診療の合間にひとつ用事があって、御茶ノ水に行ってきました。
四谷に開業を決めた理由のひとつに、御茶ノ水(というか本屋街の神保町)が近いということもあります。
僕はこの街が好きなんですよね。
打ち合わせを終えて帰りに三省堂に寄り、本をいくつか物色した後、神保町を抜け、靖国神社と武道館の間を上り、北の丸公園を左に見ながら市ヶ谷へ。番町を経て四谷まで歩いて帰ってきました。
茜色に染まる空に向かって、西へ西へ。
良い散歩になりましたよ。
さあ、ここから今日後半の診療です。
診療の合間にひとつ用事があって、御茶ノ水に行ってきました。
四谷に開業を決めた理由のひとつに、御茶ノ水(というか本屋街の神保町)が近いということもあります。
僕はこの街が好きなんですよね。
打ち合わせを終えて帰りに三省堂に寄り、本をいくつか物色した後、神保町を抜け、靖国神社と武道館の間を上り、北の丸公園を左に見ながら市ヶ谷へ。番町を経て四谷まで歩いて帰ってきました。
茜色に染まる空に向かって、西へ西へ。
良い散歩になりましたよ。
さあ、ここから今日後半の診療です。
スペイン広場の先にはローマ屈指の高級ショッピングストリート=コンドッティ通りがあります。
通りの入口に、「Antico Caffe Greco」というカフェがあります。
創業は1760年。ローマ最古のカフェとして知られています。
ゲーテ、アンデルセン、ロッシーニ、リスト、ワーグナー。。。数多くの著名な作家や芸術家に愛され、とりわけドイツ人の芸術家が大勢押し寄せたので、このカフェは「カフェテデスコ(ドイツカフェ)」と呼ばれていたそうです。
お店に入ってすぐに、おいしそうなスイーツの並ぶショーケース。
コーヒーを中で飲みたかったのですが、残念ながら中は一杯とのこと。
久しぶりなので、街を見ながら、トレビの泉に行ってみようかと店を出ました。
スペイン広場を背にして歩きだしたのですが、名残惜しくて何度も振り返ってしまいましたよ(笑)。
再びイタリア出張記です。
ヴァチカンを訪れた後は、地下鉄に乗ってバルベリーニ広場に向かいます。
有名な4匹のイルカに乗ったトリトーネの泉で知られる場所です。
そこからシスティーナ通りを上がっていくと、あのスペイン広場に出るのです。
スペイン広場の上に見えるトリニタ・デイ・モンティ広場のオベリスクが見えてきましたよ。
スペイン広場に近づくと、視界がさっと開けるところが好きなんですよね。
上からスペイン広場を眺めてみると、中腹に何やらモニュメントらしきものが飾ってあります。
階段を下って見上げるとわかりました。
この通り、ベルリンの壁が移設されているのです。
壁崩壊の20周年期間限定の記念イベントなんでしょうか?
でも、デザインとしては意外としっくりくるものです。
皆さんもそう思いませんか?
さて、スペイン広場と言えば、、オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」ですよね。
この場所でジェラートを食べるヘップバーンがとても印象的でした。今はもうここで食べることはできなくなってしまったそうですが。
スペイン広場にちなんで、僕は母から思い出話を聞いたことがあります。
カトリック系の学校に通っていた僕の母は、結婚前に3年間ほどスペインとコロンビアの教会でボランティアをしていた時期があったそうです。
1960年代の話です。
ちょうどスペインからコロンビアに移動する途中、サマー・ボランティアで1ヶ月半ほど、このローマのスペイン広場近くに下宿していたことがあるのだと、子供の頃よく聞かされていました。
このボランティアにはヨーロッパ各地から子女が集まり、そうした国際交流もとても楽しかったのだそうです。
ヨーロッパの学生は、遠い場所でも電車やバスを使わず本当によく歩くのよ
と、母は言っていましたっけ。
また、「ローマの休日」公開以後、このスペイン広場が一気に有名になり、ここで映画の撮影が当時行われていたのを何度か目にしたそうです。
後でアテレコをするからでしょうか。俳優さんが毎回「口ぱく」状態で言葉を発せず口だけ動かした状態で演技をしているのが、見ていてとてもおもしろかった、皆で大笑いしながら見ていたのよ、と聞いたことがあります。
歩いていてそんなことを思い出しました。
今日はこの冬初めてダウンジャケットでクリニックに出勤。雨風もあって寒いですよね。
僕は買い物が苦手なのですが、先日家で夜中、大好きな焼酎を飲みながらネットサーフィンをしていたついでに(お酒の勢いか)、楽天のオークションで新品のモンクレールを落札してしまいました(苦笑)。
金額は、13,500円でしたよ。
今日のクリニックは、トリニティを御所望される患者さんのオンパレード。
「一度マトリックスIRの施術を受けてしまうと、肌質の良さに感激して、ギャラクシーにはもう戻れない!」
と、カウンセリングで何人もの方がおっしゃってくださいます。
僕も打とうかな(笑)。
「ピエタ」は「慈悲」を表わす言葉。
磔刑に処せられたイエス・キリストと、その亡骸を腕に抱く聖母マリア像をモチーフにした絵画や彫刻のことです。
この像に心惹かれる人は多いと思うのですが、僕も20年前にこの像をここサン・ピエトロ大聖堂で見た時に、本当に心打たれました。
子供を失った親の悲しみの深さはあまりに深すぎて、ちょっと想像できませんよね。
ミケランジェロは全部で4作のピエタを作成しています。
それぞれ、
サン・ピエトロのピエタ 1499年 (ヴァチカン サンピエトロ大聖堂)
ドゥオーモのピエタ 1547年 (フィレンツェ ドゥオーモ博物館)
パレストリーナのピエタ 1550年 (フィレンツェ アカデミア美術館)
ロンダニーニのピエタ 1564年 (ミラノ スフォルツァ城博物館)
ですが、
ミラノから入って、フィレンツェで学会講演をし、ローマ・ヴァチカンに入る・・・という今回の旅で、僕はこの四つのピエタをすべて見ることができました。
年代順に考えると、新しい作品から順序よく見ることができたということになります。
このうち、サン・ピエトロにある像のみが完成し、あとは未完成に終わっています。
年代順に、ヴァチカンの次に制作されたのは、フィレンツェのドゥオーモ付属美術館のフィレンツェ(もしくはドゥオーモ)のピエタ。
イエスの亡きがらに三人の人物が寄り添いますが、右が聖母マリア。左がマグダラのマリアといわれています。
こちらは同じくフィレンツェのアカデミア美術館にあったパレストリーナのピエタ。
アカデミア美術館は、写真撮影を厳重に注意されましたので、写真は複写を使いますね。
そして、今回の旅で最初に見た、ミラノのスフォルツァ城にあるロンダニーニのピエタ。
ミケランジェロは、視力を失ったのもかからわず、手探りで病で倒れる直前まで、この像を彫っていたそうです。
こうして見ると、最初に制作されたサン・ピエトロ大聖堂の若きミケランジェロの作成したピエタと比較して、イエスの像が年を追って作られるごとに、痩せ細って来ますよね。
彫刻家のミケランジェロが、齢を重ねるごとに、ピエタの解釈が変化したのでしょう。
何と言葉で説明して良いのかわかりませんが、どの彫刻にもそれぞれのもつオーラのようなものがありましたが、それぞれのオーラの色は少しずつ変化していったような気がしましたよ。