おはようございます。今日も快晴ですね。
今日はクリニックF1月最後の診療日です。
予約表を見てみると、今日もフラクセル3DUALやeマトリックスなどのニキビ痕治療の施術が多くなりそうです。5年前には考えられなかったことですね。
さて、僕の国際学会周遊記は昨年末に訪れたドバイの話の最終話です。
ドバイ(Dubai 本来は ドゥバイ)は、アラビア半島のペルシア湾の沿岸に位置するアラブ首長国連邦を構成する首長国のひとつです。
写真はWikiからお借りしました。
1971年のイギリス軍のスエズ以東からの撤退に伴って12月2日に、ドバイは他の6の首長国とともにアラブ首長国連邦(UAE)として独立しました。
イギリス統治下からこの地域の近代化を進めていたラーシド首長を指導者として、原油に依存しない産業の多角化を進めてきました。
確か僕が1997年にこの地を訪れた時にも、ドバイの人たちが、この地域では石油が数年後に枯渇するので、それまでに石油に依存しない経済を作ると言っていたのが記憶に残っています。
原油高になると、それまで高額の掘削費で採算の合わなかった油田も埋蔵量に加わります。
2004年の後半から続く原油高が特に、ドバイの発展を更に後押ししているともいえるのです。
2005年度の経済成長率は なんと16 % と高い成長率。2007年の実質GDPは1980億ディルハム(約6兆円)にまで達しているそうです。
100年前までは単なる海産物や真珠などの漁港だったこの都市。 以前に滞在したときも、砂丘ツアーに連れて行ってくれたクルーたちが、自分たちの父親の世代はラクダに乗っていたけれど、俺たちはトヨタのランドクルーザーに乗れるんだと言っていました。
1975年には20万人あまりだった人口も、35年後の2010年には約11倍の220万人を超えます。地域からの流入による爆発的な人口増加です。
2009年11月には、ドバイ政府が欧米系の金融機関に対して、政府系不動産開発会社の「ナキール」社とその持ち株会社の「ドバイ・ワールド」社の債務約590億ドルについて支払い猶予を求めると発表したため、ドルやユーロが売られるなど「ドバイ・ショック」と呼ばれる事態となったのは記憶に新しいですよね。
その後は成長が緩やかになり、経済的な繁栄はアブダビやバーレーンに追いつかれつつあるとはいえ、以前ドバイは中東の金融の中心で、成功した都市国家として認識されています。
こちらもwikiからお借りした、ドバイの地図です。
人口島パームジュメイラが見えますね。
中東というと女性が黒い服を着て、美容にも興味がないのではと思いがちですが、黒い服の下では彼女たちは色彩豊かな洋服でお洒落を楽しんでいます。
数年前にヨーロッパ皮膚科学会で話をした東欧の女医さんも、現在ドバイの病院で働いていて、最新のレーザー機器がどんどん使われている話をしてくれましたっけ。
さて、こちらはドバイからの帰国前に見た夜景です。 ジュメイラ地区のホテルが綺麗にライトアップされています。
そして世界一のタワー。
ブルジュ・ハリーファを中心とした景色の夜景。
こちらの写真も銀河鉄道999の最終終着駅の惑星プロメシュームのような(笑)。
本当に映画や漫画で見た未来都市のようですね。
スキードバイの夜景も見えます。
これらの夜景との別れを惜しみつつ。
空港に移動です。
約24時間のドバイの旅でした。
最後にドバイの紙幣を少しお見せしますね。
1ディルハム(ADE)=21円ぐらいのレートでした。
帰国便もエミレーツでした。
年末に帰国してちょうどひと月余りが経過してしまいましたが、新国際学会周遊記のケニア~ドバイ編の報告をこれで終わりますね。