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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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CLEO:2011 ボルチモア⑯ Blue Chicago

シカゴの夜は、長いのです。

今年の全米皮膚科学会が開催されたニューオリンズ発祥のブルース。

ニューオリンズで、メープルリーフバーというお店に行ったのはご報告しましたよね。

これが第2次世界大戦時を頂点としてたアフリカ系アメリカ人の大移動の流れを受け、1930年代から50年代にかけて多くのブルース・ミュージシャンが移住し、南部の州からシカゴに舞台を移しました。

こうして1950年ごろにシカゴ・ブルースが誕生したのです。

街の中の北部はちょっと危険な場所と言われていますが、その地には多くのジャズバーやブルースバーがあるのです。

初日の夜にはブルーシカゴという店に行ってきました。

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中に入ると

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こんなバーカウンターがあり、その裏にステージがあります。

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こういったバーは、遅い時間になればなるほど盛り上がるんですよね。

僕がこの店についたのは夜10時半ごろ。

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徐々にメンバーが入れ替わり

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ボーカルの女性が入ったころには店は大興奮でした。

聞き入っているうちに夜も更けてしまい、ちょっと怖いのですぐにタクシーを拾って帰りましたよ。


CLEO:2011 ボルチモア⑮ Navy Pier

さて、時間がどんどん経ってしまいますので、2011年GW期間中に訪れたアメリカ出張記を仕上げてしまいますね。

現在東京にいる僕ですが、出張記では最後の逗留地シカゴにいます。

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シカゴ建築物クルーズの後に向かったのはNavy Pier

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明るくてとてもいい場所でした。

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空を見てみると、セスナ機が空にこんな広告を書いていました。

COUPONCABIN’S GOT...。

残念ながら雲に隠れてしまいました。


新しいemaxです! 

昨日のブログでもお伝えした通り、クリニックFでは、「トリニティ」、「ギャラクシー」、「オーロラ」、「リファーム」、「マトリックスIR」の施術が可能なシネロン/キャンデラ社のemax本体を改めて購入し、機器を入れ替えました。

肌にレーザーを照射することにより、皮膚にメスを入れたり何かを注入したりする必要なく、ある一定のクオリティを維持し抗老化を促していく・・・そんな定期的な皮膚のメンテナンスに最適なレーザー光治療機器として、クリニックFでも常に最も人気があるこの機械。

「透明感のある肌」と「ハリのある若々しい肌」「肌理細やかな肌」が手に入ります。

使用頻度の多いこのシネロン社の機器の筐体は、2年に一度は機器ごと入れ替えるようにしていますが、今回はちょっと早めの1年9ヶ月での入れ替えでした。(がんばりました(笑))

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ここまで2年弱本当に毎日よく頑張ってくれた旧emaxと、新emaxを並べて。僕の右手にあるのが、新しい方です。

左手のemaxには

「おつかれさまでした!」

と声をかけたくなりますね。いや、実際心の中でその言葉が何度も浮かんでいましたが(笑)。

患者さんには昨日から切れ味のよい、新品のemaxを使用しています。

レーザー/IPLを数年間使用していると、時間の経過と共にどうしても切れ味が悪くなってくるのに気づくのです。

レーザーの照射の波形が少しずつずれてくるのでしょうね。

考えてみれば、車でさえ2年間乗ってから新車に乗り換えても違いが分かります。

ましてやレーザー光機器ははるかにハイテクですので、新品と入れ替えて照射をすると、2年経過していない機器との比較でも、明らかな違いを感じますね。

照射された皆さんも、とても喜んでくれていますよ。


トスカニーニ指揮シューベルト交響曲第八番「未完成」

おはようございます。今日もクリニックFの診療日です。

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今朝の音楽は、トスカニーニ指揮NBC交響楽団のシューベルト交響曲第八番「未完成」と第九番「ザ・グレイト」です。

1950年と1953年のカーネギーホールでの録音。

未完成は良い録音が多いですが、僕はこれが好きですね。

アルトゥーロ・トスカニーニ(Arturo Toscanini)は 1867年 明治維新の前年に、イタリアのパルマで生まれました。

パルマ音楽院の作曲科の学生のとき、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を観て、あまりの完成度の高さに作曲家になることを断念して、チェロ科に転科した、というエピソードが伝えられています。

楽譜至上主義かつ即物主義な演奏スタイルは、ロマンチストで変化を好むフルトヴェングラーと評価も人気も二分されましたが、日本人にはフルトヴェングラーのほうが知名度が高いでしょうか。

本来であれば日本でももっと評価されるべき存在なのだと思います。

1898年にミラノのスカラ座の音楽監督に、さらに1908年にはあの作曲家のグスタフ・マーラーの後任としてNYメトロポリタン歌劇場の音楽監督に就任し、まさに20世紀前半を代表する指揮者となりました。

注目すべきはトスカニーニが、生前のヴェルディやプッチーニと同じ時代に生きた指揮者であるということ。

「オテロ」の初演にチェリストとして参加した時にヴェルディの知遇を得たり、プッチーニの遺作となったオペラ「トゥーランドット」をミラノのスカラ座で初演していたりと、録音が残っているだけでも貴重な存在なのでしょうね。

ちなみに、トスカニーニの娘のワンダは、ピアニストのウラディミール・ホロヴィッツと結婚していますが、1932年にベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番『皇帝』で二人が共演したのがきっかけとなったのだそうですよ。


ムラヴィンスキー指揮チャイコフスキー後期三大交響曲

おはようございます。昨晩香港から帰りました。

フライトの都合で行きは羽田発、帰りは成田着でしたが、都内へのアクセスがあまりに違いますね(苦笑)。

今朝の目覚めの音楽は、1960年録音、ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィルのチャイコフスキー交響曲4番5番6番(後期三大交響曲)でした。

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エフゲニー・アレクサンドロヴィチ・ムラヴィンスキーは1903年ロシア生まれ。20世紀にロシア、ソ連、東欧の地域で輩出された、最もカリスマ性のある指揮者だといわれています。

ロシアはサンクトペテルブルグにて法律家の父と歌手であった母の間に生まれた彼は、貴族の階級にあったのですが、一家は1917年のロシア革命で全ての財産を失ってしまいます。

もともと音楽の素養があったのだと思いますが、ぺトログラード大学で生物学を専攻していた際に、学費の捻出のためにマリインスキ―劇場でパントマイムの端役をしていた時期もあったのだそうです。

彼はその後レニングラード音楽院に入り直し、指揮と作曲を学びました。

彼の転機は1938年に訪れます。全ソ連指揮者コンクールで優勝し、レニングラードフィルハーモニー交響楽団の常任指揮者に抜擢されるのです。

以後、88年にレニングラードで死去するまでこの地位にありました。

僕もムラヴィンスキーのCDは幾つも持っていて、チャイコフスキーの他には同じくロシア出身の作曲家ショスタコービッチなども得意としています。今朝聴いた録音は、ムラヴィンスキーを世界に知らしめた超名盤と言われているものです。

チャイコフスキーの交響曲と言えば、日本では第六番の「悲愴」が良く演奏されますが、僕の好みは圧倒的に第五番です。

第五番のリハーサル中の風景をYOUTUBEで見つけました。

ムラヴィンスキ―は長身で威厳がありますね。

ムラヴィンスキ―も、この第五番を最も好んだと言われていて、生涯で最も多く録音および演奏を行ったのだそうですよ。

さて、クリニックFの診療も今日から再開です。昨日のブログでも書きましたが、今日は新しいemaxが来ますので、嬉しいですね。


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