今回の御題は、注目する5人の美容皮膚科医の注目する化粧品材料。クリニックFでも販売中のナノラディエンスクリームを取り上げていただきました。
もとよりこのナノラディエンスクリームは高浸透型のAPPSと、抗酸化剤のフラーレンを使用した、パワーコスメであり、同時に高級クリームのテクスチャーを目指して使い心地にこだわった一品です。
今までもいくつかの化粧品の開発に携わってきましたが、かなり上出来の部類だと思っています。
今回の御題は、注目する5人の美容皮膚科医の注目する化粧品材料。クリニックFでも販売中のナノラディエンスクリームを取り上げていただきました。
もとよりこのナノラディエンスクリームは高浸透型のAPPSと、抗酸化剤のフラーレンを使用した、パワーコスメであり、同時に高級クリームのテクスチャーを目指して使い心地にこだわった一品です。
今までもいくつかの化粧品の開発に携わってきましたが、かなり上出来の部類だと思っています。
最近、NHKのプロフェッショナルという番組をビデオに撮ってみています。これは以前あったプロジェクトXの後番組で、仕事のプロを取材して、追っていくものです。
実は、以前に書いた脳科学者である茂木健一郎さんが司会なのです。
よく読む本の作者が、テレビの司会をしていると、テレビのコメントによって、その著作の理解が深まることがあります。面白いことだなあと思っています。高校生のときに僕が好きだった三島由紀夫や、谷崎潤一郎が、テレビの司会をする番組が、その当時あったら、きっとかじりついて観たのでしょう。
その茂木さんが脳に想像力を持たせるためには、スケジュールに空白の時間が大切であるとコメントしていました。日々の仕事に追われて”てんぱった”状態だと、想像するどころではないのでしょう。
僕は鎌倉で生まれ、藤沢で育ちました。親の教育方針で、公立の学校に行っていたので、高校生になるまで塾には行かず、のんきに田舎暮らしをしていました。でもそのときの体験が、想像力を鍛えていたと思うのです。
家のとなりの空き地でトンネルを掘って遊んだり、基地を作って遊んだり、海で泳いだり、江ノ島の洞窟を探検したり、近くの川にザリガニやフナを取りに行ったり、鎌倉の八幡宮でせみを取りに行ったり。
でも、考えてみれば、子供の遊びは、子供なりに本当に頭を使って工夫するものです。ザリガニひとつ吊り上げるにも、えさはどうするとか、ザリガニの前に、どうやってえさをぶら下げたら釣れやすいとか。海でおぼれないようにするには、潮の流れに乗って泳いだほうがいいとか。
こうした空白の時間があったからこそ、想像力が豊かになり、好奇心が生まれたのだと思います。
同じようにビジネスも、参入障壁が高く、簡単に人に真似できない、しかもニーズとシーズをつかんだ、実は生活になくてはならない新しいビジネスモデルを思いつくために、想像力が必要です。
野原で遊んでいた私達の両親の時代の努力によって、日本は高度経済成長をしてきました。今の子供は、小さいときから塾に通わされますし、第一、東京にはいわゆる自然の遊び場が少ないですよね。コンピューターゲーム上では、工夫するといっても、想像力が生かせるところが少ないです。日本の教育に足りないといわれている想像力を伸ばすためには、小さいときから自然と戯れる経験が必要なのではないでしょうか?
先日米国レーザー学会ASLMS(American society for Laser medicine and surgery) の今年の会員証が送られてきました。
ちょっとデザインが変わったのかな?と思っていたら、
昨年までただのMENBERだったのに、FELLOWに格上げされているのです。
しかし、何でだろう??ここ数年、学会発表をするため、アメリカに何度も渡ったからでしょうか?
お医者さんだったらわかって頂けると思うのですが、アメリカの医学系の学会のFELLOWになるって事は、実はすごいことなのです。日本では、大学教授レベルを見渡しても、数人ではないでしょうか?
とても嬉しい知らせでした。
その講師会が今日開かれ、仕事の合間に初めて参加してきました。この経営大学院は海外の大学の日本分校なので会議は英語で行われたのですが、ファイナンス系の講師として召集がかかった面々に、インド人が多いのには驚きました。インドは21もの言語が存在するため、会社などの公共の場で働くときは、ほとんどは英語(一部ヒンドゥー語)の会話になるのだそうです。どうりで英語が上手いわけだと感心していたのですが、ファイナンスといえば、やはり数学の知識は切り離すことが出来ません。
今のアメリカのITのシステムエンジニアは、インド人の比率が非常に高いとか。インドの数学教育のレベルは非常に高いことを思い出しました。インド人は九九を、20×20の段まで憶える事が義務付けられています。日本の九九の実に4倍! それだけでも膨大な記憶量が必要ですよね。
数学においては、インド人が世界史上最初に発見した“0(ゼロ)”という概念によって、十進法が可能となり、負数(マイナス)の概念も確立したわけで、まさにインドは近代数学の祖といえます。
ゼロという概念を初めて見つけるというのは、考えてみると、本当にすごいことだと思いませんか? ゼロは負数や虚数と違って、実際に存在する数字だと言えます。しかし、誰かが気付かない限り、認識は出来ないのです。インド人はきっと、世界にあるほかのどの文化圏の人よりも発想が豊かなのでしょうね。
そういえば、僕は医師国家試験を受験するとき、あまりに勉強が辛くて何かにすがりたくなり、般若心経を毎日唱えていた事があります。この経験によって多くの仏教経典のダイジェストとも言える、般若心経を暗記できましたし、今にしてみればいい体験でした。
般若心経の中には、「色即是空(この世の万物は形をもつが、その形は仮のもので、 本質は空であり、不変のものではない)」、「空即是色(またその空は、万物の形を持つのである)」という言葉が出てきます。般若心経の「空(くう)」は、すべての固定的観念を否定することを主目的としているのです。
インド人は「空」という概念を非常に大切にし、この概念が、ゼロの発見につながったのでしょうね。
医療過誤が起こるたびに、医師免許を更新性にすべきだなどといった議論が毎回起こりますが、僕はそれはナンセンスだと思っています。医療ミスは、一般には、医師の医学的知識が欠除しているために起こるのではなくて、点滴や、薬の申し送りがうまくいっていなかったりする、単純なミスが連続した場合に引起されることが、実に多いのです。
実際には、医療事故と医療過誤は全く違います。
事故は一定の確率で起こるものです。過誤は人為的なミスが重なったものなのです。ですが、この2つは混同されつつありますよね。
やはり医療事故は、手術に関わるものが多いです。今までに肉親など近い人の手術を三回経験しましたが、手術室の外で祈りながら待つ気持ちは、表現できないぐらい、心配で、なんともいえない気持ちになります。
純粋な麻酔の事故も、70000例に一例あるという報告も有ります。事故ならしょうがないという医療サイドの考え方と、事故や過誤が起こりません様にという患者サイドの気持ちとを考えながら、でも、過去に経験した色々な手術の事例を想像してしまうのです。
昔は手術は危険なものだというのが当たり前でしたし、スピードが勝負でした。ですから、手先の器用な、作業の早い外科医が重宝されましたし、手術室から患者さんが出たら、皆安心したものです。
しかし、以前、ブラックジャックのブログ[関連した日記LOG]にも書きましたが、今は、麻酔の技術が発達しているので、たとえ何時間手術時間がかかっても、心臓を動かしたまま、手術室から患者さんを出すことは出来るのです。手術の良し悪しは、その後の予後にかかわってくるのです。
今でも、医療事故や医療過誤で尊い命が失われることがあるわけですが、医療従事者として、一件でもそういったことが減るのを祈るのみです。