般若心経について昨日記事を書いたところ、FB上だけでなくいくつかリアクションを頂いたので、こちらのスピンアウト話もすこし今日は忘備録として書いておきますね。
2020年コロナ禍が混乱を極めていたころ、近しい方が亡くなりました。
闘病中は病棟にお見舞いもままならないような状況でしたので、通夜葬儀の類は一切ありませんでした。
もちろん なかった、というよりは できなかった、が正しいと思います。
そんな中、喪主となった方が自ら ご遺体を前に般若心経を唱えられたそうです。
コロナ禍でも来てくださる僧侶はいらしたようですが、それには及ばない、と。
昨今、通夜や葬儀の在り方、墓終いをどうすべきか、仏壇や法事をどうすべきかなど これまでは当然とされてきたお寺と個人、仏教と個人との関係・あり方が問われていますよね。
仏道について学ぶこと、お経や法典について学ぶことは、結果こうしたことについても考える機会になります。
そして、般若心経を覚えておくと役に立つ場面が これからまだまだ出てくるのかもしれませんね。
写真は高野山の宿坊に泊まり、翌日奥之院で撮った写真。今もこの奥の御廟で空海が瞑想されていると考えられています。
この橋より先では写真が禁止されているのですよね。