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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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小笠原から帰京して

素晴らしい小笠原体験から帰京し、クリニックFで診療中です。

小笠原諸島まではちょうど東京から1000km。

船で片道24時間。

コロナのこの期を外しては二度と行けないと思い、船のチケットを抑えました。

東京から測ってほぼ倍の距離にあるグアム諸島やサイパン諸島には約3時間余りの飛行機で行けるのに、こちらは船で24時間。

実質おがさわら丸しかアクセスできないこの場所は、東京から一般人の行くことができる一番遠い日本の国土であるかもしれません。

僕は湘南海岸の海育ちだったのもあり、海で泳いで育ちました。

1982年に初めて海外渡航したのがトラック諸島というミクロネシアの島でした。

近所のスポーツクラブでツアーをしてくれたのです。

その時初めてシュノーケルを付けてサンゴ礁を泳ぎ、海のすばらしさに心から感動しました。

1988年にはPADIのダイビングライセンスを取得して、沖縄の慶良間やバリ島の海でも潜りました。

ところが医師免許を取ったあたりからは、ダイビングの事故や恐ろしさも知るようになり、ちょっと離れてしまうようになり・・・

それでも機会あるごとに海で泳ぐことはしてきましたが、このわずか数十年の間にも、どの海のサンゴ礁もアクセスが良くなるとともに、サンゴは死んでゆき、海は汚れていってしまうんですよね。

世界で最も透明度が高い海は、イースター島周辺だと言われています。

イースター島は大陸と最も離れていることもありますが、何より川が無いことが、透明感に関連しているのです。

今回の小笠原諸島は、雨が降ってもすぐに水が海に流れてしまい、いわゆる川がありません。

個人的な経験ですが、今まで泳いだどのダイビングよりも、シュノーケルで楽しめた今回の小笠原の海の方が美しいと感じました。

まさに自然、天然がそのまま残っているという事なのでしょうね。

24時間の船旅ですが、ちょうど台風が滞在していた時で、夜通し相当揺れました。

船酔いする人はかなりきついでしょう。

船内にいる時間ほとんどWifiも通じませんので、インターネットも難しいです。

僕は何をしたかというと、以前にネットで落としておいた携帯の青空文庫で、夏目漱石の小説を久しぶりに読んで過ごしましたね。

そしてもう一つは小笠原の晴天率。

僕の滞在した3日半はたまたま晴れましたが、僕の6日前の船に乗った人は風のために南島などの無人島には上陸できなかったようですし、小笠原は昨日から10日連続の雨予報。

雨だと自然系のアトラクションは厳しいですよね。

小笠原はリピーターが多いと聞きますが、天候のためにできなかった自然体験を再び求めてくるのかなあとも思いましたよ。

僕もいくつか小笠原の写真を上げましたが、カメラのファインダーに入る角度は、実際に見えている景色の数十分の一です。

さらに、水に潜った動画写真はいくつかピントがぼけているものもあり、最も綺麗な海域をアップできなかったのは残念でした。

美しい側面ばかり話しましたが、実際に小笠原は太平洋戦争中に激戦地となりました。

飛行場が作られた硫黄島が占領されたのちは、父島、母島諸島を越えて、沖縄に戦地が移されるわけですが、それでも戦地の爪痕は多くの場所で見られました。

80年近く経過しているにもかかわらず、しっかりとしたコンクリートの建物が残り、戦前の日本の建築技術の高さを垣間見ることができましたね。


城彰二選手と”野人”岡野雅行選手

小笠原から25時間の船旅での帰京後、昨日一昨日と経営者のゴルフコンペに参加しました。

両日ともに50名前後の参加で大きな会でした。

コロナ禍も終焉に向かいつつあり、こうした会が開ける様になってきたのはありがたいですね。

両日ともオリンピック選手や、元プロスポーツ選手が参加されていました。

親善バーベキューの会で、サッカー日本代表の城彰二選手と、”野人”岡野雅行選手と写真を撮っていただきました。

お二人が活躍され感動をいただいた1998年のW杯は記憶に新しいですが、もう20年以上前なのですね。

お二人ともスポーツ推進事業をされていて、立派な経営者です。

お二人はご許可をいただいたので、写真をアップさせていただきますね。

流石に船旅の直後で、身体が痛くてスコアメイクはできませんでしたが、気合い一発。スポーツ選手に混じって参加したゴルフでも、ドラコン賞はきっちりいただきましたよ。笑。


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