彼はチリ人のカメラマンです。
チリでは賞をとったりした結構有名な映像系のプロデューサーだったらしいのですが、数年前イースター島に移住したそうなのです。
彼はこの島で撮った秀逸写真300枚程度をCDに焼いて、20ドルで販売していました。
見せてもらったら気に入ったので、イースター島での記念に購入させてもらいました。
彼はチリ人のカメラマンです。
チリでは賞をとったりした結構有名な映像系のプロデューサーだったらしいのですが、数年前イースター島に移住したそうなのです。
彼はこの島で撮った秀逸写真300枚程度をCDに焼いて、20ドルで販売していました。
見せてもらったら気に入ったので、イースター島での記念に購入させてもらいました。
絶海の孤島であるイースター島は、火山島です。
太平洋を移動している間にプランクトンがほとんどなくなってしまうため、海の近くにいても、いわゆる磯の香りというものが全くないのが不思議でした。
工場もないため、大気汚染が全くない。
島の水脈は地下水で、川もないので、海洋の透明度は太平洋一だと言われています。なんでも60m近い透明度の海なのだそうです。
ちなみに淡水の湖で世界最高の透明度を記録する北海道の摩周湖が41.6mということですから、ものすごいことですよね。
島のなかにはダイビングショップが二つあります。僕も1989年にPADIのダイビング免許を取得して以来、いろいろな海で潜ってきましたが、まさかイースター島で潜るとは旅の前に思いもつかず、うっかりライセンスを日本に置いてきてしまったんですよね。次にチャンスがあったらぜひ潜りたいと思います。
このビーチはアナケナビーチといって、ポリネシアから移植したヤシのある、島唯一ともいえる白い砂浜のビーチです。
プカオと呼ばれる帽子(一説には髪結い)をかぶったモアイ像がこのビーチにあります。
彼はチリ人のカメラマンです。
チリでは賞をとったりした結構有名な映像系のプロデューサーだったらしいのですが、数年前イースター島に移住したそうなのです。
彼はこの島で撮った秀逸写真300枚程度をCDに焼いて、20ドルで販売していました。
見せてもらったら気に入ったので、イースター島での記念に購入させてもらいました。
この写真は彼の著作権なく自由に使ってもらいたいとのこと。
素晴らしい写真があったので、いくつかご紹介しますね。
やっぱりプロは違いますね。
歩いていたら、こんな標識が・・・。
「モアイに乗るのは禁止」
ということでしょうね。
手作りの標識ですが、かわいらしくてつい笑ってしまいました。
イースター島は小さな島といっても周囲58kmの島。基本的にはすべて車での移動になります。 イースター島は三つの火山によって成り立ちました。
それぞれの頂点が火山として、直角二等辺三角形の様な形をしています。その最も長い辺に当たる、南の海沿いを走ると、沢山の倒されたモアイを見ることができます。
森林を伐採してモアイ像を製作し、運搬にも木材を使用し、さらに人口が急増したため、10世紀ごろから島は食糧不足になり、争いが絶えなくなったと言われています。
先に書いたように、18世紀の中ごろ、お互いの祖先の象徴であり、守り神であるモアイを倒し合う「フリ・モアイ」というモアイ倒し内戦が勃発したようなのです。
どのモアイもアフとよばれる祭壇の上に、海に背を向けて立っていました。
モアイには作られた当時、目がありました。
モアイの視線の先に村などの居住地があったようです。
風化してしまって石のようになったモアイも多くあります。
大きさも様々。
絶海の孤島のイースター島には独自の文化がありました。
1722年のあるオランダ人の上陸を期に、島民は外圧にさらされます。
その後免疫を持たない伝染病をもつヨーロッパ人の来訪や、島民がアメリカやペルーなどに奴隷として連行されたため、1877年には島民がわずか111人にまで激減し、ロンゴロンゴと呼ばれる独自の文字を読める人もいなくなってしまいました。
さらに島の文化を徹底的に破壊したのはキリスト教の伝来でした。後に島に上陸したフランス人宣教師が、布教を妨げるとしてロンゴロンゴが記された木片をはじめとする文化財をすべて焼き払ってしまったのです。