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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

カテゴリー:書籍・雑誌・漫画・文藝

『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby)

『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby)という作品に、みなさんはどんな思い出をお持ちですか?

フィッツジェラルドがこの名作を世に送り出したのは、今からちょうど100年前、1925年4月10日のこと。

偶然にもその記念すべきタイミングに、僕はこの物語の舞台でもあるニューヨークの地に立っていました。なんとも運命的というか、不思議な縁を感じてしまい、その足でミュージカルのチケットを手に入れたのです。

この小説、英語圏では「アメリカ文学の至宝」とも言われ、モダン・ライブラリーの“20世紀最高の英語小説ランキング”では第2位にランクされています。でも、正直なところ、最初に読んだときの僕はそこまで深く心を動かされませんでした。高校生の頃に手に取ったのは、野崎孝訳(1974年)のもので、誠実で丁寧な訳だったと思いますが、どこか作品との距離を感じてしまっていたんですね。

そんな印象が大きく変わったのは、ずっと後、大人になってから村上春樹訳(2006年)を読んだときのこと。

敬愛する作家の手によるこのバージョンは、とても軽やかでスタイリッシュ。けれどもその奥には、ギャツビーという男の孤独や、報われない想いの切なさが、静かに、そして深く流れていて……気がつけばページをめくる手が止まりませんでした。

まさに「文体の魔術」と言うべきでしょうか。翻訳が、原作に新しい命を吹き込む瞬間に立ち会ったような気がしました。

けれどもこの村上訳、魅力的である一方で、翻訳研究の世界では少なからぬ議論を呼んでいるとも聞きます。特に話題になったのが、ギャツビーの車の描写なんです。

原文ではただ “yellow car” とあるだけなのに、村上訳では「ジャガー」と車種名が挿入されていて、僕自身も「あれ? 1920年代にジャガーってもうあったっけ?」と違和感を覚えたのをはっきりと覚えています。

実際、当時のアメリカではジャガーはまだ高級車としては広く知られておらず、他の翻訳者たち——野崎孝訳、小川高義訳(2009年)など——は「黄色い車」とだけ訳しています。そのため、「これは村上春樹の大胆な演出なんじゃないか?」という声が出るのも、無理はありません。

では、それは「誤訳」だったのか? それとも、時代を越えて読者に作品を届けるための「創造」だったのか。

そんな問いが自然と浮かび上がってきます。

翻訳って、ただ言葉を置き換えるだけの作業じゃないんですよね。読者の心にどう届くか、その響き方までを考える、とても繊細で創造的な行為なんだと思います。村上春樹というフィルターを通して読んだギャツビーは、僕にとってはじめて「生きたキャラクター」として立ち上がってきた。だからこそ、あの訳には深い意味があったんじゃないか、と今では思うようになりました。

さて、そんなことを考えていた折も折。2024年3月29日からブロードウェイで幕を開けた新作ミュージカル『The Great Gatsby』を観劇。これがまた、想像以上の体験でした。

ギャツビー邸の贅を尽くしたパーティーは、まばゆい照明と華やかな衣装のなかで見事に舞台化されていて、観客を1920年代の狂騒の渦へと巻き込んでいきます。演者たちの表情も実に細やかで、ギャツビーの内に秘めた痛みや、デイジーとのすれ違いに胸を打たれました。

そして何より音楽の生演奏。どこか懐かしい旋律の中に、現代的なアレンジが加わっていて、物語に新しい深みが生まれていたのです。舞台ならではの解釈が加わることで、物語の本質がより鮮やかに、そして繊細に浮かび上がってきたように感じました。

翻訳でも映画でも、そして舞台でも物語はそのたびにかたちを変えながら、現代の僕たちの前に再び姿を現します。100年という時を越えてなお、ギャツビーは変わらぬ声で、今を生きる我々に語りかけてくる。

その“再生”の瞬間に立ち会えたことに、心からの感謝を込めて、この筆を置きたいと思います。


「日本とナチス独逸」「近衛文麿 野望と挫折」

先日の昭和100年史の会で、購入しようと思った本が届きました。

戦後日本政治の原型は近衛政権にあり。

まさに昭和史の闇の一つです。識者は読むべき。

日本とナチス独逸は当時の海軍大将末次信正が日独伊三国同盟の都市、昭和15年(1940年)に描いた書物。

欧州の新興国であるドイツとイタリアと、東亜の新興国である日本が組むことで大きな蹉跌を迎えてしまった日本。

ですが締結当時は三国同盟は、御調期、(天皇が発する文書)にも明示されているように、こちらから進んで戦うというのでない、世界の平和のために戦局を現在以上に拡大しないで、地域的に、民族的に国家集団を作って、そこに新たなる秩序を建てよう、東亜には日本を指導者とする国家群を作るという意図がありました。

これに対して、戦前、戦中、戦後と利己的に立ち回り、最終的に命を絶った(絶たされた?)当時の総理大臣近衛文麿。

若いころに米国留学をして、それなりの人脈を作っており、米国からの石油輸入を止められて、単に仏印の石油を手に入れれば良かったはずの日本を、なぜか戦略的には必要のないはずの対米開戦へ導きます。

計略により操られていたんでしょうか。

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第二次世界大戦前に、日独伊三国同盟(1940年締結)を結んだことによる国際上のミスには、いくつかの重要なポイントが挙げられます。

1. アメリカを敵に回す結果を招いた
三国同盟は、枢軸国(日・独・伊)が相互に軍事支援を約束する条約でしたが、特にアメリカを刺激したことが最大の失策の一つでした。
当時、日本はアメリカとの関係を悪化させたくない一方で、ヨーロッパの戦局を考慮しながらドイツと提携する道を選びました。
しかし、この同盟はアメリカにとって「日本がドイツ・イタリアと共に世界秩序を乱す存在」と映ることになり、結果的にアメリカの対日経済制裁(石油禁輸など)を加速させました。
これが日本の南方進出と最終的な真珠湾攻撃(1941年)につながり、太平洋戦争へと発展しました。

2. ソ連との関係を悪化させるリスク
三国同盟には「ソ連を巻き込む危険性」がありました。
ドイツは日本に対し「ソ連を攻撃するように」圧力をかけましたが、日本は1941年に日ソ中立条約を結び、対ソ戦を避けました。
しかし、ドイツが1941年6月にソ連へ侵攻(バルバロッサ作戦)すると、日本の立場は難しくなり、結果的にソ連との関係も微妙になりました。

3. イタリアとの同盟が実質的に足かせになった
三国同盟はドイツと日本の戦略的利益の一致を狙ったものでしたが、イタリアはむしろ日本にとって負担になりました。
イタリアは北アフリカ戦線で敗北を重ね、ドイツの戦力を浪費させる結果になりました。
また、イタリアの戦争遂行能力が低く、1943年にはムッソリーニ政権が崩壊し、イタリアは連合国側に寝返りました。

4. ドイツの対ソ戦に巻き込まれる危険
日本はソ連と戦争したくない立場だったにもかかわらず、ドイツは対ソ戦で日本の協力を期待していました。
もし日本がソ連を攻撃していた場合、アメリカとの戦争を始める前に戦力が分散していた可能性があります。
逆に、日本が日ソ中立条約を守ったことで、ドイツは極東からのソ連軍増援を受け、モスクワ戦線で敗北を喫しました。

5. 戦後の外交的孤立を決定づけた
三国同盟は、戦後の日本外交にも悪影響を及ぼしました。
ドイツ・イタリアとともに敗戦国となったことで、戦後の国際秩序(国際連合の常任理事国など)において発言力を失うことになりました。

結論
日独伊三国同盟は、日本にとって以下のような国際戦略上のミスを引き起こしました。
アメリカとの対立を決定的にし、経済制裁を招いた
ソ連との関係が不安定になり、戦略的な自由度を失った
イタリアの戦争能力の低さが足かせになった
ドイツの戦略に巻き込まれるリスクを負った
戦後の日本の国際的立場を弱める結果を招いた
短期的には「ドイツの強さに便乗する」戦略だったかもしれませんが、長期的には日本の外交と戦略の柔軟性を損ねた失策だったと言えるでしょうね。


人体の驚くべき数値

人体の驚くべき数値

ちょうどコロナ前に子供向けのこんな本を監修した事があるのですが、数字で身体のことを表現すると色々楽しめるんですよね。もう一度書きたいネタだなあ。

https://www.amazon.co.jp/%E6%95%B0%E5%AD%97%E3%81%A7%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B-%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%A0%E3%81%AE%E3%81%B3%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E5%9B%B3%E9%91%91-%E8%97%A4%E6%9C%AC%E5%B9%B8%E5%BC%98/dp/4788910004?fbclid=IwY2xjawJApfRleHRuA2FlbQIxMAABHTHaD_uzu5HYwepMS1sEpCB3PCy9FeqwmyEOjHJJq1E_7GeJ0M5m06YN3w_aem_zU_vq38CEDR_Tr_oZQlxCQ

循環器系 – 体中を巡る血液の秘密

血管の長さ: 大人の体内にある全ての動脈・静脈・毛細血管を一直線に伸ばすと、その長さは約10万kmにもなります。これは地球を約2周半も回れる距離です!細い毛細血管だけで全長の80%を占めるほど、体の隅々まで張り巡らされています。

心臓の鼓動回数: 人間の心臓は1日に約10万回も鼓動します。これは生涯では26億回以上にもなり、まさに常に働き続ける驚異のポンプです。ちなみに、体格の小さい動物ほど心拍が速く、ヒトの安静時心拍数は1分間に60~100回程度ですが、トガリネズミでは1分間に約1000回にも達します。

心臓のポンプ力: 心臓は毎分約5.7リットル(1.5ガロン)の血液を全身に送り出しています。これは1日に換算すると約8000リットルにもなり、1年でオリンピックプールを軽く満たせるほどの量です。こんな強力なポンプが胸に収まっているなんて驚きですね。

神経系 – 脳と神経の超ハイスペック

電気信号の速さ: 神経細胞が伝える電気信号の速度はとても速く、最大で約120m/秒(時速430km)にもなります。これは新幹線やレーシングカー並みのスピードです。痛みを感じたり瞬時に手足が動いたりするのは、この高速通信網のおかげです。

脳内のニューロン数: 人間の脳にはおよそ860億個ものニューロン(神経細胞)が存在します。かつては1000億個と言われていましたが、最新の研究で訂正されました。それでも想像を超える数で、各ニューロンが情報をやりとりして私たちの思考や記憶を生み出しています。

シナプスの数: 脳内ではニューロン同士が100兆個ものシナプス(神経接続)でつながっています。このネットワークの密度はとてつもなく、各ニューロンは平均で数千もの他のニューロンと接続。この膨大な配線のおかげで、人の脳は非常に高度な情報処理ができるのです。

脳のエネルギー消費: 脳は体重のわずか2%しか占めませんが、体全体のエネルギーの20%前後を消費する大食漢です。安静にしていても大量の酸素とブドウ糖を血液から取り込み、約20ワットの電力を発生させています。これは小さな電球をともすのに十分なパワーで、まさに頭の中に“小さな明かり”が灯っているようですね。

消化器系 – 食べ物と体の意外な関係

消化にかかる時間: 食べ物が口から胃腸を経て排泄されるまで、平均で24~72時間ほどかかります。内容や個人差によって幅がありますが、約1~3日かけてゆっくり栄養を吸収しているのです。例えば、胃を出るまでに約2時間、小腸では5~6時間、大腸ではさらに数十時間かけて水分が吸収されます。

胃酸の強さ: 胃で分泌される胃酸のpHは1~2と非常に強酸性です。この酸性度はバッテリー液(pH0)に匹敵し、金属や骨さえ溶かすほど強力です。もちろん胃自体は粘液によって守られていますが、胃酸のパワーのおかげで私たちはお肉から野菜まで何でも消化できるのです。

腸の長さ: 小腸は約3~5メートル、太腸(大腸)は約1.5メートルの長さがあります。小腸は実は大腸より長いのに「小さい」と呼ばれますが、これは直径が細いからです。これらの長い消化管が体内に収まり、食べ物から栄養をしっかり吸収しています。人の身長の何倍もの長さの管が体の中に収まっているなんて不思議ですね。

唾液の量: 人は1日に最大1.5リットルもの唾液を分泌します。これはペットボトル約3本分で、生涯ではプール2つ分にもなる計算です 。唾液は食べ物の消化を助け、口内を潤し清潔に保つ大切な消化液ですが、こう聞くとちょっと驚きと少し笑いが出る量ですね。

骨格・筋肉系 – 身体を支える力と動き

赤ちゃんの骨の数: 赤ちゃんは約275~300個もの骨を持って生まれてきますが、成長とともに骨同士が癒合し、大人では骨の数は206個になります。赤ちゃんの柔軟な体は小さな骨がたくさん集まってできており、産道を通るためにもこの構造が重要です。大人になるとしっかりした大きな骨に変わりますが、私たちの体は成長につれて文字通り「再構成」されているのです。

骨の強度: 人の骨は重量あたりでは鋼鉄よりも強いと言われます。実際、マッチ箱サイズの小さな骨片でも最大約18,000ポンド(8トン)の重さを支えられるという報告があります。骨はコンクリートや花崗岩並みの強度を持ちながら非常に軽量で、まさに自然が生んだ高性能な材料です。

一歩に使う筋肉: 人が一歩踏み出すだけでも、実は約200の筋肉が協調して働いています。太ももやふくらはぎだけでなく、背中や腹部、足先の細かな筋まで全身の筋肉を総動員してバランスを取り、一歩を踏み出しているのです。無意識にやっている歩行が、実は全身運動と言えるほど多くの筋肉のチームワークで成り立っているのは驚きですね。

感覚器官 – 五感の驚異的な能力

目の色彩識別能力: 人間の目は約1000万色もの色の違いを見分けられると推定されています。通常は三原色(赤・緑・青)の錐体細胞であらゆる色を感じ分けていますが、その組み合わせで膨大な色合いを識別できるのです。美しい夕焼けやカラフルな絵画を堪能できるのも、この色覚性能のおかげです。

鼻の嗅ぎ分け能力: 人の嗅覚は昔考えられていたよりはるかに優れており、少なくとも1兆種類の臭いの違いを識別できる可能性があります。従来は1万種程度と言われていましたが、2014年の研究で桁違いに高い潜在能力が示されました。普段意識しませんが、我々の鼻は実は“匂いの達人”なのかもしれません。

味覚の新陳代謝: 味蕾(みらい)と呼ばれる味覚センサーは舌に約1万個あり、約10日ごとに生まれ変わっています。熱いものを食べて舌がヒリヒリしても、しばらくすれば味を感じる力が戻るのはこのためです。子どもの頃嫌いだった食べ物が大人になると食べられるようになるのも、味蕾の再生と味覚の変化のおかげかもしれませんね。

全身統計 – 体全体にまつわる大きな数

全身の細胞数: 人体を構成する細胞の数は約37兆個と見積もられています。数えきれないほど膨大ですが、これでも体内に共生する細菌の数(数十兆個)とほぼ同じかそれ以上です。こうした無数の細胞が集まって協働することで、ひとつの人の体が成り立っているのです。

肌の生まれ変わり: 人の皮膚は新陳代謝が活発で、毎時間2億個、1日に約50億個もの古い皮膚細胞が剥がれ落ちています。捨てられた皮膚は埃(ほこり)となり、実は家庭内のホコリの大半はこの肌のかけらです。大量に皮膚が剥がれてもバリア機能が保たれるのは、剥がれたそばから新しい細胞がどんどん補充されているからです。

DNAの長さ: DNA(デオキシリボ核酸)は人の設計図ですが、その長さは桁外れです。各細胞に収納されているDNAを伸ばすと約2メートルにもなります。さらに体中の全細胞のDNAを繋ぐと、その長さは約160億km(100億マイル)、地球から冥王星まで往復できるほどになります!私たち一人ひとりの中に、文字通り宇宙級の長さの情報が詰まっていると考えるとロマンがありますね。


謀略の昭和裏面史: 特務機関&右翼人脈と戦後の未解決事件! 黒井 文太郎

今週土曜日18時から開催予定の、第二回、昭和100年史を辿る会。

昭和元年は1925年。

つまり今からちょうど100年前に始まるので、そこから100年を当事者意識を持って追体験しようという勉強会です。

様々な本を読み、この時代の理解を深めています。

第二回のテーマは昭和10年から20年。

盧溝橋事件からの日中戦争、太平洋戦争そして終戦まで。

明治維新からの日本の流れを一気に変えてしまった密度の濃い10年だったと言えます。

例えば、この10年間に起こった右翼テロや未遂事件。

ちょっと並べるだけで毎年の様に出てきます。

この時期政治家は文字通り命がけの職業だったんだなあと実感しますね。

▶昭和11年
寺内正毅陸相暗殺計画事件、広田弘毅首相暗殺計画事件

▶昭和12年
岩崎小弥太男爵暗殺計画事件

▶昭和13年
安部磯雄・社会大衆党党首襲撃事件

▶昭和14年
松平恒雄内大臣邸・英国大使館襲撃事件、宇垣一成元陸相暗殺計画事件、中島知久平政友会総裁銃撃事件

▶昭和16年
近衛文麿首相爆殺計画事件

▶昭和18年
東条首相暗殺未遂(皇道翼賛青年連盟事件)
岩崎久弥暗殺計画事件


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