7歳の空海が、仏法に入って衆生を助ける事が成就出来るのか試すために、身を投げたという伝説がある、出釈迦寺の奥の院である捨身ヶ嶽禅定に行ってみました。
空海を学んだ上で、どうしても行ってみたかった場所でした。
奥の院からさらに山というより、絶壁の岩山を登ります。
すくむ足に、気合を入れて鎖を掴んで登りました。
https://www.facebook.com/1486146253/videos/pcb.10232452466402642/229111093533828
絶景でしたが、ここからリアルに飛び降りるなんて、無理ですね。
https://www.facebook.com/1486146253/videos/pcb.10232452466402642/863701142116720
以下、出釈迦寺のWebsiteより引用します。
弘法大師幼少期の数ある伝説のひとつ「捨身ヶ嶽」縁起にゆかりがあります。
それは、弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時。
我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。
すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。
命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で刻んで安置し、堂宇を建てたといいます。