結局朝まで書式や投稿方法について米国の学会誌事務局とやりとり。
事務の人って細かいです。
さらにネット上の説明に不備があった事を伝えても認めないみたいな。
おかげでほとんど眠れませんでした。
これで受理してくれると良いのに。
次の作業はアメリカでとメールして、なんとかスカイライナーに乗り込みました。
結局朝まで書式や投稿方法について米国の学会誌事務局とやりとり。
事務の人って細かいです。
さらにネット上の説明に不備があった事を伝えても認めないみたいな。
おかげでほとんど眠れませんでした。
これで受理してくれると良いのに。
次の作業はアメリカでとメールして、なんとかスカイライナーに乗り込みました。
今日は46歳の誕生日。
多くの方にお祝いの言葉をいただきました。
ありがとうございました。
僕はといえば、クリニックFで、明日からのワシントンDCの米国皮膚科学会出張の前に投稿中の英文論文の最後のreviseと戦っていました。
夜11時頃、ようやく完成。
なんとか出国に間に合いそうです。
これから帰って荷造りです。
自分でいうのもなんですが、人が思っているよりも僕ははるかに地味で勉強家で努力家だと思います。
でも、世界を相手に最新の技術で対抗するには、もっともっと努力して勉強しなければなりません。
ひたすら頑張るのみです。
今年も頑張ります。
本年マイアミで開催される米国皮膚科学会参加のために、米国に来ています。
Washington Dulles International Airport (IAD)にてトランジット中。
アメリカ最南端のフロリダ州ですので、成田からここまで12時間。
さらに3時間待って、ワシントンDCからマイアミビーチまで3時間の飛行。
現地では、晴れが続いてくれると良いのですが。
またあちらの様子をブログでアップしますね。
ワシントンDCの国際空港ではさすがにお膝元だけあって、オバマ大統領のグッズが充実していました(笑)。
世界総不況の中、アメリカの景気回復がいつになるかは、オバマ大統領とそのブレインたちにかかっているといえます。
Yes, we can!の実践が楽しみです。
ところで、今回のアメリカ滞在では、時差ぼけもあって、テレビを観る時間があったのですが、アメリカで最も人気あるテレビ番組の一つ「アメリカン・アイドル」を初めて観ました。
この番組、タレント発掘番組の一つなのですが、視聴者からの情報で集められた参加者をワンクール3ヶ月かけてテストし、ふるいにかけ、最後は視聴者投票により優勝者を選ぶというもの。
今年の予選参加者は10万人、毎週の電話による投票数は6400万票を数え、いまやアメリカの国民的行事として定着しているのです。最終候補者10人による夏の全米ツアーは毎年ソールドアウト、3人のファイナリストが出身州に凱旋すると州知事と大群衆が出迎え、アイドル候補者の誕生日を州の記念日に制定するぐらいの熱狂ぶり。優勝者は全米ネットワークのニュースや全国紙で伝えられるので、優勝の時点で、知名度は国民的レベル。優勝者にはタレントデビューが約束されています。
候補者の中には、素人目に見てもうまいとは言えないのに、本当に自信ありげに歌やダンスを踊る人あり、
パッとしないおじさんが、皆が感動する見事なアリアを歌ったり、
選考者とのやりとりに怒り出してしまったり、
超ポジティブシンキングで、ひとりひとり確固とした自負を持つアメリカ人の国民性がよくわかります。
このところ、英語を母国語に持たないアメリカ人が増えていますが、英語も平易なので、ノンネイティブの僕でもほとんどすべてが聞き取れます。そういったところも人気なのでしょう。
この日のUSA TODAYでも、こんなに大きな扱いでした。
この不況時における、数少ないアメリカン・ドリームをつかむ、一つの社会現象ということなのでしょうね。
帰国にはユナイテッド航空を使いました。
これで僕の 2009年の米国レーザー医学会(ASLMS)ワシントンDC出張の報告は終わりです。
ワシントンDC最大の見どころといえば、ホワイトハウスや国会議事堂などが挙げられるかもしれませんが、僕にとってDCと言えば、なんといってもスミソニアン協会です。
スミソニアン協会は、このモール地区に10の博物館と美術館を、そしてモール以外のワシントンDCに6つの博物館と美術館と動物園を持つ、世界最大のミュージアムと研究機関を統括するグループなのです。
これらのミュージアムの入場料はすべて無料。世界中どこを探してもこんな場所はないのではないでしょうか。
遡れば1765年。イギリスで生まれたジェームズ・スミソンという人物が、科学者として成功をおさめ、
「自分の子孫達が子供を産むことなく亡くなった場合に、スミソン家のすべての財産をアメリカ合衆国に、スミソニアン協会の名の下、人類の知識の普及と向上のために譲る」
という遺言を残します。
子供のいなかった彼の甥が亡くなった後、当時のお金で52万ドルが合衆国に贈られ、1846年にスミソニアン協会が設立されるのです。
今回の旅では、これら一つ一つのミュージアムを回る時間はとてもなかったのですが、いくつかの博物館を駆け足で回ることができました。
それにしてもものすごい情報量です。
まずは、毎年600万人が訪れるという、国立航空宇宙博物館に行ってみました。この博物館の入場人数は、全米一だそうです。
観光バスが沢山停まっていますね。
まず、博物館の中に入ると、そのホールは
「マイルストン・オブ・フライト」
という部屋。
「飛行技術の一里塚」
とでも訳すのでしょうか。
いわば人類飛行史上の、偉業を達成した飛行機が飾ってあるのです。
飛行機が好きで、ついに自家用操縦士免許を取得してしまった航空マニアの僕にとって、こんな素晴らしいところはありません(笑)。
まず目についたのは「月の石」。
これは手に触れることができるようになっています。手に触れられる月の石は、おそらく世界でここだけでしょう。
ホールを見上げると、世界最初の人工衛星であるスプートニック一号の模型。その裏には土星まで行ったボイジャーの模型。
ふと横を見ると、チャールズ・リンドバーグが世界初の大西洋単独無着陸飛行を行った「スピリット・オブ・セントルイス」です。
当時NYからパリまで33時間30分もかけて飛んだのです。
映画「翼よ! あれがパリの灯だ」でも有名な、まさに航空機史上の輝けるマイルストン。
本当に小さな飛行機で驚きました。
その先に見えるオレンジ色の機体は、世界初の音速を超えた超音速飛行を成し遂げた「グラマラス・グレニス」。
1947年、チャック・イェーガー(退役少将)の成し遂げた快挙ですが、こちらも映画「ライト・スタッフ」に詳しいですね。
チェック・イェーガー大尉が音速を超えた時、腕に付けていた時計がロレックスだったと聞いたことがあります。
ロレックスGMTのチェック・イェーガー記念モデルが出て話題になりましたよね。
第二次世界大戦中の航空機の部屋には、三菱の作り上げたゼロ戦が展示してありました。
当時最高レベルの能力を持った飛行機だったのですが、今思っても、無駄のない、美しい流線型のモデルですね。当時から日本の技術力は、非常に高かったのだと思いますよ。
駆け足だったのですが、この日は他にも国立自然史博物館や、ナショナルギャラリー(国立絵画館)などもさっと見ることができました。
ほら、ティラノサウルスです。
こちらは自然史博物館にあった「ホープダイヤモンド」
45.52カラットのブルーダイヤです。
映画「タイタニック」の中でも引用されていましたよね。
大人気でした。
国立絵画館(ナショナルギャラリー)には僕の好きなフェルメールの作品もいくつかあったのですが、やはり注目すべきはこの作品です。
ヨーロッパ以外で観ることのできる、唯一のレオナルド・ダ・ビンチの作品である「ジネブラ・デ・ベンチの肖像」です。
15世紀の天才。レオナルド・ダ・ビンチが残した絵画は意外にも少なく、現存するものは20点ほどなのだそうです。
さらにフェルメールの秀作も三点。
他にもボッティチェリやモネ、レンブランントなどの秀作があり、非常に充実した午後になりました。
個人的に好きな場所になったのは、このナショナルギャラリーの中廊下です。
落ち着いた雰囲気と、綺麗な花に、暫し立ち止まり、時を忘れました。