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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

カテゴリー:欧州 ポルトガル編

■EADV 2011in Lisbon,Portugal20 サン・ジョルジェ城の日の入り

ここは本当に急な坂。

やっとの思いでサン・ジョルジェ城にたどり着きます。

こちらはユリウス、カエサルのローマ帝国時代にローマ人によって要塞として建設された場所。

現在は公園になっています。

日の入りに、まさに数分のところで間に合いました。

大西洋に沈んでゆく太陽。なかなか観られないですよね。

しかし、本当のリスボンの美しさを見たのは、日の入り後でした。

ご覧ください。町全体が紫色に変わってゆくのです。

城のある丘を降りるときにはもう薄暗くなっていました。

素晴らしい景色ですね。

登りの時には急いでいて写真を撮れませんでしたが、こちらが城門です。

もう日が暮れてしまいました。この日はタクシーを拾ってホテルに帰りました。

わずか48時間余りのポルトガル滞在でしたが、本当に良い天候と景色に恵まれましたよ。

明日は早朝、ロンドンに移動です。


■EADV 2011in Lisbon,Portugal⑲サン・ペドロ・デ・アルカンタラ公園

ラザーニャを食べた後に移動したのは、サン・ペドロ・デ・アルカンタラ公園。ちょうどリスボンの西の丘にあたる場所で、夕暮れ時に訪れると良いと勧められたのです。

アウグスタ通りを歩いて地下鉄の駅に向かいます。

路上には大道芸人が沢山いましたよ。

Ducatiを見つけました。

小さなケーブルカーに乗って、丘の上を目指します。

前を並んでいる人を見ると、EADVのコングレスバックですね。学会の後に寄ったのでしょう。

ケーブルカーを降りると、すぐ右手がサン・ペドロ・デ・アルカンタラ公園でした。

展望台に向かいます。

見えた景色がこちら。夕暮れ時の見事なポルトガルの街です。

さらにこの公園の裏手には1584年に苦難の航海ののちにリスボンにたどり着いた、日本の天正遣欧少年使節が1か月滞在したといわれるサンロケ教会があります。

こちらも扉が閉まってしまい、中を観ることはできませんでした。

東の丘にあるサン・ジョルジェ城から見ると、夕日が沈むのが見えるのではないかなとふと思いたち、ここで路面電車に乗り、東の丘に向かいます。

途中

途中、アルファマ地域のカテドラルに寄り道します。

こちらのピエタ像も素晴らしかったですよ。

カテドラルを出て、丘の上に向かいます。

途中、おいしそうな海鮮料理屋さんが並んでいますが、日の入りが迫っています。


■EADV 2011in Lisbon,Portugal⑱コメルシオ広場にてラザーニャ

ファティマからの帰り、リスボンの地下鉄に乗って、河沿いのコメルシオ広場に向かいました。

この広場はもともとマヌエル1世の宮殿のあった場所。1755年の大震災で破壊されてしまったそうです。

さらにこの広場は、1908年に衝撃的な歴史の舞台になります。

当時のポルトガル国王カルルシュ1世とルイス・フィリペ皇太子が狙撃されたのです。

カルルシュ1世は即死。さらに皇太子のルイスは襲撃され負傷してから死亡するまでの約20分間に王位に就いていたとされており、2011年時点で世界一王位に在位していた時間の短い国王であるとギネスブックに認定されているのだそうです。

なんだか悲しい話ですね。

ちなみにカルルシュ1世は、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の孫にあたる人です。ヨーロッパの王族は血族ばかりです。

河沿いの広場でしたので、リスボンの海の玄関口とも言われています。

皆思い思いに海(正確には河ですが)を楽しんでいます。

僕はこの広場の一角のレストランで遅い昼食を取ることにしました。

ワインを片手に楽しんでいる家族もいます。

ここでワインと一緒に食べたラザーニャ?

おいしかったなあ。

席からは路面電車が見えて、ちょっと楽しかったですよ。


■EADV 2011in Lisbon,Portugal⑰ 聖地ファティマへ

ファティマという地名をご存知ですか?

第一次世界大戦中の1917年5月13日に、リスボンから北東のファティマという土地に住む、3人の子供たちが荒れ地で遊んでいると、彼らの前に聖母マリアが現れました。

今後5か月の間、同じ13日にこの場所に現れると言い残すとマリアは消えたのです。

翌月の6月13日に多くの村人が3人とともにこの場所に集まりましたが、再びマリアの声が聞こえたのは3人の子供たちのみ。

しかしながら、この噂は村から村へと伝わり、最後の10月13日には奇跡を見ようと7万人の人が集まったのだそうです。

その際に、マリアは3人だけに聞こえる声で、この地に礼拝堂を建てよと指示をしました。さらに3つの予言を残したのです。

これが有名なファティマの予言です。

ひとつ目は第一次世界大戦の終結。

二つ目は子供たちの死に対する予言でした。

ところが、ファティマ第三の予言は、あまりに衝撃的で、ローマ法王とこの3人の間で口外しないという約束があり、予言を聞いた際にローマ法王が恐ろしさのあまり失神したなど、さまざまな噂と憶測を呼びました。

この1917年のファティマ第三の予言は、法王が生命の危機に瀕するというものだったようで、結局2000年に、1981年のヨハネパウロ二世が5月13日にヴァチカンでの狙撃を意味したものだったのだろうと発表されました。

1917年というと、わずか94年前。

キリスト教の聖地として認定されている場所の多くが紀元前後に設立された場所ですから、伝承によって、事実がすり替わりつつあるとはおもいます。

しかし、わずか100年前に予言がなされたという、現役の聖地に、ぜひ訪れてみたいと思っていました。

リスボンに着き、このファティマへは5時間あれば日帰りできると知って、行ってしまいました。

ファティマにはどう行けばいいか、ホテルで聞くと、バスに乗るのがよさそうだとわかりました。

バスステーションまで地下鉄を使い、

ファティマ行のバスのチケットを買います。

バスは高速道路に乗り、一路ファティマを目指します。

ファティマに向かう途中はこんな景色が続きます。

このファティマという土地は、元々オリーブの木の生える単なる荒地だったのです。

2時間ぐらい走ったでしょうか。

ファティマのバスステーションに着きました。

最初に着いた時には、

ここがあのファティマか?

と驚くような風景。

違う場所に降りたかと、確認に行ったぐらい。

しかしながら、道を歩いてゆくと宗教関係のお店がたくさんあることに気づきます。

このような商店街を超えるといきなり視界が広がります。

白いバジリカが、青い空に対してコントラストがあって、綺麗ですね。

上の写真の左手には、出現の礼拝堂があります。

こちらはちょうどミサ中。

土曜日だったのもあるのでしょうが、かなりの人出です。

聖歌が流れ、荘厳な雰囲気。

まさに宗教を肌で感じる、現役の聖地です。

新しい教会ですので、綺麗ですね。

内部には奇跡に立ち会いながらも幼くして逝った二人の子供たちフランシスコとジャシンタのお墓がありました。

バジリカの前は、大きな広場です。

5月13日と10月13日の大祭の日には、この広場に今でも10万人規模の人が集まるそうです。

広場のバジリカの対面には、新しくできた教会もあります。

もちろん中身のデザインも素晴らしかったのですが、僕が気に入ったのは、この建物から出るときの建築デザイン。

遠くに見える純白のバジリカを観ながら、空を飛ぶような感覚でしたね。

ファティマでは、バスの時間の関係で、実際には1時間ほどの滞在しかできませんでしたが、百聞は一見にしかず。

実際に歩き、目にしてスケール感を体感できてよかったです。


■EADV 2011in Lisbon,Portugal⑯ O Faiaにてファドを聴く

リスボン一日目の晩。

ヨーロッパの企業の方に、ファドハウスに行かないかと誘っていただきました。

ポルトガルに来たら、やっぱりファドは聴きたいですよね。

このO FAIAはファドの名店なのだそうです。

この日はこのお店は8時半に始まりましたが、すでに予約で満席です。

この日の歌手は全部で4人。

ポルトガルの白ワインとともに、料理を食べながらの観賞。

白身魚のスープですが、美味でした。

最後の歌手が歌い終わった時には12時を過ぎていましたね。

再度は、お店の入り口でファドの演奏でお見送りをしてくれました。

ところが、一歩外の路地に出ると、細い路地が驚くほどの人出です。

店に入った時には人通りがほとんどなかったのに...。

金曜日とは言え、夜の12時過ぎです。

それこそ、10代前半の子供からお年寄りまで街に出ています。

僕も全くタクシーが拾えず、かなり歩くことになりましたが、それにしてもポルトガル。

大丈夫なんでしょうか…。


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