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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

カテゴリー:欧州 オーストリア編

■21st EADV Congress in Prague ‘Skin is Vital’⑬ オーストリア最西端 ブレゲンツ音楽祭

さて、まとめる時間が出来たので、先月訪れたヨーロッパ出張、前半のスイス~オーストリア~リヒテンシュタインについてのブログをアップしますね。

ザンクトガレンの大学の街を出て、ブレゲンツに入ります。

ちょうどグーグルマップで、今回の車での移動工程の地理関係がわかるような地図を切り取りましたので書き込んでアップしますね。こちらのコースをチューリッヒから時計回りに一周したのです。

こちらブレゲンツの大通り。

ブレゲンツはオーストリアの西端の街。

音楽祭で有名なところです。

こちらのホテルで、リヒテンシュタインの新興レーザーメーカーであるパンテック社の社長

Dr.クリストフと合流。

この街は、クリストフの生まれ故郷なのだそうです。

本年末に日本で話をした時に、僕がオペラ好きなのを話し

たところ、この場所に宿をとってくれたのです。

ホテルに着いた時にはちょうど雨が降ったのですが、湖まで歩くことに。

こちらの湖岸で1946年から毎年7月にブレゲンツ音楽祭が開催されます。

ちょうど雨上がりで夕日が沈む時でした。

湖岸が何とも言えず、神秘的ですね。

遠くに舞台のセットのようなものが見えます。

たどり着いてみると、この夏に終わった

ウンベルト・ジョルダーノのオペラ「アンドレア・シェニエ」公演の舞台です。

解体作業が進んでいました。

この湖岸には毎年違った舞台を作り、一年ごとに違ったオペラを演奏するのだと、クリストフが説明してくれました。

そして来年の題目はこちら。

モーツァルトの魔笛です。これは興味ありますね。

ぜひ観てみたい。

こちらの湖からは、ドイツへの船が出る港があります。

このような船で出航するのですが、船でドイツに行くのも一興ですね。

この後ビジネスミーティングを兼ねて古城での会食が待っていました。

 


■21st EADV Congress in Prague ‘Skin is Vital’③荷物戻りました オーストリア ブレゲンツへ

スイスでのラゲッジロストはきつかった。

真夜中に到着したので、歯ブラシなどの最低限、必要なものも購入出来ず。

翌日チューリッヒ空港に出向いて状況を確認したのですが、荷物は分からないが、あるとしたら翌日の同じ便でロンドンより届くだろうという事。

ところがなんと、翌日のLX便もディレイ。

ですが、荷物を待つ間、予定に無かったチューリッヒの観光が出来ました。

16時に荷物をピックアップ。

予定半日遅れで、そのまま車に乗り、約2時間。

オーストリアの音楽祭で有名なブレゲンツまでやってきました。

こちらでビジネスミーティング。

今年のブレゲンツの音楽祭で使われたセットの前でGaustad博士とともに。

この音楽祭は毎年題目が変わり、湖の上でセットが作られるのですが、来年度の音楽祭は魔笛だそうです。

ぜひとも観に来たい。

明日はリヒテンシュタイン公国に移動です。

 


■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月(24) ウィーンからロンドンへ ロンドン上空の景色

おはようございます。

今日3月2日は僕の誕生日。クリニックFの開院日です。

メールやFacebookでお祝いのコメントを沢山いただきました。

ありがとうございます。とても嬉しいです。

孔子の「論語」によると、40代は不惑の年です。

子曰

吾十有五而志于学

三十而立

四十而不惑

五十而知天命

六十而耳順

七十而従心所欲、不踰矩

子曰く

われ十有五(じゅうゆうご)にして学に志(こころざ)す

三十にして立つ

四十にして惑わず

五十にして天命を知る

六十にして耳順(したが)う

七十にして心の欲するところに従えども、矩(のり)を踰(こ)えず

こうした漢詩は、それこそ学を志した15歳の高校生の時に記憶したものですが、現在でも諳(そら)んじることが出来ます。

当時は暗記ものは嫌でしたが、高校生の時に勉強したことが、実体験として追経験され、教養として生きてくるのを感じられる年になったのですね。

不惑の40代に突入して早数年。

確かに40代になると、人生の目標も、自分が得意とする分野も決まってきましたので、人生の選択において些細なことには惑わずというのは理解できる気がします。

僕は医師という職業を選択したときに、一生勉強しようと心に誓いましたが、50歳で天命を知るために、社会経験を積んでゆきたいと思います。

さて、僕のブログは年始に訪れたロンドンへ舞台を移します。

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この日はロンドンへの移動日です。

早朝に地下鉄カールプラッツ駅へ

ウィーンは国際空港までのアクセスが格段にいいですね。

中心街から30分。

羽田空港のような感じで国際空港にチェックインできます。

オーストリア空港です。

これでドイツ語圏とはしばらくお別れ。

僕はブリティッシュエアウェイズに乗り込みました。

風向きがよかったのか、ウィーンからの航路がとても素晴らしく、上空からのロンドンを楽しめました。

タワーブリッジが見えます。

ビッグベンとロンドンアイ。

ロイヤルアルバートホールも見えてきました。

ヒースロー空港の近くは綺麗に整備された住宅地が続きます。

初めてロンドンに来た時も気持ちが高揚したのを思い出しました。

ロンドン・ヒースローに到着します。

昨年4度も来たロンドン。

日本でいうSuicaやイコカにあたる非接触型チップが入ったオイスターカードも持っています。

このカードで地下鉄に乗ると、約50分でロンドンの真ん中に出ることができるのです。

ロンドンについては次のブログで。

 

 


■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月(23) ペスト ハプスブルグの王宮 皇妃エリーザベト

おはようございます。今日から3月ですね。雪は溶けてしまいましたが、東京は地震が続き、またちょっと落ち着かない日々が続きそうです。

さて、今日3月1日は木曜日で、クリニックFは休診日です。

昨晩は執筆途中の論文を夜中まで書いていました。

今日も続きを仕上げ、時間があれば工学部大学院に顔を出そうと思っています。

僕のブログ新国際学会周遊記はウィーンの最終章。

こちらもようやく書き上げました。

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シュテファン寺院から王宮に抜ける、歩行者天国のグラーベン通り。

ウィーンに来る観光客が必ず通る、いわゆる目抜き通りです。

こちらは通りの中央にある「ペスト記念柱」。

圧倒的な致死率でもって恐れられた死の感染症「ペスト」。1679年にウィーンを襲ったペスト流行は、約10万人の死者を出したのですが、その終結を感謝して、皇帝レオポルド1世が建設したものだそうです。

ペストは人類史上、最も猛威をふるった病気とも言えます。

特にヨーロッパでは、定期的にペストの流行が起こりましたが、このペストが撲滅されるたびに各地で記念碑が作られてきました。

イタリアのローマにある、オペラ「トスカ」の舞台となるサンタンジェロ城もそうした記念碑の一つですよね。

ペストは高い致死性を持ち、症状が悪化するとペスト菌による敗血症から体内に出血斑ができたため、黒死病といわれました。

特に中世ヨーロッパを襲い、人口の3分の1を死滅させたペスト流行は、ペストが「神罰」であった時代から「公衆衛生」時代へと、ヨーロッパ人の死生観と社会構造を変え、中世のヨーロッパ時代からの転換を迎えるほどのインパクトがありました。

ヨーロッパを旅すると、病や死がいかに宗教、芸術、文化に関わっているか、それを改めて知らされる場面が多々あります。そしてそれは医師である僕にとって非常に興味深いことであり、色々と考えさせられます。

ペストは主にげっ歯類(ネズミ)によって介在され、ネズミを刺したペスト菌保有のノミにヒトが刺咬され感染するのですが、ヒトに流行する前にネズミに流行が起こるのだそうです。

この話で思い出すのは、ノーベル文学賞受賞者のアルベール・カミュの、その名も「ペスト」という作品。

1947年、戦後すぐの作品ですが、僕は高校生の時に読みました。

ペストに襲われたアルジェリアのある街を舞台に、ペストと人との戦いが始まります。

物語の初めに、主人公で医師でもあるリウーが、階段で死んだ一匹の鼠にふと気づきます。

やがて、人の中にも死者が出はじめ、リウーはその死因がペストであることに気付くのです。

住民は外部との接触を禁止され、さらに街が閉鎖されます。

住民の中にはリウーを中心した、治療に専念するグループ。

また、閉鎖された街からの脱出を試みるもの。

若者が苦しみながら死ぬのを見て、ペストで死ぬのは罪深いからだと説教する神父(彼は結局ペストで死んでしまうのです)。

家族を守ろうとして努力したリウーはこのペスト流行で妻を亡くしますが、時を違えずして、街でのペストの流行が何もなかったかのように終わるのです。

ペストの脅威と、脅威にさらされた時に人間が取る行動。

細かい人間描写が記憶に残った作品でした。

こちら、ハプスブルグの新王宮です。

ハプスブルグ家の実質的な最後の皇帝、フランツヨーゼフ1世の皇妃であったエリーザベトのシシィ(エリーザベトの愛称)博物館にも行きました。

以前にウィーンに来たときには行くことが出来なかったのです。

エリーザベトの並外れた美貌は、国民に愛され、さらには映画化やミュージカル化されていることで知られていますよね。

この美貌を維持するために、シシィは、本当に毎日のように、それこそ血のにじむような努力を続けたようです。

毎朝の運動。

生の仔羊肉、イチゴの美顔パック、オリーブ油浴、搾りたて牛乳ダイエット、オレンジダイエット、塩入卵白ジュースなどなど、今で言えば抗酸化物質とフレッシュな酵素を含む食材を規則正しく食べる。

まさに食のアンチエイジング医療の実践に励んでいたと言えますが、晩年には過度なダイエットと運動により膝関節や足関節に水が溜まり、歩くのにも苦労したと言います。

当時、レーザー照射系の医療技術があれば彼女の努力も変わったものになっていたでしょうね(笑)。

まばゆいばかりの金銀の食器。

ハプスブルグ家の繁栄を示すものばかりです。

王宮から出ると市庁舎が見えました。

こちらのネオゴシック様式の市庁舎もきれいな建物ですね。

中央の尖塔は98mの高さがあるそうです。

ウィーンは本当に綺麗な街ですよね。

いよいよウィーンからロンドンに移動となります。


■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月(22) ラデツキー将軍が持ち帰ったカツレツ

おはようございます。

今日2月29日(水)の東京は大雪。といっても、この程度で「大雪」なんて言ってしまうと北国の方に笑われてしまうかもしれませんが。

クリニックFの目の前にある上智大学もすっかり雪景色です。

 

僕のほうはといえば、クリニックFは開院日ですので、朝からこんな格好で出勤してきました。

もこもこです(笑)。

診療開始前に、毎月行っている医薬系企業との打ち合わせがありましたので、いつもより早めに出勤しましたよ。

うるう(閏)年の今年。僕は機械式時計が好きで、永久カレンダーが4年に1度の役割を果たすこの日をいつも楽しみに待っています。

今日も日付を示す針が29日になり、ちょっと感動しています(笑)。

さて、ブログ「新国際学会周遊記」は、引き続き年始に訪れたオーストリアのウィーンブログ。

今回は、オーストリアの食事についてすこしご紹介しておきますね。

書きたいことが多すぎて、なかなか終わりません。予定ではあと二つでウィーンについては書き終わり、ロンドンに場所を移す予定です。

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オーストリア・・・ハプスブルク王朝の多民族国家では、様々な国の多彩な食文化が融合して今のオーストリアの食が出来上がったと言われています。

その中で僕が好きなのは、ヴィーナー・シュニッツェル。

ヨハン・ヨーゼフ・ヴェンツェル・フォン・ラデツキー伯爵。つまり、ラデツキー将軍がイタリア(ナポリという説もあるのですが)から持ち帰った、いわゆる「ミラノ風カツレツ」です。

揚げたてにレモンを絞ってかけると本当においしいですよね。

ラデツキー行進曲と言えば、ニューイヤーコンサートの締めの曲の一つですよね。

音楽って素晴らしいなあと思います。

 


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