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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

安楽死の選択

映画「ミリオン・ダラー・ベイビー」のDVDをスタッフに薦められ、予備知識もなく観 たのですが、いや、すごい名作でした。皆さんご覧になりましたか?

2005年のアカデミー賞ほか数々の映画賞を受賞した、クリント・イーストウッド監督・主演作ですが、これは単なる女性ボクサーの物語ではありません。

トレーラーハウスでアメリカの貧民層の中で育ったマギーは、ボクサーとして名を上げて、母親の生活を豊かにしてあげるのが夢です。ボクシングジムに通うお金を稼ぐため、喫茶店の安いアルバイトをずっと続けています。やっと貯めたお金で、ボクサーの名トレーナーとして知られるフランキー=イーストウッドに弟子入りを志願しますが、30歳をもう超えていること、そして女であることを理由に断られ続けます。

けれど、最終的に彼女のガッツに根負けするフランキー。トレーナーを引き受けることになります。彼の指導によって、年齢が過ぎているにもかかわらず、マギーはめきめきと上達します。マギーは努力の人です。試合で記録的な連破を重ね、ついに世界チャンピオンの座を狙えるほど成長しますが、そのタイトル戦で、思いもよらぬ悲劇が彼女を襲うのです。

それは、タイトル保持者の、終了ゴング後の不意打ちの反則フックでした。予測もしないフックを受けて、もんどりうって倒れるマギーの首の先には、セコンドのフランキーの用意した椅子がありました。マギーは頚椎を損傷し、全身不随になってしまうのです。

マギーはアメリカンドリームを実現し、幸せのまさにその淵に手をかけながら、どん底に突き落とされます。フランキーは全米の医者に治療の可能性を問い合わせ、マギーを救うために尽力しますが、頚椎を損傷した場合、現在の医学では治す術がありません。寝たきりの状態にあるマギーには、フランキーの必死の看病にも関わらず、床ずれがおこり、さらに血行障害により左足の切断まで余儀なくされてしまいます。ガッツのあるマギーですが、こんな状態ならばと安楽死を望みます。そんなマギーに対して、フランキーは、神に背く、ある決断をするのです。

実際には映画の様に頚椎の第一、第二番を損傷して、人工呼吸器がつけられてしまっては、言葉を発することは出来ません。そういう意味で、この内容はフィクションなわけですが、そういったものを超えた、深い愛と感動がこの映画にはあります。

僕には、医師として、安楽死の問題を考えさせられる患者さんが、実際今まで何人かいました。「死は生の対極にあるものではなく、生に含まれているものである」と話した作家がいましたが、死は生の中のほんの一部なのです。実際の人生で、生が99.9%あるとしたら、死は0.1%もないのかもしれません。生きている私達にとって、死は、恐怖の対象でしかも想像の産物でしかありません。

しかし、死への恐怖感が、その患者さんにとって、生きる意欲や希望に勝るとき、残される人は、一体どのように対処したらよいのでしょうか。その際、残される者の感情はどのように動くのでしょうか。

そして、もし万が一目の前にいるかけがえのない、愛する人を苦しみから救うためには、まさに安楽死しか選択肢が残されていないという場合。でも、その引き金は自分で引かなければならないという場合。選択を迫られたら、自分だったらどうするでしょう。


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