ゴルバチョフ書記長が逝去しましたね。
ブレジネフ書記長の後、アンドロポフ氏、チェルネンコ氏がそれぞれ任期1年ほどで死亡しそれを1985年に引き継いだ当時54歳のゴルバチョフ氏。
僕が高校生の時に外交官になりたくて特に世界史を深く学んでいた時期に、まさに現在進行形でしたので、特に記憶にあります。
若きリーダーのゴルバチョフ氏が、スイスで米国レーガン大統領と会談した際に掲げた構造改革「ペレストロイカ」、チェルノブイリ原発事故の際に掲げた情報公開や言論の自由化などの「グラスノスチ」は、当時のソビエト連邦のインテリ層にも、西側諸国にも支持されましたが、結果的に国内の急進的な経済改革によって社会主義国としての求心力を失い、1989年11月10日にベルリンの壁の撤去作業が開始され東西ドイツが統一。
さらに91年にソビエト連邦崩壊を招き国境に面した多くの国が独立することになりました。
それまで地球儀の国が変わったことを経験したことがありませんでしたので、あの流れは衝撃でしたね。
そんなゴルバチョフ書記長と僕は一つ共通点があります。
それは3月2日生まれと、誕生日が一緒なのです。
当時は、冷戦を停めた若きリーダーと一緒で、ちょっと誇らしかったですね。(笑)
ゴルバチョフ書記長はロシア人ですが、奥さんのライサ夫人はウクライナ出身。
ウクライナ内線には憂慮していたそうです。
訃報を聞いてまだ考えがまとまり切ってないですが、またまとまったら書いてみようと思います。
こちらの写真は11年前に、
サンクトペテルブルクで開催されるフラーレン学会の発表のため、ロシアにいました。
https://takahirofujimoto.com/blog/blog/business-overseas/post_65991/