おはようございます。
今日2月18日(土)もクリニックFの診療日。朝から患者さんを診ています。
最近フェイスブックや僕のブログなどに、昔の職場や子供の時の友人、海外在住の友達などからメールをもらうことが多くなりました。
何年も音信不通になっている友人と、こうして再会できるのはすごいことですね。
インターネットが広まって10年。社会的な価値観がその間何度も変わる場面を見てきましたが、またひとつがらりと変わりつつあるのでしょう。
それが楽しみなことなのか、それとも憂うべきことなのか。
また数十年後に歴史が判断するのでしょうね。
さて、ぼくのブログは年始に訪れたウィーンブログの続きです。
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オーストリアはウィーンに到着し、美術史博物館に行った夜。
今回のウィーン滞在メインイヴェント、ウィーン国立歌劇場で開催されるモーツァルトの「フィガロの結婚」を観にいってきました。
ウィーン国立歌劇場は、パリ、ミラノに並ぶヨーロッパ三大歌劇場の一つ。
この劇場は、2002年から2010年まで小澤征爾さんが音楽監督を務めたことから、日本人にもなじみがありますよね。
僕もこの劇場で一度観劇したいとずっと思っていたのですが、ウィーン訪問3度目にしてようやく夢がかないました。
「フィガロの結婚」については、この新国際学会周遊記でも何度かふれたことがあります。
ウィーンのブルク劇場で、1786年5月1日、モーツァルトが30歳の時に初演されています。
貴族を痛烈に批判したこの作品が、神聖ローマ皇帝のヨーゼフ2世の治世下ウィーンにおいて初演されたことは驚きですが、その後この作品は、プラハに舞台を移し大喝采を浴びました。
プラハ上演での大成功でモーツァルトはプラハに招待され、「ドン・ジョバンニ」を作り上げたのですよね。
初演のプラハ国立劇場にも2009年のベルリン主催のヨーロッパ皮膚科学会(EADV)の参加時に訪問し、モーツァルトの「魔笛」を感動して観たのを思い出します。
「フィガロの結婚」も、社会的な風刺やその曲目の完成度を考えると、とても30歳の若者が作り上げたものとは思えません。
特にこの序曲はモーツァルトの序曲の中でも最も好まれ、演奏されるものではないでしょうか。
YOU TUBEで演奏画像を探してみましたが、これがなかなか良いものが見つかりませんでした・・・。
とりあえずこちらで、曲を思い出してください。
2006年、モーツァルトの生誕250周年のウィーンのニューイヤーコンサートの際に、ラトビア出身の今やヨーロッパを代表する指揮者のひとりとなったマリス・ヤンソンスが、普段はヨハンシュトラウス父子の曲しか演奏されない題目の中で、フィガロの結婚の序曲を採用したことがありました。
様々な人に時代を超えて愛される名曲です。
そして劇中で最も有名なアリア、「恋とはどんなものかしら」Voi che sapete (Le Nozze di Figaro)の画像も見つけました。
どうぞお聴ききください。
ウィーン国立劇場は、本当に素晴らしい劇場でした。
劇場の客席は赤ですが、イタリアの劇場の赤に比べると臙脂がかったシックな赤です。
座席の目の前の電光掲示板で、台詞のドイツ語訳と英語訳が出てきます。
神聖ローマ帝国の首都があったこと。
そして、北イタリアからドイツに至るまでの文化の中心であったこと。
こうした背景により、ウィーンではイタリア語、ドイツ語のオペラどちらも母国の文化に近い形で演奏されると聞いています。
中央のホールも重厚なもので、気持ちが盛り上がりますね。
こうした歴史の重みをずっしりと感じる劇場で、オペラを観劇できるのは、至福のひとときです。
幕間の休憩へ。
華やかな観客たち。
二階のホールでは、過去にこの劇場で行われたオペラの展示がありました。
エディタ・グルベローヴァ
ホセ・カレーラス
などの往年の歌手の展示もありましたよ。
そして、2月から開催されるプログラムのトップにはヨナス・カウフマンが登場していました。
ちょうど年末にNYで観たグノーのファウストの世界公演だそうです。
すばらしい公演だったので、ウィーンでもさぞかし話題になるでしょうね。
「フィガロの結婚」もとても楽しませてもらいました。
そして、ヨーロッパのほかの劇場に比べて日本人の観客がとても多かったです。
日本人のオーストリア好きは健在です。
幸せな気持ちをかみしめながら、劇場を後にしました。
新年のウィーン。街の夜景が煌いて美しかったですよ。