さて、一夜明けて朝日を拝みます。
今日の夜にはソフィア駅から寝台列車に乗り、ルーマニアに出発しなければなりません。
しかし、その前にどうしても行きたかった場所に行ってみることにしました。
その場所とは「リラの僧院」
ソフィアの街から南下し、鬱蒼とした緑に囲まれた山の中に突然現れるといわれる、ブルガリア正教の総本山ともいうべき僧院です。
リラ村までは、このような快適な高速道路が走っています。
しかし、村から僧院に向かう道に入ると、最初はこのような綺麗な道に入りますが、
徐々に山奥に入りこんでゆきます。
こんな感じの山道をひたすら登ってゆくのです。道も細くなってゆきます。
しかも、山を登るにつれ、だんだん高度が上がってきて、新緑は姿を消し、枯れ木が増えてきます。
いったいどこまで連れて行かれるのだろう・・・と不安になった頃、いきなり現れたのが、この僧院の背の高い門でした。
この門にある入口をくぐると、
「あっ」
思わず声を上げてしまいました。
突然大きな僧院が、目の前に姿を現すのです。
この僧院は、10世紀にイヴァン・リルスキーという一人の僧が隠遁の場所としてこの地を選び、小さな寺院を建てました。
その後、1018年にビザンツ帝国がこの地を占領し、1187年にブルガリア帝国として再度独立を果たすも、1398年にオスマン帝国に占領され、以来、約500年もの間、イスラム教の支配下になることになります。
イスラム支配下の500年の間、キリスト教信仰や、ブルガリア語の書物を読むことさえ禁じられていたのですが、この山奥の僧院のみ、黙認がされていたそうです。
この僧院は数百年もの間、ブルガリア語の書物や、文化を守ったともいえるのです。僧院内にそれらを展示した博物館もありました。
僧院の中に入ると、正面のアーチの下には色彩豊かなフレスコ画がたくさん描かれています。
フレスコ画はどれも見事です。
内部は写真撮影が禁じられていましたので撮影できませんでしたが、黄金に輝く巨大なイコノスタスがありました。
ここでもちょうどミサが行われていましたよ。
この僧院の四方は壁のような建物で囲われています。
この「壁」には、4階建ての約360室もある部屋があり、そこで多くの僧が寝泊まりしていたということです。
確かに階段を上ってみると、ホテルのようなつくりになっているのがわかります。
横から見るとこんな感じです。思ったよりも奥に長い建築であるのがわかりますね。
実は1833年に、この僧院内で、大火事があり、建物のほとんどは再建されたものなのだそうですが、このフレリョの塔のみが14世紀の建築のまま、残されました。
時計と鐘が見えますね。
すばらしい体験でした。
帰りにはソフィア近郊の世界遺産にも登録されている12世紀のフレスコ画で有名なボヤナ教会(写真禁止でした)や、見晴らしの良いコピトト山を回ってもらい、ソフィアの鉄道の駅に向かいました。
寝台電車はこんなに古かったのです。
この電車で約8時間。
陸路でルーマニアの国境を越え、明日の朝にはいよいよ、今回のヨーロッパ皮膚科学会(EADV)が開催されるブカレスト入りします。