早朝にオーストリア・ブレゲンツを出発。
この日はドイツ・ミュンヘンを経て、再びオーストリアへ。ザルツブルグに向かいます。
アウトバーンも時速200㎞オーバーで順調に飛ばします。
まずはルートヴィッヒ二世の遺体が見つかったシュタルンベルク湖の湖畔に向かいました。
ルートヴィヒ二世は1886年6月11日に、ノイシュヴァンシュタイン城で精神疾患をきたしているとして捕らえられ、翌朝そのままシュタルンベルク湖畔のベルク城に幽閉されてしまいます。
二日後の6月13日夕方ルートヴィヒは精神科医グッデンと散歩に出かけますが、そのまま二人とも戻らず溺死体として発見されるのです。
彼が本当に精神疾患を患っていたかどうかについては医師の間でも議論が分かれるところですが、僕はこの旅で実際彼の作り上げた城を見学し、その執着気質からくるあまりに精緻すぎる内装を見て、もし彼がここまでのこだわりをもった妥協を許せない性格であったならば、この時代・この国の国王としてはさぞ生きづらかったことであろうとふと思いました。
プロイセンやオーストリアなどの列強が争い合う時代に、バイエルンの立憲君主国家の国王として国家の存続がかかるのは、相当なプレッシャーだったことでしょう。
ワーグナーという年上の友を得て、彼に傾倒し、芸術に没頭するのもわかる気がしました。
もちろんそんな彼であったからこそ、こうして何世紀を経てもなお色褪せることのない大きな財産を残すことができたということも言えますよね。
ノイシュバンシュタイン城で、
「私は大学で学び始め学問の面白さを知った途端、父の死により学問から引き離された。私には経験が不足していた。」
という趣旨の大学の教授に宛てた手紙の文章を読んだのですが、物悲しさを感じましたね。
そして、運命の螺旋が織りなす歴史の興味深さも同時に噛みしめました。
車で通り過ぎてしまうような細い道に、この看板を見つけました。
深い森を歩くこと15分ぐらい。
湖面が現れました。
こちらが彼を弔う十字架です。
夏の暑い時期でさえ、ちょっと寒気がするような場所でしたよ。
正面には彼を弔う礼拝堂があります。
この場所を訪れることができてよかったと思いました。