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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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実家で家族写真を撮りました

広島県は呉市の実家に行ってきました。

僕は生まれも育ちも鎌倉なのですが、父が20年前にこちらの大学で教鞭をとって以来、実家は呉にあります。

祖父は海軍士官で、父は呉の海軍病院で生まれていますから、全く縁が無いわけでもありません。 海の目の前の崖の上に立つ家。

潮が引くとこのように牡蠣棚が見えるようになります。

庭にはスイカが生っていました。

藤本家は男三人兄弟。

兄弟三人が揃うことはめったにありませんが、ちょうど上の弟が帰省していましたので、98歳の祖母を中心に家族写真を撮りました。


パルマからモデナの街へ移動しました

欧州のレーザー企業との打合せで、パルマからモデナの街へ移動しました。

機器メーカーさんがタクシーを手配してくれました。

以前のブログにも書きましたが、もともとイタリアの国土は、

北部はパルマ、モデナ、ピサ、ジェノバ、フィレンツェなどの公国、

中央のローマ周辺は教皇領、

南部はスペイン領の属国(両シチリア王国)

であり、

小国の集まりでした。

ところがナポレオンの占領を経たことで、19世紀初頭からイタリア民族の統一運動が始まります。

巨大な外国の脅威に対して国内世論が一致したわけです。

イタリア北部のサルディニア国王(のちイタリア国王)であったヴィットリーオ=エマヌエーレ2世が中心となって、イタリアの統一は進みます。

モデナは早々にサルディニアに合流し、イタリアの統一に貢献し、1861年には念願のイタリア統一が達成されます。

時代にして1867年の明治維新の少し前ですね。

イタリアの統一は北部の工業国が、南部のスペイン領を占領する形で終了しましたが、北部イタリア諸国にとって南部はそもそも価値観も違う外国です。

北部中心に工業化が進む一方で、先進地域に取り残された南部はマフィアなどの地下組織が発達します。

これが現在のイタリアの南北格差と国民の価値観を生み出しているのですが、イタリア一国を旅するだけで、何カ国も訪れたように思えるのはこういった理由があるのです。

それがまたイタリア旅の楽しいところなのですよね。

こちらが、モデナの街並みです。

こちらが町の中心のグランデ広場。

ちょっと立ち寄ったワインバー。雰囲気がいいですよね。

落ち着いた街です。


バナナのお菓子

収録後、スタッフの方に勧められてインドネシアの軽食を頂きました。

どうやら僕のためにわざわざ用意していてくれたようです。

バナナと米粉でできた、粘度の軽いういろうのような、ほんのりと甘いお菓子。

包んである緑色の葉もバナナのものです。

ちょっと疲れが癒されました。

午後はいよいよ施術指導。クリスタルクリニックに戻ります。


撮影現場

撮影現場です。

インドネシア語・英語・日本語の通訳の方に隣に座ってもらうかどうか、

少し試しましたが結局通訳なしに。

キャスターの女性とDr.エディがインドネシア語でやり取りするパートのあとに、

僕が入って3人で英語でディスカッションする、という構成になりました。

本番中は会話をすることができませんし、

Dr.エディとキャスターの会話はインドネシア語のため、

話の流れが今一つわからないのがちょっと不安…(汗)

二人だけのパートの収録が終わり、すぐに三人での収録にうつります。

グリーンバックのスタジオでカメラチェック。

このグリーンバックに、スタイリッシュな背景が合成されます。

「この10年でレーザー治療器はどのような変化を遂げたのか?」

「ドクターショッピングをすることについてどう思うか?」

などの、質問に対して僕の見解をお答えしていきました。

撮影は30分ぐらい続いたでしょうか?

無事に終わってホッと一息。


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