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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

カテゴリー:欧州 ドイツ編

●2013年9月 ドイツ・イタリア出張⑧ ドイツはマインツにて ワーグナー楽劇「ラインゴールド」

おはようございます。

今日9月18日(水)はクリニックFの診療日です。

本日夕方より、大先輩が来院することになり、久しぶりに院長室の大掃除をしました。

書籍や資料は山積み、機器がひしめきあって足の踏み場もないような状態だったのですが、なんとかここまで綺麗に?なりました(笑)。

ちなみにこちら、先日受理された英文論文の参考文献です。

今は、PDFでたいていの資料を読みますが、一つ論文を書くとこのぐらいの資料が手元に残ります。

自分の論文が出版されたら、すべて捨てられるので楽しみです。

さて、僕のブログ「新国際学会周遊記」ですが、そろそろドイツ~イタリア~ルクセンブルグの出張記を挙げてしまおうと思います。

※※※※※

今回使用した航空会社はJALでした。

フランクフルトまでの飛行時間は12時間余り。

フランクフルトではターミナルを電車で移動します。

こちらの地下からフランクフルト市内への鉄道が出ているのですが、フランクフルトの街は何度も泊まっていますので今回は空港から反対方向のマインツに宿をとることにしました。

こちらはマインツ駅前。

小さな街です。

駅近くに宿を取り、早めに就寝。

翌朝目が覚めてみると日が昇るところでした。

少し街を歩いてみます。

約1kmほど歩くと、ライン川のほとりに出ます。

途中、「ラインゴールド」というレストランを見つけました。

「ラインの黄金」は、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」の序章の名前ですよね。

このオペラ4部作、16時間にわたる物語はライン川の河底で始まります。

3人のラインの乙女たちに言い寄ろうとするニーベルング族のアルベリヒ。乙女たちに愚弄されてしまいます。

アルベリヒは河の底に眠る黄金を見つけるのですが、ラインの乙女たちから

「愛を断念する者だけが黄金を手にし、無限の権力を得て世界を支配する指環を造ることができる」

と聞かされるのです。

アルベリヒは愛を捨てて呪い、黄金を奪うのです。

この呪われた世界を支配できる指輪の争奪戦が世代を超えて、次作「ヴァルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」と複雑に続いてゆくのです。

ライン川のほとりには、クルーズシップが。

こちらマインツは、マイン川とライン川の合流点で河川交易の要所でした。

いつかライン河クルーズに参加したいのですよね。

 


◆2013年8月ヨーロッパ出張⑭ ベルク城 シュタルンベルク湖 ルートヴィッヒ2世の死の真相 

早朝にオーストリア・ブレゲンツを出発。

この日はドイツ・ミュンヘンを経て、再びオーストリアへ。ザルツブルグに向かいます。

アウトバーンも時速200㎞オーバーで順調に飛ばします。

まずはルートヴィッヒ二世の遺体が見つかったシュタルンベルク湖の湖畔に向かいました。

ルートヴィヒ二世は1886年6月11日に、ノイシュヴァンシュタイン城で精神疾患をきたしているとして捕らえられ、翌朝そのままシュタルンベルク湖畔のベルク城に幽閉されてしまいます。

二日後の6月13日夕方ルートヴィヒは精神科医グッデンと散歩に出かけますが、そのまま二人とも戻らず溺死体として発見されるのです。

彼が本当に精神疾患を患っていたかどうかについては医師の間でも議論が分かれるところですが、僕はこの旅で実際彼の作り上げた城を見学し、その執着気質からくるあまりに精緻すぎる内装を見て、もし彼がここまでのこだわりをもった妥協を許せない性格であったならば、この時代・この国の国王としてはさぞ生きづらかったことであろうとふと思いました。

プロイセンやオーストリアなどの列強が争い合う時代に、バイエルンの立憲君主国家の国王として国家の存続がかかるのは、相当なプレッシャーだったことでしょう。

ワーグナーという年上の友を得て、彼に傾倒し、芸術に没頭するのもわかる気がしました。

もちろんそんな彼であったからこそ、こうして何世紀を経てもなお色褪せることのない大きな財産を残すことができたということも言えますよね。

ノイシュバンシュタイン城で、

「私は大学で学び始め学問の面白さを知った途端、父の死により学問から引き離された。私には経験が不足していた。」

という趣旨の大学の教授に宛てた手紙の文章を読んだのですが、物悲しさを感じましたね。

そして、運命の螺旋が織りなす歴史の興味深さも同時に噛みしめました。

車で通り過ぎてしまうような細い道に、この看板を見つけました。

深い森を歩くこと15分ぐらい。

湖面が現れました。

こちらが彼を弔う十字架です。

夏の暑い時期でさえ、ちょっと寒気がするような場所でしたよ。

正面には彼を弔う礼拝堂があります。

この場所を訪れることができてよかったと思いました。

 


■2013年5月ドイツ出張⑭ ライプティヒにて セントトーマス教会 ニコライ教会

ライプティヒ2日目。

朝食を食べたホテルのレストランで、このようなディスプレイがありました。

楽器を並べてディスプレイにするなんて、発想が素晴らしいですね。

バッハがオルガ二ストとして勤務したトーマス教会で合唱があるとのことで、朝から出かけてみました。

こちらがトーマス教会。

バッハの立像もあります。

日曜日朝10時からの合唱には多くの人が集まっていました。

街中でこのようなイヴェントがあるのもキリスト教の国家ですよね。

トーマス教会の中にはバッハのお墓があります。

以前来た時も訪れましたが、改めて一枚写真を撮りました。

ライプティヒの街を歩くと不思議な建築物も多く、とても楽しいのです。

ちょうどこの日は、キリスト教の復活祭にちなんで黒の入った装束で集まる企画をやっていたようで、街中にはこのような服装の人たちが沢山いました。

ホンダのオートバイですね。

さらに、近くのニコライ教会に足を延ばします。

1989年の東西ドイツの統合のきっかけになったベルリンの壁崩壊は、こちらのニコライ教会で月曜日に行われていた祈祷集会が民主化要求デモにつながったのです。

ちょうどお昼のミサが始まるところ。

パイプオルガンの演奏が素晴らしく、印象に残りました。

こちらにもバッハの胸像がありました。

ライプティヒはクラシック音楽が生まれた街の一つです。

それは、現在まで脈々と続く人類の歴史と文化を肌で感じられる場所の一つでもあるということです。


■2013年5月ドイツ出張⑩ ベルリン中央駅 来日中の京劇三国志

おはようございます。

今日5月31日(金)はクリニックFの診療日です。

都心は朝から気持ちの良いお天気ですね。

昨晩、中国から来日中の「京劇三国志」を観に行きました。

ご縁あって、中国国宝の趙永偉さんのお知り合いにご紹介いただいたのです。

奥さまが日本人なのですよね。

中国国宝の趙永偉さんは、今回、趙雲子龍と関羽雲長の一人二役をされました。

幼少のころから鍛え上げられた演技は素晴らしかったです。

終了後、舞台裏に通していただきました。

こちら、関羽雲長の衣装。

重さは15kgもあるのだそうです。

「三国志」は日本でも中国でも人気のパフォーマンスだと思います。

なんといっても数多くの登場人物たちがそれぞれ魅力的、個性的で、例えばあいつは劉備のような徳はあるが優柔不断だとか、張飛のように行動力はあるが軽率だとか、関羽のように理性的で思慮深い、などと身の回りの人に当てはめやすいのです。

経営者仲間も三国志が好きな人が多いので話題には事欠きません。

僕が好きなのはなんといっても、軍事にも戦略にも優れ、詩歌を諳んじ、戦乱の世で頭角を顕した曹操です。

長いこと中国では曹操は敵役として描かれてきましたので、この京劇では悪役扱いでした。

日本人にとっての三国志は、吉川栄治の著作。

まあ、人によっては横山光輝の長編漫画という人もいると思いますが、曹操は非常に魅力的な人物として描かれています。

事実、冷静に考えても曹操は諸葛亮孔明と並んで、おそらく三国時代で最も優秀な人物だったのでしょう。

もっとも、最近では中国での曹操の評価も徐々に変わってきているようです。

数年前の、映画「レッドクリフ」で周瑜を演じたトニーレオンは、本当は曹操を演じたかったとインタビューに答えていたのが印象的でしたよ。

さて、今日も僕のブログは、先日滞在したドイツはベルリンのお話です。

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こちらベルリン中央駅。

以前来た時は工事中でしたので初めて見ましたがが、きれいな建築物ですね。

構内の商業施設も、デパートのようなラインアップです。

構内にはベルリンにちなんだお土産屋さんや

各種ビールに合わせて作られたグラスなども売られていました。

銘柄を合わせて飲むのは楽しそうですね。

僕は寿司のお弁当を一つ買って電車に乗り込みました。

数年前には考えられませんでしたが、寿司が世界で流行ってくれて本当に良かったな、と思う瞬間です。

お米を食べると安心します。

さて、電車はライプツィヒに向かいます。

 


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