国際学会周遊記、南米ブラジル編もそろそろ総括したいと思います。
2007年にアルゼンチンに発表に行った時も、今回2024年にブラジルに来た時も思いましたが、どちらも経済の黄金期を経験した国でもあるのです。
ありし日の建築を観るとよくわかります。
僕の世界史的な知識ですが、南米は19世紀初頭には大きく繁栄しました。
宗主国からの独立運動により、南米諸国は新たな政治体制を築き、農業や鉱業が発展し、国際貿易が活性化しました。
ヨーロッパからの移民は技術と知識を持ち込み、鉄道や道路の整備により経済活動が促進されました。
また、鉱物資源や農産物の開発も進みました。
1908年からいわばアフリカの奴隷の代わりに労働力として呼ばれた日本やイタリアの移民がいた頃は、コーヒーや香辛料などでブラジルが莫大な富をあげていた時期です。
日本は移民受け入れに際して、ブラジル政府に対して、実に当時の日本政府は国費を使ってお金を支払ってまで契約を交わしているのです。
この事実を日本はブラジルに騙されたと表現する日系人もいました。
しかし、その後の経済的衰退の要因としては、政治的不安定と腐敗、経済の依存構造、インフラと教育の不足、不平等と社会問題、外部の経済ショック、経済政策の失敗が挙げられます。
多くの南米諸国ではクーデターや腐敗が続き、特定の輸出商品に依存する経済構造が国際市場の変動に脆弱でした。
インフラ整備や教育の遅れ、不平等の広がりが社会不安を引き起こし、世界恐慌や冷戦の影響も受けました。
また、経済政策の失敗や過剰な借入れ、ハイパーインフレーションにより経済が不安定化しました。
そして安全面。
今回リオデジャネイロでは観光地はまだ歩けますが、絶対に足を踏み入れてはいけない場所を教えられました。
サンパウロはより景気が悪く、市内は1人歩きは憚られました。
リオにもサンパウロにもファベーラと呼ばれる貧民街があり、一月数100ドル以下で暮らす人々が、銃を持ち、治安の低下を招いたとも言えるのです。
命に対するコスト意識が低すぎるんですね。
このような状況は、将来の日本でも起こり得るでしょう。
経済大国の地位を失ったというより、新たなインフラに乗り遅れて、技術大国の地位を失ってしまった事の方が日本の未来を語る上で致命的です。
さらに50年後、100年後の移民を受け入れざるを得ない日本では、唯一確実だった安全も脅かされるかもしれません。
このブラジル経済の後退期に、ブラジルを世界に知らしめた2人のスーパースターが、今や亡き、サッカーはサントスのペレと、F1のアイルトンセナとも言えるのです。
そして個人的な成績よりも、ペレはワールドカップで3度勝利。
その後アメリカに移籍して、世界のサッカーファンを獲得しました。
セナはF1チャンピオンを3度獲得して、同じようにモータースポーツを広く知らしめた功績があるとも言えますね。
最後にブラジルは日系人が多いため、僕も街中でポルトガル語以外で話しかけられた事が無かったです。
なんだか不思議な体験でした。