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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

カテゴリー:欧州 イタリア ローマ編

ローマ コンドッティ通り、カフェ・グレコ

スペイン広場の先にはローマ屈指の高級ショッピングストリート=コンドッティ通りがあります。

通りの入口に、「Antico Caffe Greco」というカフェがあります。

創業は1760年。ローマ最古のカフェとして知られています。

ゲーテ、アンデルセン、ロッシーニ、リスト、ワーグナー。。。数多くの著名な作家や芸術家に愛され、とりわけドイツ人の芸術家が大勢押し寄せたので、このカフェは「カフェテデスコ(ドイツカフェ)」と呼ばれていたそうです。

お店に入ってすぐに、おいしそうなスイーツの並ぶショーケース。

コーヒーを中で飲みたかったのですが、残念ながら中は一杯とのこと。

久しぶりなので、街を見ながら、トレビの泉に行ってみようかと店を出ました。

スペイン広場を背にして歩きだしたのですが、名残惜しくて何度も振り返ってしまいましたよ(笑)。


スペイン広場にベルリンの壁、母の思い出

再びイタリア出張記です。

ヴァチカンを訪れた後は、地下鉄に乗ってバルベリーニ広場に向かいます。

有名な4匹のイルカに乗ったトリトーネの泉で知られる場所です。

そこからシスティーナ通りを上がっていくと、あのスペイン広場に出るのです。

スペイン広場の上に見えるトリニタ・デイ・モンティ広場のオベリスクが見えてきましたよ。

スペイン広場に近づくと、視界がさっと開けるところが好きなんですよね。

上からスペイン広場を眺めてみると、中腹に何やらモニュメントらしきものが飾ってあります。

階段を下って見上げるとわかりました。

この通り、ベルリンの壁が移設されているのです。

壁崩壊の20周年期間限定の記念イベントなんでしょうか?

でも、デザインとしては意外としっくりくるものです。

皆さんもそう思いませんか?

さて、スペイン広場と言えば、、オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」ですよね。

この場所でジェラートを食べるヘップバーンがとても印象的でした。今はもうここで食べることはできなくなってしまったそうですが。

スペイン広場にちなんで、僕は母から思い出話を聞いたことがあります。

カトリック系の学校に通っていた僕の母は、結婚前に3年間ほどスペインとコロンビアの教会でボランティアをしていた時期があったそうです。

1960年代の話です。

ちょうどスペインからコロンビアに移動する途中、サマー・ボランティアで1ヶ月半ほど、このローマのスペイン広場近くに下宿していたことがあるのだと、子供の頃よく聞かされていました。

このボランティアにはヨーロッパ各地から子女が集まり、そうした国際交流もとても楽しかったのだそうです。

ヨーロッパの学生は、遠い場所でも電車やバスを使わず本当によく歩くのよ

と、母は言っていましたっけ。

また、「ローマの休日」公開以後、このスペイン広場が一気に有名になり、ここで映画の撮影が当時行われていたのを何度か目にしたそうです。

後でアテレコをするからでしょうか。俳優さんが毎回「口ぱく」状態で言葉を発せず口だけ動かした状態で演技をしているのが、見ていてとてもおもしろかった、皆で大笑いしながら見ていたのよ、と聞いたことがあります。

歩いていてそんなことを思い出しました。

 

 


サン・ピエトロ大聖堂

晴天のサンピエトロ大聖堂です。

初冬でしたが、とても暖かい日でした。

サン・ピエトロ大聖堂はキリスト12使徒の長であった、聖ペトロの墓所があった場所に建てられたといわれています。

マタイ福音書には、聖ペトロがイエスから天国への鍵を渡されたことが記されています。

西洋の絵画で鍵を持った人が描かれていれば、聖ペトロの物語を描いていると判断できるのです。

ですからこの彫刻の示す人物は聖ペトロですよね。

反対に、鍵と対に剣をもった人が描かれていることがありますが、それは聖パウロという聖人です。

 

この日のサン・ピエトロ大 聖堂の目の前の広場は、来るクリスマスのイベントの準備のため、ものすごい多くの椅子が並べてありました。

あまり見ない光景でした。

こんな写真も撮りました。

毎回来て思いますが、ファサードだけでも、すばらしいですね。

大きな柱の下に、米粒みたいに見えるのが人です。

50階建てのビルが入る高さなのだそうです。

ヴァチカンを守っているスイスの傭兵さんです。

コスチュームもよく変わるらしく、写真を撮る列が並んでいました。

中にも久しぶりに入りました。

中央に光が差し込んでいる茶色のステンドグラスがわかりますか?

この写真だと、半分柱に隠れてしまっていますが。

ここには、精霊の象徴である鳩が、光の中に描かれています。

建物内外の小さな彫刻も、注目してみると、どれも素晴らしく、さすが世界最大の大聖堂です。

こちらの彫刻も見事です。

入口右側には、ミケランジェロのピエタもありましたよ。

前の時には直接観れた記憶があるのですが 、残念ながら今回はガラスの奥に入っています。

ピエタについては詳しいことは、次のブログでふれますね。

 

 


ヴァチカン市国 システィーナ礼拝堂

翌日、朝からヴァチカンに向かいます。

この日のローマは、朝から霧。

サンタンジェロ城も霧の中。

20年以上もローマに住んでいるというホテルの人が、

霧がかかることは本当に珍しいけれど、そんな日はたいてい快晴になるよ

・・・と言っていましたが、確かに30分もしないうちにこんな空に変わりました。

僕はこれまで何度かローマに来ていますが、快晴だったことは一度もないのです。

貴重な体験ですね。

この日はシスティーナ礼拝堂を見ようと、早朝に、まずヴァチカン博物館の入口にやってきたのです。団体入口と個人入口がありますが、個人の客はなかなか入れない仕組みになっています。

僕は、英語のツアーに参加することにしました。

このヴァチカン博物館ですが、ご存知の通り、歴代法王のコレクションがある世界有数の美術館です。

僕は20年前にローマに来た時に見学した覚えがあります。

博物館にはこの地図の間や、

「ラオコーン」

ラファエロの「アテナイの学堂」など、

数多くの美術品がたくさん並んでいます。

システィーナ礼拝堂の天井にフレスコ画そして、ミケランジェロの「最後の審判」の絵についての説明を、部屋に入る前に30分にわたり聞きました。

写真は禁止されていたので、これは複写ですが、絵画史上の大傑作といわれるだけありますよね。

次に来られるのはいつのことだろう。

いつまでも眺めていました。


ローマで選んだ宿

ローマで宿泊するホテル。

どこにしようか、あれこれと見て、ローマ クイリナーレ ホテルというホテルにしました。

決して高級なホテルではありません。

でも、音楽好きな人に言えば

「なるほど、そこを選んだのか!」

と、わかるかもしれませんね。

共和国広場のナイアディの噴水(三越ローマ支店があるところです)から、

ヴィットリオエマヌエーレ2世の像があるヴェネチア広場に抜ける道の途中にあるのです。

このホテルの場所は、ローマ オペラ座のほぼ裏にあたります。

ローマに行かれた方はご存知かと思いますが、ローマ市内は地下鉄が二路線しか通っていません。

おそらく、地下鉄を掘ると、古代遺跡にぶつかってしまい、工事の予定が立たないのでしょうね。しかも、ローマの治安は必ずしも安全ではありません。

このホテルに泊まるとオペラで夜が遅くなっても、歩いて帰れるのは魅力的ですし、そしてなによりも、あの20世紀最高のソプラノ歌手とも言われるマリア・カラスが定宿にしていたことで有名なホテルなのです。

ホテルとしての評判は正直言って今ひとつのようですが、オペラ好きな僕としては、一度行ってみたかった。

マリア・カラスの絶頂期は10年ほどといわれ、他のソプラノ歌手よりも短いのです。というのも、マリア・カラスはこのローマのオペラ座である事件を起こし、それをきっかけに絶頂期は終わりを向かえ急速に没落していったと言われているからです。

きっとその事件を起こしたときにも、このホテルに宿泊していたのでしょう。

どんな気持ちでその夜を過ごしたのか。

ホテルの入口に華やかさはありません。写真を撮るのも控えてしまうほど。

中に一歩入るとこんな感じ。

待合のロビーでは無線LANが使える様子。イタリアの旅でようやく安定したネット回線が拾そうです。

誰もいませんでしたが、こちらが食堂です。

1958年1月2日。

マリア・カラスは、ベッリーニの「ノルマ」に出演すべく、オペラ座に向かいます。

題名にもなっているノルマを演じたカラスは、第一幕終了後、発声の不調を訴え、突如出演を放棄してしまうのです。

場内は怒号の渦巻く大騒動となり、オペラ史上でも後世に残る事件となってしまいます。

そのときの映像をYou Tubeで見つけ、これを見てから今回の出張に出発しました。

別バージョンはこちら。

歴史の舞台ともなったオペラ座に、これから急いで向かいます。

 


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