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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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オペラ座の怪人 電通四季劇場海

おはようございます。

今日10月19日(水)はクリニックFの診療日です。

明日からのポルトガル出張に向けてクリニックは大忙しです。

出張中は診察はできませんが、電話番をクリニックに残しておりますので、御予約や御質問などはクリニックF(03-3221-6461)にお電話くださいね。

今回のポルトガルはロンドン・ヒースロー経由でとんぼ返りです。帰国は24日。空港からそのまま四谷に戻りその日から外来を再開しますので、またどうぞよろしくお願いいたします。

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さて、ブログではエンタテイメントの話題を。

昨晩は診療後に電通のカレッタ汐留のビルで、劇団四季のオペラ座の怪人を観てきました。

東京で開催される劇団四季の「オペラ座の怪人」は久しぶり。公演は10月1日に始まりましたが、実に四年半ぶりなのだそうです。

そんな背景もあってか、昨日も報道関係者の方々が、たくさん招待されていましたよ。

最近の劇団四季劇場は、音響が録音に変わっていて、非常に残念に思っていたのですが、昨日の「オペラ座の怪人」は生演奏でした。

録音と生では、迫力が全く違いますよね。とても楽しめました。

ブログを読んで下さっている方はご存知かもしれませんが、僕は本当にこのミュージカルが大好きで、何度観たかもう分からないぐらい。ニューヨークのブロードウェイでも、ロンドンのウエストエンドでも、そして5年前には日本でも観ています

曲も舞台設定も全て明確に覚えています。

過去にも書きましたが、ここでもう一度おさらいしておきましょう。

ミュージカル「オペラ座の怪人」は、もともとは作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバーが妻であったサラ・ブライトマンのために作曲したと言われるミュージカルです。

ファントムの歌も、ラウルの歌も名作ばかりでお好きな方も多いかと思いますが、中でもやはりサラ・ブライトマンが演じたクリスティーヌ・ダーエの曲がほんとうに素晴らしいですよね。

無名だった彼女がミュージカルのストーリイとシンクロするように、これを機に世界中から注目されるようになったのです。

劇中使われるオペラはすべてアンドリューの創作なのですが

「ハンニバル」はヴェルディの「アイーダ」もしくは「アッティラ」

「イルムート」はモーツァルトの「フィガロの結婚」

「ドンファンの勝利」は同じくモーツァルトの「ドンジョバンニ」

を暗示しているのでしょうね。

随所に出てくるオペラの衣装も本格的で、視覚的にも楽しめます。

こちらは現在のパリのオペラ座。

天井画のシャガールが有名ですが、中央のこのシャンデリアが落ちてきたとしたら相当な事故になったでしょうね。

ところで、怪人の住処となったパリのオペラ座の地下には、実際に地下湖が存在するのはご存知ですか?

現在のパリのオペラ座ガルニエは、ナポレオン・ボナパルトの甥であたるナポレオン3世の治世下1861年に建設が開始され、1875年に完成しました。

地下水脈の多い地域での地上10階地下7階計画の工事は難航し、地底深くの難所の工事で多くの犠牲者もいたのでしょう。最下層に巨大な地下水のプールを作り上げることで、この建物の工事を進めることができたのだそうです。

この地下湖を見て、インスピレーションを受けた作家のガストン・ルルーが、オペラ座に棲みつく怪人の物語を作ったのですが、当時は特に話題になったものでもなかったようです。

この小説に息を吹き込んだのが、天才アンドリュー・ロイド・ウェバー。

オペラ座で次々と事件を起こし、支配人たちを脅迫するオペラ座の怪人(ファントム)。

一方では、芸術に対する確かな審美眼を持つ人物。優れた作曲家であり歌手であり発明家でもありました。

バレエの端役だったクリスティーヌに歌の才能を見出し、「音楽の天使(Angel of Music)」と称してクリスティーヌをレッスンし、プリマドンナに育て上げます。

ようやく主役としてデビューすることができたクリスティーヌ。

素晴らしい歌唱力を発揮した、成長し完成された彼女を、舞台で偶然見つけたのが、オペラ座の新たなパトロンとなった子爵ラウルだったのです。

ラウルは、クリスティーヌの幼馴染でもありました。

次第にラウルと恋に落ちてゆくクリスティーヌ。

ファントムは悲しみ、深く傷つきます。

その醜さが故に幼き頃に実母にさえ捨てられた過去を持ち、幼いころから愛情を受けることがなかったファントムは、自分が愛する者に対する愛情表現を知らなかったのでしょう。

ファントムはラウルとともに離れてゆくクリスティーヌを、劇場を脅迫することでしか自分に取り戻す手段を知らなかったのです。

そんなファントムの事情を全く理解しない、若く正義感に満ち溢れたラウルによって、ファントムは次第に地下に追われます。

地下での三人の再会の時、クリスティーヌに、

「穢(けが)れているのはあなたの顔ではなくて、あなたの心なの。」

と言われてしまう。

このシーンは本当に切ないですよね。

この時にファントムの心は砕け散るのです。

クリスティーヌが去ったのち、おそらくファントムは地下水脈にその身を投げ込んだのでしょう。

発見されたファントムのマスクにスポットライトが当たるところで幕が落ちます。

何度観ても素晴らしい演出です。

この「オペラ座の怪人」は、NYブロードウェイ史上最長のロングラン公演で、現在でも記録を更新中ですが、それだけ世界の人たちに認められた作品なのですよね。

日本語での四季版もとてもよかったのですが、やはりブロードウェイは「オペラ座の怪人」の専門の劇場ですので、舞台装置の大きさも設備も違います。

僕はまたブロードウェイでの「オペラ座の怪人」を観に行きたくなってしまいましたよ。

 


大阪 梅田 ダイニング・ワインバー「カンティネッタ バルベーラ」 

 

先週15日の土曜日の診療後、最後の伊丹行の飛行機に乗って21時に梅田に到着。打ち合わせが一つありました。

場所は

「カンティネッタ バルベーラ」というダイニング・ワインバーです。

 

初めて伺ったお店なのですが、とてもおいしいお店でした。

五種類の前菜

秋刀魚と松茸

栗のニョキ

フォアグラとトリュフの牛フィレソテーのロッシーニ風

そうそう、この料理に出てくる“ロッシーニ”風の、ジョアキーノ・ロッシーニは、「セビリアの理髪師」「チェネレントラ(シンデレラ)」「ウィリアム・テルの序曲」の作曲家としられていますよね。

ロッシーニはのアドリア海に面したイタリアのペーザロで1792年に生まれました。

彼の代表作の一つ、「セビリアの理髪師」は、24歳の時の作品です。

ちなみにこの「セビリアの理髪師」の中で、バリトンが演じる理髪師フィガロ(Figaro)は、モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」のフィガロと同一人物なのです。

DVDを並べて二つを観てみると面白いですよ。

もととなった原作(戯曲)が一緒なのですよね。

ロッシーニは、37歳で「ウリリアム・テル(序曲)」を発表したのちにオペラ界から引退を表明しましたが、60歳を過ぎてパリに著名人をあつめたサロンや高級料理店を展開します。この際に食通としても名前が挙がったのだそうですよ。

それぞれの料理に合わせたグラスワインをいただいたのですが、ワインも好みのものがあって、ちょっとずつ食べられる食事といい、東京のクリニック近くにあったら通ってしまうだろうな、というお店でした(笑)。

気になった料理は雷鳥。次回に訪れる機会があったらぜひ食べてみたいですね。

 


大阪から戻りました

おはようございます。今日10月17日もクリニックFの開院日です。

昨日は大阪のメルパルク大阪で開催された、イタリアはフィレンツェにあるレーザー会社であるDEKA社のハンズオンワークショップで、招待講演の出張でした。

僕はここで、眼瞼拳上レーザー照射術である「マドンナリフト」の照射法について講演とデモを行いました。

宿泊先は新大阪駅の目の前だったのですが、前日の雨が上がり、快晴。

気持ちのいい朝でした。

マドンナリフトの講演と実践は、先月末の博多の日本美容外科学会でも行いましたが、特に表皮の薄いまぶたの施術は、レーザーのパワー設定が難しく、一つ間違うと大きな事故につながります。

その点DEKA社のスマートサイドドットや、スマートサイドスクエアは、論文も数多く発表され、施術に適したパラメータが決まってきました。

ワークショップで実際に施術をしましたが、参加された先生方も、思ったよりも痛みもなく簡単に行える施術なんですねと話されていたのが印象的でしたよ。

 


PVPフラーレンが皮膚バリア能力を上げるという研究発表

実は今月、10月末にタイのバンコクにて開催される学会で、発表を控えています。

「International Federation of the Societies of Cosmetic Chemists(IFSCC)」

翻訳すると、国際化粧品技術者会連盟となるのですが、この会は

世界の化粧品技術者が集う、化粧品科学技術の最も権威ある研究発表会です。

文章を拡大しますね。

今回発表する演題が、ようやく出来上がりました。

まだ発表前なので、画像を荒くしてアップしたいと思います。

演題名は、

“Effect of Inclusion Complexes of Fullerenes with Polyviniylpyrrolidone on the Skin Barrier”

フラーレンには通常指摘される抗酸化能力に加えて、表皮のバリアを改善する能力があることを示したデータ。

皮膚には皮膚表皮バリアーを形成するタンパク質、専門的な言葉で言うと「Cornified Envelope proline(CE)」という物質があるのですが、フラーレンがトランスグルタミナーゼⅠのmRNA発現を増やし、CE構造物を増加させ、皮膚のバリア能力の維持に寄与していることを証明する研究です。

今回はテープストリッピングという方法で、肌の角質を除去しましたが、既にレーザーを使用した追加実験も行っていて、次回の発表の準備をしています。

世の中知りたい事ばかりで、研究の種は尽きないですね(笑)。

 

 


ダニエル・バレンボイムとミラノスカラ座

今日ネットサーフィンをしていたら、なんと指揮者のダニエル・バレンボイムがミラノスカラ座の音楽総監督に就任するとの発表を見つけました。

任期は2011年12月1日から2016年末まで。

ダニエル・バレンボイムはアルゼンチン出身のユダヤ人ピアニスト兼指揮者です。

現在はイスラエル国籍となっているようで、1991年にサーゲオルグ・ショルティからシカゴ交響楽団音楽監督の座を受け継いでからは、指揮者としても卓越した能力を発揮しました。

バレンボイムは二度結婚していますが、最初の結婚相手はイギリスの名チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレ。デュ・プレは才能に恵まれながらも、多発性硬化症の発病によって音楽家生命を絶たれました。

デュ・プレの使用したストラディバリウスのチェロは、現在ヨーヨーマが使用していますよね。

バレンボイムがスカラ座の音楽監督になるとは。

オペラファンにとっては本当にビッグニュースです。

スカラ座の音楽監督といえば、古くはアルトゥーロ・トスカニーニが有名ですよね。彼が率いた当時のスカラ座は、世界最高のクラシック音楽の殿堂でした。

プッチーニの代表作である「蝶々夫人」や「トゥーランドット」もスカラ座で初演され、世紀のオペラディーヴァであるマリア・カラスの「椿姫」はスカラ座の歴史上において最大の商業的な成功を収めました。

最近は、クラウディオ・アバドやリッカルド・ムーティが長く音楽監督を務めましたが、2005年にムーティが解任された後は空席が続いていたのです。

バレンボイムは2007年より客演指揮者としてスカラ座に参加していますが、今回の音楽監督就任は、プライドの高いスカラ座の団員や本当に目の肥えたスカラ座の観客に認められたという事を意味します。

僕は、2008年年末にニューヨークでバレンボイムの振ったワーグナーのトリスタンとイゾルデを観て、この人はカルロス・クライバーやバーンスタイン、カラヤンと言った名指揮者が亡くなった今、今世紀を担う指揮者として大成するのではないかとふと思ったのです。

ワーグナーの最高傑作とも言われる「トリスタンとイゾルデ」をメトロポリタン・オペラで指揮棒を振った時のバレンボイムの演奏。

年間何度も演奏会を聴きに行く僕ですが、今でも印象に残っている演奏会の一つでしたよ。

この度、バレンボイムがスカラ座に認められたということは、自分の音楽に対する審美眼の正当性が認められたような気がして、ちょっと嬉しかったですね。

以下、AFP通信の原文をご紹介しますね。

Daniel Barenboim to be La Scala’s musical directo

MILAN — World-famous conductor Daniel Barenboim will take up the post of musical director at Italy’s world renowned La Scala opera house from December until the end of 2016, the Milan theatre said on Thursday. The Israeli-Argentinian musician will open the 2011-2012 season by directing Mozart’s Don Giovanni, staged by Canadian Robert Carsen. Barenboim will spend 15 weeks a year at La Scala, where he is already principle guest conductor. La Scala’s former music director Riccardo Muti stepped down from the post in 2005 after 20 years following a blazing row over artistic differences with management and the position had remained vacant since then. Since Muti’s departure, Barenboim has held the honourary title of “Maestro of La Scala,” producing at least two operas a year.


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