再びイタリア出張記です。
コロッセオを訪れました。
コロッセオ下に赤いマントをつけた人が見えます。
左下なのですが、わかりますか?
拡大するともう少しわかりやすいかもしれません。
なんと、グラディエーター(剣闘士)でした。
観光客がたくさん写真を撮っていましたよ。
コロッセオの中に入るのは、20年ぶりなのです。
英語のガイドツアーについてみました。
今考えても、壮大な施設ですよね。
ツアーに参加していたオランダ人と話が弾みました。
写真も撮ってくれましたよ。
再びイタリア出張記です。
コロッセオを訪れました。
コロッセオ下に赤いマントをつけた人が見えます。
左下なのですが、わかりますか?
拡大するともう少しわかりやすいかもしれません。
なんと、グラディエーター(剣闘士)でした。
観光客がたくさん写真を撮っていましたよ。
コロッセオの中に入るのは、20年ぶりなのです。
英語のガイドツアーについてみました。
今考えても、壮大な施設ですよね。
ツアーに参加していたオランダ人と話が弾みました。
写真も撮ってくれましたよ。
イタリア出張記にしばし戻ります。
ローマ滞在最終日。フライトの時間までまだわずかに時間が残っています。
もう少し観光をすることにしました。
朝一番で向かったのは、サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂。
この大聖堂は、ローマに数多くある教会の中でもランク付で最高位にあるものです。
313年のミルティアデス教皇の時代から、1309年のローマ教皇のアヴィニョン捕囚まで、このラテラーノ大聖堂と
横のラテラーノ宮殿に教皇が住んでいたのです。
つまり教皇庁だった場所です。
ちなみに1377年にアヴィニョンからローマに帰った教皇が移動した先が、サン・ピエトロ大聖堂。
1929年にムッソリーニ政権下のイタリア王国と締結したラテラノ条約も、このラテラノ宮殿で結ばれたのですよね。
このラテラノ条約のために、ヴァチカン一帯が「ヴァチカン市国」が政治的独立を認められたのです。
ちなみにヴァチカン市国外のいくつかの区域もヴァチカンの主権が認められていますが、この大聖堂も飛び地の扱いで、ヴァチカンの主権下にあります。
中央には法王の専用祭壇があります。
さすがに豪華ですね。
宮殿斜め前の礼拝堂には、「Santa Scala」と呼ばれる28段の階段があります。
この階段は、「聖なる階段」と呼ばれていて、キリストが十字架にかけられる前にかけられ66度の裁判の際に使ったとされるもの。イスラエルのエルサレムから運ばれたのだそうです。
多くの敬虔なクリスチャンが膝をついて祈りながらこの階段を登っていました。
イスラエルは、フォトフェイシャルで有名なルミナス社や、オーロラ、ギャラクシー、リファーム、トリニティと魅力的な機器を発売してきたシネロン社の本社がありレーザー光機器と関連が深い国です。
国民の中で、博士号の学位を持つ者の比率が最も高い国といわれており、日本に似た完全な技術立国。信頼感がありますよね。
この聖なる階段を見ていて、昨年行った国際学会周遊記イスラエル編にも書きましたが、イエスの最後の地、ゴルゴダの丘の風景を思い出しましたよ。
パンテオンから、4つの噴水があるナヴォーナ広場を抜けて、僕はサンタンジェロ城を目指しました。
テヴェレ川を渡るときに、とてもきれいなサンタンジェロ橋があるのですよね。
このあたりの景色はフォトジェニックで、大きなカメラを抱えた人がたくさんいます。
確かに素人の僕でも写真を撮りたくなるようなアングルがたくさんあって、にわかフォトグラファー気分でシャッターを何度も切ってしまいました(笑)。
サンタンジェロ城は、イタリア語で書くとピンと来るのですが
「Castel Sant’Angelo」
つまり、“聖天使城”というわけです。
城の名前の由来は、590年のフランスを中心としたペスト大流行の際、この城の上に大天使ミカエルが現れ、剣をさやに納めるしぐさをすると、間もなく流行が治まった・・・という伝説によるのだそうです。
城のてっぺんには剣をさやに納めるミカエルのこの像があります。
今世紀に至るまで、ペストの大きなパンデミック(伝染病の世界流行)は三回起こっているといわれています。
一度目はこのフランスを中心としたファースト・パンデミック。
セカンド・パンデミックは14世紀。中世の黒死病として知られるもの。
サード・パンデミックは1855年に中国を発症としてインドなどにも波及したもの。
ペストは致死率30%以上の恐ろしい病気。都市どころか、国の人口比率を大きく変えてしまい、国の明暗を左右することもありました。
病原菌の同定が可能になったのは、1894年のこと。
当時、伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)の所長であった北里柴三郎が、政府の依頼でペストが蔓延していた香港に飛び、そこで行った研究の功績です。北里柴三郎というとドイツに留学して破傷風菌の発見や血清療法などの功績で、第一回ノーベル賞の人選にも挙がった日本の医学の祖の一人ですね。
研究者として、医師として、そして海外と関連があった人物として、ぼくが尊敬する人の一人です。
ちなみに僕が医学博士号を取った後の、大学病院医師としての最後のキャリアは、北里柴三郎が初代所長を務めていた東京大学医科学研究所の附属病院の大学助手(現在は助教)でした。
実は僕には国家公務員だったキャリアもあるのです(笑)。
白金という高級住宅街の中にある、レンガ建ての歴史を感じさせる建物。秋には紅葉したイチョウ並木の中で、銀杏が沢山とれたんですよ。いい思い出です。
トレヴィの泉から、今度はパンテオンを目指しました。
実は何度もローマに来ているのに、パンテオンを見たことがなかったのです。
紀元前1世紀に完成したものが火事で焼けおちたため、
2世紀に再建したとのことですが、よく見れば見るほど、すぐれた建築物だと思いました。
あのミケランジェロが「天使の設計」と絶賛しただけのことはあります。
これが、パンテオンの図面です。
ごらんのとおり、図面上は ドームとファサードの組み合わせでできているので、後ろから見ると単なるドームに見えますが
ほんのちょっと移動して、前から違う角度で見ると、全く違った印象の建物に見えませんか?
そして教科書に載っているかのようなコリント式の柱頭。
中に入るとまず目につくのが、丸天井の中央にある直径9mの天窓。
ここを訪れたのは、お昼過ぎくらい。
天窓から差し込む太陽の光が、ちょうど中央を照らしていたのです。
パンテオンの動画を見つけましたが、この日も本当に幻想的でした。
ここにはあのラファエロのお墓もありましたよ。
大きな柱を通過して外に出ました。
うーん。素晴らしいものを見せてもらいましたよ。
晴れた土曜日のローマ。
スペイン広場から歩いてトレヴィの泉にやってきました。
本当に人が多いのです。
泉にコインを投げると、願い事が叶うといわれていますが、この通り、皆が後ろ向きで投げています。
一枚投げると「再びローマに来れる」
二枚投げると「好きな人と永遠に一緒にいられる」
三枚投げると「恋人や配偶者と別れられる」
のだそうです。
三枚投げる時のお願いは、離婚を禁止していたカトリックのイタリアの歴史が垣間見れますね。
みたところ、三枚投げている人はいませんでしたね(笑)。
僕は20年前に来た時に一枚投げましたが、そのご利益があってか、この場所には何度か戻ることができています。
晴天のローマは今回が初めて。こんなお天気だと街歩きも楽しいですよね。
街並みを歩いていると、突然よく見知った景色が出てきます。
世界的な観光地ローマのすごいところですよね。
次はどこに行こうかな??