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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

巨星落つ

実は京都出張に出掛けていたのは2月の終わりのことでした。

先週から僕はアメリカ・サンフランシスコで行われていた2009年米国皮膚科学会(AAD)に参加しており、その間のIT環境が読めなかったため、滞在中にアップするブログを出発前に書き溜めていたのです。

現地でもし状況が整えば、今年のAAD最新情報を御紹介しようと思っていました。

ところが、サンフラン滞在中思いがけず一人の偉大な人物の訃報を耳にすることになり、大きなショックを受け、それどころではなくなってしまいました。

そして、ショックを受けたまま、今日の夕方帰国しました。

日本最大のレーザーディストリビューター(輸入代理店)=株式会社JMECの創始者である森下純一元社長が、肺腺がんのためにわずか60歳で亡くなったのです。

アメリカに発つ前、東京医大にお見舞いで伺ったばかりの事でした。

森下社長はある老舗の医療機器メーカーから独立され、平成7年に株式会社JMECを設立。そのカリスマ的な営業力と統率力に、初期からマーケティングを担当されていた現社長である西村浩之氏のインテリジェンスが加わり、このふたりの素晴らしいケミストリーによって、JMECはわずか数年で業界ナンバーワンといわれる企業へと成長します。

森下社長は、人的魅力に溢れた人であったのはもちろん、市場に何が必要かという事に対して天才的な嗅覚を持った人でした。

ロックス・アンダソンの熱融解理論に基づいた、アレキサンドライト脱毛レーザーであるサイノシュア社LPIRを、日本人に対して美容目的でかつ安全な脱毛レーザー機器として見出し、当時の厚生省未認可商品を、医師の個人輸入という形で日本の市場に取り入れたのです。

脱毛と言えばエステティックサロンで針脱毛を行っていたような時代です。今では当たり前の「レーザー脱毛」という施術がこれによって生まれ、LPIRは脱毛機器市場で一大ヒット商品となりました。また、それによって美容のクリニックと言えば「美容整形」クリニックしかなかった日本に、新しく「美容レーザークリニック」「美容皮膚科」というものが生まれたのです。

レーザーとはまた違う「光治療」機器の代名詞=オーロラや、セルライトを機械で解消するフランス製の「エンダモロジー」を日本に持ってきたのも森下社長ですし、「メディカルスパ」や「アンチエイジング」という言葉をこの日本で医療関係者に広めたのも、森下社長なのかもしれません。そういった意味でも彼は本当の目利きでしたし、日本における美容医療、レーザークリニック、そしてアンチエイジングの歴史はJMECと森下元社長を抜きにしては語ることができません。社員の方々が、森下社長の“商才”を本当に尊敬されていたのを、僕は大学病院にいた頃からよく耳にしていました。

実は森下元社長は全くの下戸。お酒は一滴も飲めませんでした。

でも、飲みや歌いに行く席で、毎回新たなブラック&親父?ジョークを仕入れて、皆を楽しませてくれたのを思い出します。場の空気をいち早く読み、誰よりも気遣いをされる方でした。

森下元社長が僕に繰り返し言ってくれた言葉があります。

「藤本先生が僕に初めて会ったとき、なんて言ったか覚えていますか?

“僕はレーザーの世界に初めて入った新参者です。どんな事でも努力しますので、御指導ください。”

・・・と、僕に頭を下げて挨拶してくれたのですよ。当時、若いお医者さんでそれほど謙虚な人を見た事がなかったので、とっても印象深かった。

その姿を見て、心からサポートしたいと思ったのです。」

と。

僕自身は、ただ当然のことをしただけのつもりで、実はそんな挨拶をしたことすら覚えていなかったのですが、それでもそう言ってもらえると嬉しくて、今思えばずいぶん甘えさせて頂きました。森下社長はそのお言葉通り、僕が悩んだとき、壁にぶつかったとき、挫折しそうになったとき、いつも力になってくれました。そして、現在の僕を支えてもらっているネットワークの土台をいくつも築いてくださったのです。

たとえば、JMEC主催のトータルアンチエイジングセミナーがきっかけとなった出来事があります。セミナーで僕の講演を聴き

「感動しました」

と言ってくれたマックスエンジニアリング社(現ルートロニック社)のヘイリャン社長が、2004年に韓国での講演に僕をスピーカーとして呼んで下さった。

それが僕にとって初めての海外講演となり、これがまたひとつのきっかけとなって、また別の国で行われる次の海外講演へと繋がっていきました。

現在まで僕は31回の海外講演をさせて頂いており、ブログ「国際学会周遊記」「新国際学会周遊記」もそこから生まれました。

森下社長が、僕のここまで来る道筋を、最初に示し、創って下さったのです。

ヘビースモーカーだった森下社長。肺の扁平上皮癌は喫煙と多いに関連するのですが、森下社長が闘病した腺癌は喫煙には関連がないと医学的には言われています。

因果なものですね。

ブログのタイトルにした「巨星落つ」とは、大きな業績を残した偉大な人物が亡くなってしまう事。

「惜別の念をこめている」

と辞書にありましたが、森下元社長はこの日本の美容レーザー界において、本当に大きな功績を残した人ですし、また僕自身にとって森下社長の存在は巨星に値するほど大きく、教えて頂いたことのすべてが、一生の財産となっています。いくら感謝してもしきれません。

60歳は、あまりに若い。若すぎますよね・・・。

明日がお通夜。明後日が告別式となるそうです。

森下元社長のご冥福を心から、本当に心からお祈り申し上げます。


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