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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月(28)薬学部の将来展望 バッキンガム宮殿衛兵交代式

おはようございます。

今日3月7日(水)はクリニックFの診療日です。

昨日は診療を途中で一度切り上げさせてもらい、慶應義塾大学薬学部の学生さんを相手に、レーザーの講義をしてきました。

慶應は僕が最初に籍を置いた大学です。経済学部でした。当時薬学部はありませんでしたが、共立薬科大学を合併し、慶応義塾が薬学部を設立したのは2007年のこと。

2012年現在、薬学部の既に全学年が慶應義塾大学薬学部としての入試を経て入学しているのだそうです。

世界的にみても製薬業界は、刻々と増え続ける地球の人口が高齢化する21世紀に向けて確実に成長する産業の一つ。

しかも労働集約型ビジネスモデルの医療とは異なり、世界の市場に目を向けたスケールメリットの生きる職種です。

今後の日本のためにも、薬学部の大学院などに製薬企業マネージメントや、治験ビジネスなどの法的、医学的ノウハウの蓄積、さらに弁理士資格取得のような知的財産管理教育を組み入れてゆくことで、より優秀な人材が集まる魅力ある学部になるなと思いました。

講義後に学生さんとの懇親会に出席してきましたが、利発な学生さんたちと会話も弾み、楽しい時を過ごさせていただきました。

僕も元気をもらって帰ってきましたよ。

さて、僕のブログ国際学会周遊記は年始に訪れたロンドンブログ。

来週のサンディエゴ出張までに、必ず終わらせたいと思います(笑)。

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ロンドンで目覚めた朝は日曜日。

時計を見ると、ちょうど10時頃でした。

この時間なら11時半のバッキンガム宮殿の衛兵交代に間に合うなあ・・・と思い立ち、朝食を食べ、グリーンパークを歩いてやってきました。

目の前にも、既にすごい人です。

少しすると、鼓笛隊とともに、衛兵たちがやってきました。

今までに何度も同じ光景を見ているはずなのですが、毎回新たな感動があります。

一日一回30分にして、この見学者の数。

こうした大英帝国の威厳に満ちたセレモニーを観ると、他の国から来た観光客は確実にイギリスのファンになりますよね。

考えてみると、他国に対して自国の好感度を上げるのは至難の業。

ある意味、見事な国家戦略です。

 

 


■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月(27) ロイヤルバレエ くるみ割り人形

おはようございます。

今日3月6日もクリニックFの診療日です。都内は雨模様ですが、お昼には晴れになる予定だそうです。

今日は都内の大学の薬学部でレーザー医療の講義を頼まれていて、僕は夕方から一度、外出します。

講義を終えたらまたクリニックに戻りますので、ご予約の詳細は03-3221–6461(クリニックF)にお問い合わせくださいね。

僕のブログ国際学会周遊記は年始のロンドンブログの続きです。

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ウィーンからロンドンに移動した夜。

今年初めてのバレエ観劇は、「くるみ割り人形」でした。

そういえば去年の1月には、この演題をパリのオペラバスティーユで観たんですよね。

観劇前に軽食を・・・と、メトロのコヴェントガーデン駅の目の前にあるMARKS & SPENCERでサンドイッチなどを購入。

この店は、ロイヤルオペラハウスで観るときとても便利。

僕は、オペラやコンサートの前にレストランなどでしっかり食事を摂るということができない性分です。

どうにも気が逸ってしまって、ゆったり食事が出来ないんですよね。

さて、こちらロイヤルオペラハウスでバレエを観るのは、2ヶ月ぶり。前回渡英の時には「マノン」を観たのです。

チャイコフスキーの名作「くるみ割り人形」。

どれをとっても素晴らしくきれいな旋律で、つらかった研修医時代に、この曲を聴いて励まされたのを思い出しました。

それこそ、24時間病院に張り付いていましたからね。

考えてみれば、あの時の忍耐が、普通のことでは動じない、今の僕につながっているんだなあ。

くるみ割り人形は、音楽としては好きだったのですが、バレエを観るようになってからは、踊りが無いと物足りなくなってしまいました。

こちらYOUTUBEで見つけた金平糖の精の踊りです。

音楽のセオリーに沿っていないにも関わらず、こうした耳に残る印象的な旋律をどうしてチャイコフスキーは思いつくことが出来るんでしょうね。

くるみ割り人形は、大きく分けると二つの演出があります。

1幕の主役であるクララと、2幕の主役である金平糖の精を同じダンサーが踊る演出と、

クララは子供が演じ金平糖の精は大人が踊る演出

なのですが、この日は別々の演出。

金平糖の精が素晴らしい演技で、ロイヤルオペラの目の肥えた観客から喝采を浴びていました。

東洋人でしたよ。

皆、素晴らしい観劇に、胸を高まらせて帰るのです。

僕の研究や診療など、すべての原動力とも言っていいぐらいの沢山のエネルギーをもらいます。

一番うれしい瞬間ですね。


■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月(26) 大日本帝国と大英帝国 日英同盟 ロンドン ナショナル・ポートレート・ギャラリー

おはようございます。

今日3月5日はクリニックFの診療日です。

予約表を見ると朝から沢山の患者さんが入っているようです。ありがたいことです。

冷たい雨の中御来院くださる患者さんにおかれましては、どうか道中気をつけてお越しになってください。

さて、僕のブログ「新国際学会周遊記」では、引き続き年始に出掛けたヨーロッパはロンドンの話をお届けします。

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僕は、明治時代や大日本帝国時代の日本の歴史書を読むのが好きで、今回も何冊かロンドンで読もうとスーツケースに詰めていました。

外国・・・特に英国のような国で、読書に耽り日本の歴史について改めて視点を変えて考える、という作業が好きなのです。

幕末に比較して大日本帝国の時代が題目になりにくいのは、特に戦後、大日本帝国時代の賞賛がなされなくなったと言うこともあるのでしょう。

とはいえ、大日本帝国については、その失敗も含めて仕事人としてとても学ぶべきことが多いのもまた事実です。

現在は、日本の政治力、外交力ともに失墜していると評価されていますが、そもそも国家を揺がす様な危機において、過去の歴史上、民主主義政治が上手く機能したことはありません。

ギリシア、ローマ、王政後のフランス然り。

民主主義による、民意をくみ上げることで、国家存亡にかかわる様な大局を見極めた選択などできない、ということかもしれませんね。

そうした場合、国家の崩壊が起こるか、専制的な政治形態となって国家の立て直しが計られるか、歴史上ではその二通りしか選択肢は無いのです。

民主主義は、平和が長期間続く中で唯一存続できる特殊な政治形態でもある、といえるのでしょう。

大日本帝国の前半の期間、特に興隆期は、国家の危機に対して、政府の主導力と外交力が極めて上手く機能した時期と言えます。

選択肢を一つ間違えてしまえば、列強の餌食になる時代。

世界の極地までがほとんどが植民地化され、アジアの国家で日本以外に独立を保てたのは、英仏二大列強の緩衝地帯となったタイ王国ぐらいでした。

当時の大日本帝国は、廃藩置県により大名の既得権を国家に集中させ、中央集権国家をいち早く作り、特に製糸業、さらに紡績業の自国の産業を官主導で発達させて、輸入による借入金を超過させずに国家財政を支える政策を作り、他国の介入を退けました。

この時期のアジア諸国は、鉄道や工場などの自国のインフラを、列強を始めとした他国の出資で整えてしまったがために、その後の利益を吸い上げられ、国家予算につけいる隙を与えてしまった国がほとんどだったのです。

さらに明治政府は、20世紀初頭に国際関係史において、「名誉ある孤立」戦略をとっていた大英帝国との間に、1902年に日英同盟を結ぶという偉業を達成します。

この日英同盟は、近代国家となってわずか30年の日本が、国家として初めて結ぶ同盟でした。

しかも相手は世界一の超大国であったイギリスです。

この同盟は大日本帝国だけでもなく、当時の大英帝国の戦略からしても必要な同盟だったのです。

当時英国は、海軍において「二国標準主義」を採択していました。

これはつまり、世界各地での戦力比で、イギリスが世界第1位の海軍力を持つだけではなく、さらに第2位、第3位の海軍力の合計よりも上回ることを条件としたということです。

当時、唯一東アジアの海域においてイギリスは、第2位と第3位のロシアとフランスの海軍の合計を上回る軍事力を保持しておらず、しかも露仏は同盟を結んでいました。

東アジアの海域で一定以上の海軍を保有している国は、清国か日本であり、1894年の日清戦争で勝利し、新たなアジアの盟主となった日本に白羽の矢がたったのです。

この日英同盟は、日本の外交史において、現在でも光り輝く偉業と評価されるのは当然だと思います。

日英同盟は、1904年の日露戦争、さらに1914年の第一次世界大戦でも優位に働き、二つの大戦の勝利の大きな要因の一つとなり、日本も国際的な立場を確立することにもつながりました。

反対にこの同盟は1921年に、ワシントンで結ばれたアメリカ、フランスとともに四か国条約で、発展的解消ということで消滅します。

この四か国条約は、そもそも日本とイギリスの結びつきを快く思わない当時のアメリカの策略だったという説も聞いたことがあります。

いずれにせよ、明治維新以降世界史に例のないぐらい他国との戦争に連勝した大日本帝国は、日英同盟消滅後には後半期に入り、陰りを見せはじめます。

皮肉なことに、民主主義を掲げた政党政治の名の下で、内閣総理大臣がほぼ毎年代わるようになり、指導者不在のまま、国民の総意で国家の存亡をかけた太平洋戦争~第二次世界大戦へと舵を切ってしまうことになるのです。

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100年前の大日本帝国と大英帝国の関係を思いながら、当時の英国の香りを探しに街を散策するのは、至福のときです。

当時の大英帝国が、国家威信をかけて名画を集めた美術館と言えばナショナルギャラリーですが

実は隣接して、肖像画に特化した美術館があるのをご存知ですか?

ナショナルポートレートギャラリーという美術館です。

イギリスを代表する偉人の肖像画が展示されているのです。

顔、顔、顔ばかり。

このナショナル・ポートレイト・ギャラリーでは肖像画像の検索もできます。

こちらが日英同盟の英国側の調印を行った外務大臣Henry Charles Keith Petty-FitzMauriceのポートレイトです。

デフォルメされていますが、英国紳士然とした風貌ですね。

この人が日本の命運を動かした、日英同盟締結に関わった人物の1人なのです。

ギャラリーには、有名な政治家の絵画や写真なども沢山あるのですが、とても楽しいですよ。

女優さんの肖像画の部屋が特に人気でしたね。

ギャラリーを出て、目の前のトラファルガースクエアにて。

ちょうど中央に注目です。

この位置からだと、ライトアップされているビッグベンも見えるのです。

ロンドン五輪のカウントダウンもなされていました。

オリンピックは今年の7月ですから、もういよいよですね。

トラファルガースクエアから、歩いてロイヤルオペラハウスに向かいます。

夜のチケットを取ってあるのです。

 

 

 


花粉症にボトックス

誕生日を迎え、「四十にして惑わず」といきたいところですが、3月生まれの僕はこの時期そうも言ってられない事情があるのです。

それは、必ず春を迎える頃になると花粉症に振り回されるから。

毎年春には米国皮膚科学会と、米国レーザー医学会があって、アメリカに出張するとすぐに軽快するのですが、日本の空域に入ると、途端に花粉症が再発するのです。

毎年泣かされています(苦笑)。

ところが今年はそうひどくなく、いやむしろ未だかつてないくらい好調にこの季節を迎えています。

ボトックスが花粉症に効くという話をご存知ですか?

もともとアセチルコリンのブロッカーであるボツリヌス毒素。

顔面のしわ取りだけではなく、多汗症や腋臭症に対しても使用されるのですが、鼻粘膜には注射をしなくても、点鼻するだけでよく吸収されます。

僕も以前から聞いていましたが、ボトックスを常に使用している人に対して点鼻をしてしまうと、皮下に注射するよりも抗体産生が高まる(つまり持続時間が短くなり、効きにくくなる)というリスクがあり、ボトックスを花粉症の治療に適応するのは躊躇していたのです。

しかしながらインタール(花粉症を防ぐ抗アレルギー剤の点眼、点鼻薬)では僕の花粉症は毎年効果がなく、考えてみれば僕自身はボトックス注射をしているわけではありませんし、今後も打つ予定がないので、リスクを考えるに及ばず、今年初めて自分に打ってみました。

打ち方はこんな具合です。

注射の工程をブログの読者にわかりやすいよう、こんな写真を撮ってみましたが・・・見ていた患者さんとスタッフに大笑いされてしまいました(苦笑)。

ボトックス注射(というか針を使わないので注入)、痛みや匂いは全くありません。

ボトックスを溶解したのち、注射針を外して、通常の点鼻薬のように鼻に入れるのです。

そのまま5分程度鼻をつまみ、薬液が吸収されるのを待てばもう終りです。

30分もしないうちに鼻が通ってきます。

論文によると3週間~3ヶ月の期間、効果があるとのこと。

通常は花粉症の季節に一度やればよさそうですね。

 

 


■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月(25) ロンドンの街並み ハードロックカフェ1号店

おはようございます。

3月3日ひな祭りの土曜日、今日もクリニックFの診療日で朝から四谷に来ています。

昨日の誕生日は、患者さんやスタッフなど沢山お祝いをいただきました。

こちらは今日頂いた分。ありがとうございました。

さて、今朝クリニックに来てみると、ビゼーのオペラ「カルメン」の音楽が流れていました。

確かカルメンの初演は3月3日だったなと思い、検索をかけてみると、やはり1875年3月3日 にパリのオペラ=コミック座で初演されたのだそうです。

僕みたいに調べ物をするのが趣味の人間にとって、WEBは本当に便利すぎて、これが果たして良いのだか悪いのだか・・という。

時々、食事中でも何か気になる話題が出たときiphoneで確認したくなる自分がいます(苦笑)。

さて、ブログ「新国際学会周遊記」は、2012年年始に訪れたヨーロッパ4か国目のロンドンに場を移します。

今月中旬にサンディエゴで開催予定の米国皮膚科学会(AAD)の出張までには、このヨーロッパ滞在記終わらせないと・・・。

頑張ります!

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年末年始を英語圏ではない国々で過ごし、久しぶりにイギリスという英語圏に来ると、言葉が通じやすいので気が緩みます。

大きな荷物はパリのホテルで預かってもらい、TUMIで小さなスーツケースを買いなおして身の回りのものだけ詰めてきましたので、地下鉄での移動も楽になりました。

ロンドンでも青空に恵まれました。

ホテルはメイフェアに取りましたので、グリーンパークまで移動。

そうそう、グリーンパークとハイドパークの間、ウェーリントンアーチの近くにハードロックカフェがあるのをご存知ですか?

こちら、今では世界中で見かけますが、ハードロックカフェの第一号店なのです。

1971年に始まったのだそうです。

この場所は元ロールスロイスのショールームだったそうですよ。

学生の頃にハードロックカフェで初めて食事をしたときには、感動しましたっけ。

僕はそんな世代です(笑)。

 


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