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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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iPad入手しました

昨日は、明治神宮にお参りに行ってきました。

僕は、明治神宮の雰囲気がとても好きで、定期的にお参りに行っているのです。

明治神宮、一角にある「清正井」がパワースポットであると伝えられてから、とても混雑していますね。清正井は、昔はまったく人がいない、いつも空いていて落ち着いた雰囲気のスポットだったんですけれどね。

そんな帰り道。

明治神宮といえば、ソフトバンク表参道店が目と鼻の先にあるので、ついふらふらと。引き寄せられるように入店。

「今日、予約なしで買えるiPadありますか?」

・・・と聞いてみると

「64GB+3Gモデルだけでしたら、本日入荷した分がありますよ。」

との返事。

このモデル、6モデルあるうち、たまたま僕が欲しいと思っていたiPadだったのです!

もう即決で購入してしまいました(笑)。

iPad、想像はしていましたが、実際はそれ以上にかなりはまります(笑)。

ビデオやWEB、そして電子ブック、これがどんどんメモリに入ってしまうのです。

新国際学会周遊記もこの通り、よく見えます。

しかも、これは予想通り近い将来患者さんへの問診にも役に立ちそうなのです。

実は、クリニックFでは、初診の患者さんへのレーザー治療の説明を、30分ぐらいコンピューターを使って行っています。

レーザー治療はハイテクで、しかも高度な治療理論をベースにしています。

しかし、通常の生活をしている人にとっては

「レーザー治療で、何ができるのか?」

・・・なんて、基礎知識もなければ、普段レーザーと接する機会もないですよね。

レーザー/光治療は、きちんとしたパラメータを設定して、適切な間隔で症状に合った治療を行えば、必ず結果が出ますし、そういった使用法に対する議論が国際医学会では行われているので、これらの最新の発表なども紹介しながら、どういった治療成績を出せるのか説明しているのです。

これからレーザー治療を始めたい患者さんに、レーザー治療がどうして効くのか、きっちり理論まで説明したいと思って始めたことなのですが、iPadがあれば、この説明がもっと簡易に、わかりやすく、しかもすべて手元で、できるかもしれません。

今まではパソコンのある診察室でしかお見せすることの出来なかった画像や図表も、これなら施術室まで持っていくこともできますし、患者さんが見たいデータを拡大、フォーカスどこでも自由自在。

極端に言えば、治療の最中でもこのデバイスを使いながら、患者さんと状況を確認することができるのです。

カルテの使い方やインフォームドコンセントのあり方、治療の進め方・・・などをがらっと変えることもできますし、もっと言えばクリニックを新しく作るとき、内装の作り方もこのデバイスがあれば、革新的に変えることができます。

ホームページの作り方も、これを前提に作るなら発想を今までとは全く違う手法を考えられますよね。

そんなことを考え出すと、いくらでもアイディアが沸いてきてちょっと興奮してしまいます。

iPhoneの時も驚きましたが、アップル社は、また全く新しいインフラを作り上げてしまったのですね。

おかげで今日はちょっと・・・いやかなり寝不足です(笑)。


A380とシンガポールの6つ星ホテル

クロアチア・イギリスから帰国して翌週。

「フラクセル3DUAL」と「サーマクールCPT」を取り扱う米国ソルタメディカル社から御依頼を頂き、シンガポールに行ってきました。

「成田からシンガポールに飛ぶ際、ご希望される航空会社はありますか?」

・・・と聞かれたとき、深く考えず今回は「ANA」と答えました。

成田のラウンジで待っていると、僕が乗るANAの機体の遠く後方にシンガポール航空の大きな飛行機が見えます。

よく見ると、総二階建てで世界最大の航空機、エアバス社のフラッグシップであるA380じゃないですか。

そういえば成田−シンガポールは、シンガポール航空のA380が就航していたのを思い出しました。

航空機好きの僕が、なんで気付かなかったんでしょう。シンガポール航空を指定すれば乗れたのに…。

悔やまれます・・・。

シンガポールには今までもルートロニック社、そしてキュテラ社の講演に呼ばれたことがあり、これで3回目の招待講演になります。

シンガポールの理路整然とした清潔な街並みや、雰囲気。好きなんですよね。

飛行機からもマラッカ海峡のシーレーンを走る大型タンカーがたくさん見えました。

シンガポールは、ほぼ赤道直下にあります。機内から外をみていると、熱帯気候っぽい雲に変わってくるのがわかります。

チャンギ空港にはお迎えのリムジンが。ありがたいですね。

初日はそのままホテルにチェックインして、翌日以降のスケジュールの簡単な打ち合わせと会食になりました。

ホテルはオーチャードロードの端にあるセントレジス・ホテル・シンガポールを手配してくださっていました。

これが翌朝、窓からの借景です。

このホテルはシンガポールに二つだけある6つ星ホテルといわれており、ちなみにもう一つはリッツカールトン・シンガポールなのだそうですよ。

滞在中ホテルに高級車が停まっていました。メタリック・オレンジのランボルギーニー・ディアブロなんてはじめて見たので、

「おお!」

と、思わず歓声を上げてしまいました(笑)。

こちらは、ランボルギー二・ムルシェラゴです。

ベントレーやロールスロイスもアストンマーチンも停まっていたのですが、ついついイタリア製のスポーツカーに目が行ってしまいます。


日枝神社 山王祭

今日はクリニックの外で、江戸三大祭りの一つである、日枝神社の山王祭をやっています。

クリニックFの院長室からお神輿が見えましたよ。


劇団四季「サウンド・オブ・ミュージック」

先月ロンドンに行ったとき、観たかったのに残念ながら当日券が手に入らなかったミュージカルがひとつありました。

それは名作「サウンド・オブ・ミュージック」。

でも、考えてみれば今は東京でも観られるんですよね。

昨日は休診日。この4月から浜松町で開演している劇団四季の「サウンド・オブ・ミュージック」を観に行ってきました。

「サウンド・オブ・ミュージック」は、リチャード・ロジャース&オスカー・ハマースタイン2世のペアで1959年にブロードウェイで初演され、1965年にジュリー・アンドリュース主演の映画が公開されたことによって、世界的大ヒットとなりました。

名曲が何曲もここで生まれ、今でも世界中で口ずさまれていますよね。

「ミュージカルの古典」とも言える作品ですが、2006年に新たな装いで登場します。あのアンドリュー・ロイド=ウェバーがこの名作をプロデュースし、再生させたのです。

アンドリュー・ロイド=ウェバーは、1961年ロンドン初演の際にこの作品を観ているのだそうです。その際あまりに感動し、ロジャースとハマースタイン2世二人に直接手紙を送ったのだとか。それが縁となって、舞台稽古に招かれたこともあるのだと、浅利慶太さんが書いていました。

1961年の初演・・・ということは、1948年生まれのロイド=ウェバーは13歳ということになります。

アンドリュー少年がこの作品と出逢ってなかったら、後の名作「ジーザス・クライスト=スーパースター」も「キャッツ」も「オペラ座の怪人」も生まれなかったかもしれません。

そう考えると、どの世界でもそうなのでしょうが、人生なにがきっかけとなって変わるのか、わかりませんね。

さて、そんなロイド・ウェバー版の「サウンド・オブ・ミュージック」、相当楽しみに出かけてきたのですが・・・

うーん。

「サウンド・オブ・ミュージック」を今まで観たことのない人はとても楽しめると思うんですが、僕はきっと映画版の印象が強すぎるんでしょうね。

僕が初めて「サウンド・オブ・ミュージック」の映画を観たのは小学校一年生のとき。

今でも覚えているぐらい、強烈な印象があります。

修道女であったマリアが、母親を失った7人の子供たちと、トラップ大佐の家庭に、歌と明るさを取り戻すというストーリー。この映画の中に、たぶん僕は人生で初めて、ヨーロッパ文化を観たのだと思うのです。

僕の母親は僕が生まれる前に、スペインの修道院に寄宿していたことは以前ブログにも書いたと思うのですが、小さなころから西洋のお城や音楽、教会、身分社会、そして街並についての話を、物語として良く母親が話していました。

また、当時フジテレビで放映されていた「アルプスの少女ハイジ」や「フランダースの犬」など、アニメでヨーロッパの街並みや暮らしを観たことはありました。

でもそれらはいずれも漠然とした遠い存在だったのです。

しかし、「サウンド・オブ・ミュージック」には、そんな場所や人々を映すリアルな映像が溢れていました。

オーストリア・ザルツブルグの街並みや、トラップ大佐の住む大きなお城、その内装。トラップ家に仕える召使たち。貴族たちのダンスパーティー。クラシック音楽。清貧な修道院。ナチスドイツに併合されるオーストリア帝国・・・。

漠然とイメージしていたヨーロッパの文化を、実際にこの目で初めて映像として見ることができたのです。

当時はビデオも無かった時代ですので、藤本家では年に一度、この映画がテレビで再放送されるときを家族皆が心待ちにしていました。このときだけは、遅くまで起きていても良かったことを思い出します。

大人になってすぐにDVDも購入したので、子供の時から数えると、映画版を僕は間違いなく100回以上観ていることになります。それくらい僕にとっては思い入れの強いもので、曲も歌詞も、完全に脳に刻み込まれているんですよね。

ロイド=ウェバーには程遠いですが、僕があらゆる芸術を含めたヨーロッパ文化史に目覚めるきっかけとなったのは間違いなくこの作品との出逢いによるもので、大袈裟に言えば「サウンド・オブ・ミュージック」がなければ、このブログでオペラやミュージカルについて書くこともなかったことでしょう。

そんな僕なので

ミュージカルの中で、映画のシーンと曲が入れ替わって使われていたり、歌詞が中途半端に日本語になっていたりするこの作品は、ちょっと違和感があって・・・僕としては、物語にすっと入り込むことができなかったのです。

英語版で観たら、また違った印象だったんでしょうか・・・?

とは言え、ひとつ

いいな

と思ったのは、「ドレミの歌」が、日本人には親しまれている、ペギー葉山さんの歌詞だったことです。

日本語版の企画演出を務めておられる浅利慶太さんによると、このドレミの歌の歌詞は、不思議なことに、ペギーさんご自身が出演された舞台以外では使われてこなかったのだそうです。

購入したパンフレットには、ペギー葉山さんの日本語版「ドレミの歌」の誕生秘話が載っていて、興味深く読ませていただきました。

ペギーさんは、1960年に、2度目のブロードウェイ体験で、この「サウンド・オブ・ミュージック」の公演を観たのだそうです。

ちょうどその前日、「ウエストサイドストーリー」を観て、完全にノックアウトされて、しばらく椅子から立ち上がれない位の衝撃を受けた。

そして翌日、そのとなりのラント・フォンテーン劇場で、この「サウンド・オブ・ミュージック」を観て、第一幕の途中の「ドレミの歌」を聴いた時に、津波が押し寄せてくるような感覚を受けて、この曲の日本語訳を作ろうと思ったのだそうですよ。

1960年に、ブロードウェイで、この二つの作品を二日連続して観られるなんて、ペギーさんは、なんという僥倖に巡り合ったのでしょう。その場に居合わせたかったですよね。

第二幕を観ながら、

「ドはドーナツのド」

は、すぐに思いついたそうなのですが、次はどんな歌詞にしようかなんて、考えていたのだそうです。

今では「ドレミの歌」は、音楽の教科書にも載っていて、「日本の歌百選」にも選ばれた、日本人なら誰でも歌える曲ですものね。


クロアチア・イギリスからの帰国

今回のロンドン滞在は、ハイアットリージェンシー・ロンドン・ザ・チャーチルを使いました。

ハイアットは使用頻度が高いので、

メッセージがいつもついてくるのです。

小さなことでも、うれしいですよね。

こういった小さな感動を、クリニックFでも提供してゆきたいなと思います。

大英博物館から帰ってきてシャワーを浴びて、レイトチェックアウト。

いよいよヒースロー空港に向かいます。

パディントン駅からヒースローエクスプレスに乗りました。

アイスランドの噴火の影響があって、朝まで閉鎖されたようですが、飛行機は飛んでいるようです。

JALの機体が見えてきました。

噴火の影響で出発が少し早まりました。

ですが、無事に帰国できることになり、よかったですよ。

長くなりましたが、これでロンドン経由で向かった、2010年クロアチア開催のヨーロッパ皮膚科学会(EADV)の新国際学会周遊記での報告を終わります。


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