仕事として選んだ医学と、人生最大の趣味であるクラシック音楽や舞台芸術。
この二者は理性と感性という、いわば僕の判断基準の両輪とも言えるもので、「医学と音楽のコラボレーション」をいつか実現したいと以前より思ってきました。
本年「藤本ミュージックアカデミー」を設立し、その足がかりがいよいよできつつあります。
これについてのご報告は新たに今月末行いたいと思っています。
昨晩は今月2度目のラフマニノフピアノ協奏曲第2番ハ長調を聴きに行きました。
ご縁あって関係者席をお取りいただきました。
指揮者がよく見える、舞台裏側のP席です。
東京フィルハーモニー管弦楽団、ピアノのソリストは昨年開催された第16回グリーグ国際ピアノコンサートで第一位を取ったばかりの高木竜馬さん。
僕の好きな漫画「ピアノの森」のアニメ版で雨宮修平役のピアノ演奏でも著名ですよね。
先週は辻井伸行さん、さらに今週は高木竜馬さんと、今第一線の若手の二人の日本を代表するピアニストが、同じ6月にサントリーホールと東京オペラシティというまさに東京の2大ホールでこの曲を弾くというのも、何かの巡り合わせですかね。
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今回の一柳富美子さんの解説には、社会主義国ソ連が自由主義国ロシアに転換して27年が経ち、体制激変の影響はこの10年で音楽業界にも及んでおり、それまでのロシア音楽の解釈はほぼ書き換えられる必要があると書かれていました。
確かに音大出身ではない僕にとって、曲や作曲家の知識は、LPレコードレーベルや、映画、日本語の著作に書かれた事ばかりでした。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、といえば
曲が生み出された経緯については、1897年の交響曲第1番初演失敗により、うつ病にかかったラフマニノフが催眠療法のダーリ博士の治療によりスランプを脱し、立ち直って書かれたものというのが通説でした。
その話により僕も、ラフマニノフがいわゆる内気でナイーブな27歳の若者であった頃に作られた楽曲なのだ、というイメージを常々持ってこの曲を聴いてきたのです。
ですが近年の研究では、こんな風に云われているそうです。
「幼い頃から叩かれ慣れていたラフマニノフは、この失敗からもすぐに立ち直った。さらにこの作曲の時期は、新進気鋭のオペラ指揮者として八面六臂の活躍をしていて、決して病的な若者ではなかった事がわかった。
実際にダーリ博士の催眠療法は数回しか受けておらず、効果もほとんどなかったが、彼の律儀な性格により、この曲の被献呈者とされた。」
と。
うーん。
いわば常識と信じてきたことが覆されますが、これも音楽を学ぶ面白みの一つですよね。