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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

カテゴリー:欧州 チェコ編

■21st EADV Congress in Prague ‘Skin is Vital’38 チェスキー・クルムロフへエクスカーション

チェコ滞在最終日。

僕は車を借りて、チェコの世界遺産の一つであるチェスキー・クルムロフを目指しました。

チェコの高速はスピード制限はありますが、非常に空いていて快適です。

約200kmの道のり。

快適に飛ばして、約3時間ぐらいかかったでしょうか?

駐車場に車を止め、チェスキー・クルムロフ城を目指します。

13世紀の南ボヘミアの貴族ヴィトーコフによって作られた建物が始まりと言われています。

駐車場からヴルダヴァ河をわたると城が見渡せる場所に出ます。

美しい城が見えてきましたよ。

城の入り口には何やら人だかりがあります。

のぞいてみると、クマです。

城で飼われているのだそうです。

城に入るとまず大きな塔が見えます。

塔にも登りました。

中世そのままの街が広がる眼下の景色。

チェコが旅行者を魅了するのはわかりますよね。

美しい情景ですね。

このチェスキー・クルムロフ城を中心に、街が広がります。

少しの間散策してみましたが、中世の街に迷い込んだような錯覚に陥りましたよ。

 


■21st EADV Congress in Prague ‘Skin is Vital’37 スメタナホール

おはようございます。

今日11月10日(土)はクリニックFの診療日です。

明日、正確には今晩1時半の便で今年最後のヨーロッパに出張に出発するのもあるのですが、朝からクリニックは患者さんがいっぱい。

電話もずっと鳴っていますが、今日だけでも何件かスタッフの手が回りきらず、対応しきれなかったお電話がありました。

ご迷惑おかけして、すみません。

再度のヨーロッパ出張なのにも関わらず、まだ前回のヨーロッパ皮膚科学会でのブログが終わっていないのですが、あと5つぐらいの記事で終わらせますので、どうぞお付き合いください。

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アールヌーヴォー様式の建物である市民会館は、1912年11月22日に6年の歳月をかけて完成しました。

1918年チェコスロバキアが独立宣言した場所であり、プラハの春音楽祭のメイン会場としても有名です。

このホールに見学ツアーがあると聞いて、プラハ滞在最後の日に行ってきました。

中から見るとこのような感じ。

ホールに入ると、思ったよりも巨大で音響もよさそうです。

随所に美しい壁画が描かれています。

ムハの描いたものもあるのだそうです。

天窓はこのように透けています。

このツアーは、コンサートホールの二階にある、いつもは観ることのできないアールヌーボー様式の控室を見学できるのです。

調度品の数々が志向を凝らしてあって、素晴らしかったですよ。

少し写真をご覧ください。

中でもガイドさんが力を入れて説明していたのは、こちらの部屋について。

天井画や壁画を含めてムハが描いた部屋があるのです。

このようなスペースがスメタナホールにあったのですね。

驚きました。

独特の趣向を凝らした建築に、感銘を受けました。

ツアーの最後には、地下のバーで飲むことのできるチケットが渡され、僕はピルスナービールを選択しましたよ。

 


■21st EADV Congress in Prague ‘Skin is Vital’35 カレル橋

ヴルタヴァ川にかかるプラハ最古の美しい石橋 カレル橋。

1357年に着工され、60年近くかけて完成。

その後600年の歳月を経て、数々の洪水に耐えてきた技術には目を見張りますね。

橋の上には彫像が立っています。

全部で15対30体。

観光客で一杯です。

ストリートパフォーマーもいました。

このカレル橋横からプラハ城を望む景色は絵になりますね。

何枚も写真を撮ってしまいました。

こちらはプラハ名物のロールパン。

街の至る所で見ることができました。

 

 


■21st EADV Congress in Prague ‘Skin is Vital’34 カフカの家 30年戦争 ウェストフェリア条約後の世界情勢

おはようございます。

今日11月9日(金)は、クリニックFの診療日です。

昨日の休診日も引き続き、工学部大学院で投稿論文の校正作業に終日入っていました。

レビューワーの指摘を一点一点ディフェンスしていくのですが、ものを作るサイドにいる工学と、作られたものを利用するサイドにいる医学とは視点が全く違いますね。

非常に勉強になる反面、とても苦労するところでもあります。

今週日曜日から、今年最後のヨーロッパ(イタリア)出張が入っており来週一週間作業ができないのはちょっと辛いところですが、頑張ってぎりぎりまで努力してゆきたいと思います。

さて、ブログ「新国際学会周遊記」は、プラハ城の続きです。

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プラハ城は30年戦争が始まるきっかけとなった場所です。

30年戦争とは、神聖ローマ帝国を舞台として、1618年から1648年に戦われた国際戦争。

「最後の宗教戦争」、「最初の国際戦争」などと形容されていますよね。

1617年にボヘミア王となったフェルナンド2世は、熱心なカトリック教徒として新教徒を弾圧します。

その仕打ちに怒った民衆が、翌年プラハ城の窓から国王顧問官ら3名を突き落とすという事件を起こすのです。

こちらが問題の部屋にあった説明図。

そして文章です。

この部屋の写真は撮れなかったのですが、窓からの景色は写真を撮りました。

こんな景色の場所に突き落とされてしまったのです。

神聖ローマ帝国を軸に始まった30年戦争は、ハプスブルグ家とブルボン家などの王朝家系の代理戦争に発展し、フランス革命に続くヨーロッパの時流を大きく変えたといわれています。

欧州史上、非常に興味深い戦争ですよね。

1648年に結ばれた多国間条約であるウェストフェリア条約によって終結しますが、この講和条約はヨーロッパに新たな国際法のシステムを作り上げました。

さらに神聖ローマ帝国の中で戦場となったドイツの国土は荒廃し、その結果、約300の領邦国家の分立状態が確定するようになり、イギリスやフランスなど早期に統一国家を作った国々との争いに出遅れることとなるのです。

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このプラハ城の一部に黄金小道と呼ばれる路地があります。

この一角にフランツ・カフカの仕事場があるのです。

高校生の時に「変身」を読みました。

カフカは現在、ジェイムズ・ジョイス、マルセル・プルーストと並び20世紀の文学を代表する作家と評価をされているのだそうですよ。

こちらの小さな家でカフカが執筆作業をしていたのだそうです。

この小道を出ると、プラハ城はおしまい。

小高丘を下りながら、カレル橋に向かいます。

美しい街並ですね。

 


■21st EADV Congress in Prague ‘Skin is Vital’33 プラハ城とムハのステンドグラス

おはようございます。

今日は木曜日、クリニックFは休診日です。

ランチ・ミーティングがひとつ入っていますので、それが終わった後、工学部大学院に行って教授と今後の方針についてディスカッションしてこようと思います。

さて、ブログ「新国際学会周遊記」は、先月末にヨーロッパ皮膚科学会中にプラハ城を訪れたときの話が続きます。

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この日はメトロに乗って、プラハ城を訪れました。

以前来た時に感動したのがムハの作成したステンドグラス。

前の時には小さなカメラしか無かったのですが、良い写真を撮りたいと思い、この日のためにOMDに新しいレンズを購入したのです。

こちらの城は、ボヘミア王国の全盛期だった14世紀からほぼそのままであると言われています。いわゆる中世の時代から建っている街並みそのものなのです。

映画「アマデウス」がこのプラハで撮影されたことは有名な話ですが、さもありなん。

街のどこを切り取っても絵になるフォトジェニックな街です。

目指すはプラハ城の中心にあるゴシック様式の聖ヴィート大聖堂。

建物も見事です。

この建物には多くのステンドグラスがあるのですが、入って左手二枚目のステンドグラスがムハの作品「聖キリルと聖メトディウス」であることが知られています。

こちらです。

アール・ヌーヴォーを代表するグラフィック・デザイナーである、アルフォンス・マリア・ムハ(ミュシャ)。

このステンドグラスは色彩感覚が飛びぬけて素晴らしいですよね。

よいカメラで撮影できてよかったです。

厳かに時間が流れています。

元気をもらいましたよ。

 

 


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