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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

カテゴリー:藤本院外日記

バッハのゴールドベルク変奏曲とアンチエイジングの科学

バッハのゴールドベルク変奏曲とアンチエイジングの科学

昨夜、友人たちとのスレッド話題になったのが、バッハの『ゴールドベルク変奏曲(BWV 988)』。

僕自身もこの曲は何度となく聴き込み、全曲を記憶しているほど。

CD棚を探すと、グレン・グールドの1955年録音と1981年再録音、そしてアンドラーシュ・シフの盤が出てきました。

この作品は、バッハのパトロンであったケイザーリンク伯爵の不眠症を癒すために、若き弟子であったヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルク(Johann Gottlieb Goldberg)が演奏することを目的として書かれた――という有名な逸話があります。

実はこの曲、以前ユニバーサルミュージックから依頼された「不眠対策クラシック」のコンピレーションCDを監修した際、真っ先に選んだ一曲でもあります。

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時差ボケが抜けない今、改めて聴いてみると、心拍が整い、自然と眠りに誘われるような穏やかさを感じます。

■ ゴールドベルク変奏曲とは?
1741年、J.S.バッハによって出版されたこの鍵盤楽曲集は、「アリア + 30の変奏 + 再びアリア」という32曲で構成されます。
全変奏はアリアのバスラインに基づき、カノン、舞曲、フーガ、トッカータなど様々な形式が展開されており、とりわけ3の倍数の変奏がすべてカノンであるという対称的構造が特徴です。
最終の第30変奏は「クォドリベット(Quodlibet)」と呼ばれるユーモラスな民謡の寄せ集めで、バッハの理知と人間味が同居する傑作です。

■ 音楽が副交感神経を優位にするという科学
このゴールドベルク変奏曲が、なぜリラックスや睡眠、そして老化抑制(アンチエイジング)に繋がるのか――
それは副交感神経を優位にする作用が、音楽療法や生理学の研究によって明らかになっているからです。

● 実際の研究報告:
1. Trappe H-J. (2010, Herz)
→ バッハの音楽は「安定した律動と和声」によって副交感神経を活性化。

2. Bernardi et al. (2006, Heart)
→ バッハを含むゆったりとしたクラシック音楽は、呼吸数を減らし、迷走神経活動を高める。

3. Okamoto et al. (2013, J Physiol Anthropol)
→ ゴールドベルク変奏曲のような穏やかなテンポと構造性は、運動後の副交感神経の回復を促す。

■ メカニズム:なぜ副交感神経を優位にするのか?
ゆっくりしたテンポ(60〜80 bpm)
心拍の同期(entrainment) → 心拍数低下
構造的対称性と繰り返し
安心感と予測性 → 扁桃体の過覚醒が鎮静される
和声の安定と低周波の支配
迷走神経の刺激 → 胃腸・循環器系がリラックス
アリアの長調・装飾音の抑制感
快楽報酬系よりも「静けさ」を喚起
などが指摘されていますね。

◾️聴くことで「整える」処方薬
『ゴールドベルク変奏曲』は単なるバロックの傑作ではなく、神経の鎮静を誘い、自律神経のバランスを整える音楽処方薬とすら言える存在。
その結果として、睡眠の質が改善され、ストレス反応が軽減し、ホルモン・免疫・代謝のリズムが再調整される――
つまり、それは老化のブレーキをかけることに他なりません。
「副交感神経優位な時間を意識的につくることが、最も根源的なアンチエイジングである」
そんな言葉の意味を、静かにアリアが教えてくれます。


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もはや日本人に、中国国籍を取らせるビジネスやったら流行るんじゃないのか?(笑)

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ピカソという遺産が、マラガにもたらしたもの

ピカソという遺産が、マラガにもたらしたもの

僕が通っていた湘洋中学校の美術の先生が、授業中ふとこんなことを言ったのをよく覚えている。

「いろいろな画家の絵を見てきたけれど、自分にとってピカソは別格なんだよ」

当時の僕には、その意味がまったく分からなかった。けれど大人になり、世界各地でピカソの作品に出会うたびに、その言葉が胸の中で静かに蘇る。そして、いまでは僕自身が深く同意している。

マラガはピカソが生まれ、10歳までを過ごした町だ。石畳の路地を歩き、広場で鳩を見かけると、思わずこう思ってしまう──これはピカソが描いたあの鳩の、ひょっとすると子孫かもしれないと。

彼は、この地に“未来の目”を与えた。

多作だったピカソの作品群は今や世界中に広がり、驚異的な経済的価値と文化的影響を持っている。その一部はマラガに戻り、Museo Picasso Málaga や Fundación Picasso を中心に、街の精神的な中核を形成している。

ピカソという名前は、マラガという都市の可能性を根底から書き換えた。

彼の名を冠した美術館は世界中の美術ファンや研究者を引き寄せ、旧市街の再生を促し、経済・文化・国際性のすべてにおいて都市を底上げしてきた。その結果、マラガは単なる「地中海の港町」ではなく、いまや「世界的芸術都市」としての道を歩み始めている。

では、ピカソ自身が芸術にもたらしたものとは何だったのか。

彼は20世紀という動乱の時代において、芸術の「形式」も「思想」も同時に破壊し、そして再構築した稀有な存在だった。

形式面での最大の革新は、ジョルジュ・ブラックとともに創始したキュビスムにある。1907年の《アヴィニョンの娘たち》によって、絵画は三次元空間を模倣するだけの存在ではなくなり、複数の視点を同時に内包し、「時間と空間の知覚を一枚の画面に封じ込める」試みへと進化した。絵画は「見るもの」から、「考えるもの」となったのである。

また彼は、芸術が社会や政治に対して応答する手段であることを示した。《ゲルニカ》(1937年)はスペイン内戦下の無差別爆撃を題材に、人間の苦悩と暴力を描いた。芸術が「抗議」や「記録」として機能する可能性を、これほどまでに強く世界へ示した作品はほとんどない。

さらにピカソは、表現媒体においても境界を持たなかった。絵画にとどまらず、彫刻、版画、陶芸、舞台装置まで自在に行き来した彼は、芸術とは何かという定義そのものを問い直す存在だった。彼の実験精神は、アンディ・ウォーホル、バスキア、そして現代のデジタルアーティストたちにも受け継がれ、ジャンルを超える表現の可能性を拓いていった。

つまり、ピカソが芸術に与えた最大の貢献とは、「芸術には不変のかたちなどない」「すべては変化しうる」というメタ芸術的思想を私たちの意識に根づかせたことにある。

彼はスタイルの創始者ではなく、常に問い続ける存在だった。そしてその問いは、彼の故郷であるマラガにもまた、新たな未来の眼差しを与えている。


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