはとても気に入りました。

こちらにはこのサンマルコ修道院の修道僧であったフラ・アンジェリコのフレスコ画である、「受胎告知」があります。

マリアの懐妊を告げる大天使ガブリエルと、その告知を驚きながらも真摯に受け止める聖母マリア。

たくさんの金箔が圧巻の見事な絵でした。

前日に観たウフィツィ美術館にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」と並んで、受胎告知を題目としたものとしては世界的に評価の高い絵ですよね。

フィレンツェに数多く残された美術品は、ルネッサンスを後押ししたメディチ家の功績につきます。

メディチ家はその名前の通り、医者か薬問屋の祖先をもっているのではないかといわれています。

メディチ家の紋章の中にある赤い丸も、丸薬(もしくはメディチ家が財を築いた銀行業を表わす貨幣という説もあり)を表わすものではないかといわれていますよね。

メディチ一族に多いコジモという名前も、医師と薬剤師の守護聖人であり、4世紀に実在した双子の医師である、聖コスマス(Cosmas)と聖ダミアヌス(Damianus)の聖人コスマスから由来しているのだそうです。

コスマスとダミアヌスは奇跡的な治療をいくつも行ったとされていて、二人は医学の聖人に格上げされました。

二人の聖人の絵はたくさんの画家によって残されています。

ここサンマルコ美術館には、二人を題材にした、フラ・アンジェリコの「助祭ユスティニアヌスの治療」という絵がありました。

これは聖コスマスと聖ダミアヌスが、壊疽になった助祭ユスティニアヌスの足を切り落とし、事故で死んだ他人の足を移植して治療しているところの絵なのだそうです。

もちろん中世の医学では、脚を移植するなど夢物語でしたが、このように機能廃絶してしまった身体の一部を、健常なものと入れ替えようとする考えは、昔からあったのだと思います。

この時代の絵画は、まさに民衆とキリスト教の教義を繋ぐメタファーとしての役割を果たしていたのでしょう。

もともと巡礼した旅人を泊める巡礼教会を表すホスピスの語源となった修道院が、言語としてもホテル(宿泊施設)やホスピタル(病院)に変化していった事をみれば分かるように、修道院が実際に、現在の病院や医学研究所の様な役目をしていた時期もあります。

そういえば、遺伝の法則を発見したメンデルも、カトリック修道院の司祭でしたよね。

修道僧としてこのサンマルコ修道院に暮らしていたフラ・アンジェリコにとって、この医療に携わる聖人の物語は最適な画材だったのでしょう。

思えば現代医学の一端を担う、臓器移植や、輸血に至っても、医学の歴史の中ではきっと数々の危険極まりない実験に近いことが行われてきたのでしょうね。医学は多くの犠牲の上に成り立っているのです。

ちなみに臓器などの移植手術が可能になったのはずいぶん遅く、20世紀になってからのことです。

血管吻合および血管移植の技術が発達し、さらに移植後に起こる拒絶反応を抑える免疫抑制の技術ができてからのことなのです。

血管縫合、血管および臓器移植の功績に対しては1912年にフランスのアレックス・カレルがノーベル医学生理学賞を受賞しています。

医学の歴史の厚さをひしと感じる瞬間ですね。


ピサの斜塔へ

唐突に決めてしまったピサ訪問ですが、ピサはジェノヴァやヴェネツィアと覇を競っていた大海運都市国家でした。

のちにフィレンツェがピサを併合した時には、

「ついに海への港を手に入れた!」

と、フィレンツェ中が沸いたそうです。

さて、フィレンツェからピサまでは電車で1時間程度。

1時間に一本電車が走っています。チケットは、ローカル線なので6ユーロぐらいでした。

電車の駅からはバスに乗って、斜塔に向かいます。

バスを降りると、綺麗な芝の中、白い建物が四つ並んでいます。

手前から白い大理石でできた礼拝堂、カンポサント、ドゥオーモ、ずっと奥には斜塔が見えます。

歩くと、斜塔が近づいてきました。

建築好きな僕としては、ちょっとドキドキしますね。

本当にこの斜塔は、すごい傾いているんです。

どうやって立っているのか、もう、笑いが出てくるぐらい。

ガリレオがここで落下の実験をし、「落下の法則」を発見したといわれています。

一時期、この斜塔の補強工事がなされて立ち入りができなかったのですが、2001年12月から再度公開されました。

ちょっと周りを見渡してみると、こんな恰好をして写真を撮っている人たちがたくさんいます。

そう、斜塔を支えている写真を撮っているんです(笑)。

僕は予約券を買って、斜塔に登ることにしました。

30分間に25人しか入れませんが、僕一人だったので、あっさりすぐ次のツアーに入れることになりました。

あまり沢山の人が入ると、本当に傾きそうですよね。

塔を登ると、明らかに塔が傾いているのがわかるぐらい、ちょっと地面が傾いていて、気持ち悪いです(笑)。

1173年から使用されていたので、中の階段もすり減っています。

塔のてっぺんはこんな感じでした。

見晴らしがとてもよいのですが、傾いている側に立つのはちょっと怖かったですね。

塔の高さは55メートルなのだそうですが、

塔の北側と南側では、なんと70センチもの差があるのだそうです。

ピサには背の高い建物は他にないので、 トスカーナの雄大な景色を楽しめましたよ。

写真を一枚撮りました。

塔の先端。よく見ると、てっぺんの構築物だけ傾きが違うのです。

建設途中から少しずつ傾いてきて、最後に修正したんでしょうか。

目の前のドゥオーモ

ファサードの彫刻も素晴らしかったです。

このドゥオーモの中にはガリレオが「振り子の等時性」を発見したと言われているランプがありました。

こんな長い鎖に繋がれたランプでした。

実際には、このランプのできる前にガリレオは法則を見つけたようなのです。

でも、こんなランプがあると後世の人には、「ガリレオの振り子の法則」の説明がしやすかったのでしょうね。

いずれにせよ、ガリレオはピサの大学時代に医学の勉強を諦め、数学や幾何学、天文学を学んだわけですが、こうして現在まで彼の功績と彼の名が残っている事を考えると、本当に良い選択をしたのでしょうね。

「好きこそものの上手なれ」とは言いますが、

(好きなものは上手なものだ)

例えばモーツァルトも、作曲に対して努力はしたと思いますが、恐らく「苦労した」記憶は無かったのではないでしょうか。

彼の人生は、音楽そのものでしたから。

そして、ガリレオも天文に思いを馳せた時は、悩みなど無かったはず。好奇心に後押しされ、生活の中で、いつも天文の事を考えられるほど、この分野が好きな事だったのだと思います。

天賦の才能を持つのは必要ですが、その後に絶え間ない努力をして初めて、後世に残せる様な業績を成し遂げられるのでしょうね。

ガリレオ・ガリレイの生まれ育ったピサを訪れて、僕が得た教訓でした。

僕もやっぱりマニアというか、オタクというか、ハイテクのレーザー治療器が本当に好きなので、知識を求めたり得ることについて「苦労」はありませんし、こうして海外にほぼ毎月出かけてまで、最新の知識や手技を追求してしまうんだろうなぁと思います。

好きな事に関すると、好奇心と知識欲が、他の欲求に勝ってしまうんですよね。

医学の中でも、特に光医学。

このレーザー・光治療器の分野のように、常に進化している医療に関しては、リアルタイムの知識をのせた書物はありません。

研究の成果が専門誌に論文として載るのも最低でも半年から一年後。

医学の教科書に載るのは論文が出てから5年から10年後の話です。

顔見知りになっていて、ある程度本音を語り合える海外のドクターや研究者と、実際にディスカッションして最新情報を情報交換しておかないと知り得無いですから貴重なものなんですよね。

話が逸れてしまいましたね。

バスと電車を乗り継いで、ピサからフィレンツェに帰った時は、もう日が暮れていました。

 


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