7月のロシア出張記は、まだ続きます。
さて、この写真の地は、ペトロパヴロフスク要塞です。
要塞の城郭が、写真でわかりますか?
サンクトペテルブルグの歴史は、この要塞の建設が始まった1703年に始まりました。
エルミタージュ美術館やイサク聖堂の対岸にあたる場所。ネヴァ川をはさんでエルミタージュ美術館がきれいに見えます。
この要塞の中央にあるのがペトロパヴロフスク聖堂。
鐘楼の高さも122mあり、サンクトペテルブルグの遠くからも目視できるこの聖堂に、ピョートル大帝以降の歴代皇帝が埋葬されているのです。
観光客でいっぱいですね。
シンプルな外観と違って、内装は素晴らしく荘厳です。
実は昨日訪れたエカテリーナ宮殿から北に少し歩いた場所に、ロマノフ王朝最後の皇帝・ニコライ2世の家族が住んだアレクサンドル宮殿という、小さくひっそり佇んでいるような宮殿がありました。
現在外装の修復もされておらず、一部のみの公開でしたので、あまり写真も撮らなかったのです。
でも、この古びた宮殿は歴史的にはとても大きな意義を持っていました。
ニコライ2世とその家族が、その宮殿で1905年以降、引きこもった生活をおくっていました。日露戦争での敗戦が、ロシア皇室の権威を失墜させたのです。さらに1917年のロシア革命で家族はシベリアに連行され、ロマノフ王朝の血脈を絶つために、子供を含め全員が処刑されました。
アレクサンドル宮殿には、所持品や家族写真のパネルの展示があって、僕はとても心が痛くなるような気持ちを味わったのですが、実は、ニコライ2世とその家族は、1998年になってようやく、この歴代皇帝が眠るペトロパヴロフスク聖堂内に埋葬されることを許されたのだそうです。
19世紀、20世紀に起こった政治的革命は、皇室を全員処刑して、血脈を絶つという形で決着をつけた場合が多いですよね。
この場所を歩いていて、ほぼ同じ時代に、大政奉還という形で、政治を天皇に奉還し、公には無血革命を行った徳川幕府と明治時代のブレインたちの方法が、いかに斬新で、優れていたかをふと思い出し、僕は日本に生まれたことをとても誇りに思いましたよ。