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仏道学院修了論文「我が人生」

仏道学院修了にあたり、課題となった我が人生。

考えるきっかけを多く与えていただきました。

今回僧侶免許を取得するまで仏教を学んで得た事は、八正道の教えを深く理解した事だと思います。

もちろん文字としての八正道は何度も読んだことがありましたが、数カ月にわたり日々考え、理解を深めた事は初めてでした。

物事を正しく認識するため2000年以上も培われた考え方。

今後の自分の生き様の羅針盤の様になるのではないかと思います。

とはいえ、まあ言ってみれば得度は仏教の考えを一通り修めた運転免許みたいなもので、そのスタートラインに立ったという事ですね。

修了論文なので日本語と英語で文章を書き、2言語で提出しました。

我が人生

<祖父のこと>
私の今までの半生において、精神的なバックボーンとなっているのは、母方の祖父の生き様にあったように思う。祖父は、若くして身延山で修業をしたのち、日蓮宗の僧籍を取得し、修業僧への理数系の教育に携わっていたが、頭脳明晰を認められて、「医者になってはどうか」と薦められた。医師になってからは、当時隔離を要する病気とされていたハンセン病の研究治療にあたっていた。終戦間際には、沖縄の隔離施設に赴任しており、激烈な沖縄戦闘において空爆や火炎放射などが想定されていたために、最低限の生活ができる広さの竪穴式壕を設計し、体力が弱っていた患者やスタッフを叱咤激励して作らせた。結果的には、一般市民に多くの犠牲者が出たにもかかわらず、この豪のおかげで死者を出すことなく彼らの命を救ったとして、近年になって、その功績がテレビで詳しく報道された。戦後は静岡県で医師をしながら、早朝 4 時に起床して、医学論文に目を通したあと、経を上げるという毎日を過ごしていた。祖父との離別時には私は 10 代半ばであったが、その後の重要な決断時には、その生き様を参考にしたことが多かった。

<幼少期>
父方の祖父は海軍将校で、若くして鎮守府長官の副官を務めるなど嘱望されていたが、終戦間際に他界した。父は研究者であり大学で教授職に就いていた。また、母は祖父を手伝いながら、人の健康に欠かせない栄養学を修得していた。そんな家族のもとに生を受けた私は湘南の海の近くで育ち、音楽好きだった両親の影響でピアノを習い、少年少女合唱団で歌う子供であった。母の教育方針で「何事にも好奇心を持つことを良し」とし、いつでも好きなことに集中することができた。「遊びは土地を拡げ、勉強は建物の高さを高くする」と言われるが、受験勉強や塾通いはせずに、ひたすら魚釣りや昆虫採集、海遊びや動物飼育などに没頭できたのは良い思い出であり、その結果として現在の自分の性格が作られたように思う。このように、私の幼少期は心に葛藤を持つ必要がなかったという点で非常に恵まれていたし、外の世界に没頭する外交的性格および物事への探求心が形成されたと思う。

<思春期>
進学した地元中学の雰囲気は他校と同様に荒れており、身体だけでなく、ともすれば心も傷ついてしまう事態に多々遭遇した。しかし、それまでに得た知識や経験、何より揺るぎない家族の存在により、常に救いがあった。例えば、父の持つオーディオで繰り返し聴いたクラシック音楽に心を癒す効能があることを知り、自身を守る方法をまたひとつ身に付けることができた。そのおかげで再び知的好奇心を充たすことに没頭する機会を得て、進学の道を追求することができた。特に理数系の教科が得意であったことや前述の祖父の生き様など、様々なきっかけにも恵まれ、医師を職業とする決断をすることになる。

<医師立身期>
医学の勉強は質量ともに膨大で、多難ではあったが、身体の神秘への好奇心が強かったため、授業料免除を何度も獲得するほど勉学に没頭した。医師免許を取得して専門医取得時には、祖父が研究テーマの一つとしていた「痛みのコントロール」に興味を持ち、痛みと自律神経に関する英文研究論文を仕上げるに至った。ちょうどその頃、医療への応用が着目され始めたレーザーに興味を持ち、痛みの制御に関するレーザー治療機器を発表したニューヨークの企業を訪ねて、はじめてそのレーザー機器を操作し、大感激したことを今でも覚えている。当時のレーザー機器は、ベンチャー企業が作る簡易なものであったが、その後 CD/DVD、バーコードリーダー、レーザー加工、ファイバー通信等などに応用範囲が増えていった。医療へのレーザー利用を自分の専門にしようと思ったのはこの時期である。

<知的探求と正業>
研修医や大学助手などを経て、比較的早い時期にクリニック設立・ 経営に携わり、現在に至っている。この間、生来の探求心を追求するために、また必要に迫られて、医学、工学、薬学の 3 博士号、およびMBAを取得した。これらの学問の道は決して平坦ではなかったが、いま思い起こせば、心身共に「学び」という光を全身で浴びたような至福の時間であったと言える。そして治療実務はもちろん、国内外での論文投稿や学会発表、依頼講演、コンサルティングなどの機会にも多数恵まれた。近年では、今まで得たアカデミックな知識と、実体験で得られた知識との再統合期ととらえて、いくつかの立証コンサルテーションを行った。それらの企業の中には、自分がエビデンスを取得したおかげで売上が一気に伸びて上場路線に乗る企業も出てきた。
しかし、個人的には人並みの挫折は当然あったし、社会的にも様々な大事件が起こった。松本サリン事件で同級生を亡くしたり、東日本大震災ではクリニックの中で患者、スタッフと共に本当の怖さを体験した。最近では全世界的にコロナ禍に翻弄された。いずれのときも様々なことを思い、悩み、傷つき、そして変化することを余儀なくされた経験である。

<音楽と医学>
50 歳の誕生日を機に、幼少期から苦しかった時に癒してくれた音楽と、仕事として選んだ医学との融合接点として「音楽は名医」と銘打って、音楽の医学的な効用についての講演と、夢にまで見た本格的なオーケストラの指揮をさせていただく機会を得た。これは人生の前半の締めくくりであるとともに、両親への感謝の意味を込めたイベントである。

<仏教へのいざない>
私の半生を振り返ってみると、知的好奇心・ 探求心、そして感動や癒しの対象は、科学と芸術の分野にあった。そして、それらに触れ、学びを深めていくほどに、その発生根源にはいずれも宗教が存在することは感受していた。しかし、科学や芸術の学びや実践を深化させるにしたがって、非科学的なものを受け入れることに躊躇する場面が多々あったように思う。そのような状況が続いていたが、コロナ禍が始まる直前に、父方の祖母が 103 歳で他界した。家族としては、戦争末期に亡くなった祖父以来 75 年ぶりの葬儀を出した。身近な人の死を目の当たりにし、また正業が安定期に入ったこともあって、心のどこかで燻っていた宗教に対する躊躇が弱まり、宗教に向き会ってみようかという思いが強くなった。さらに、僧侶であり、医師であった母方の祖父が生前に考えていたことを理解したいという探求心もそれを後押ししている。

<おわりに>
畢竟、科学も医学も、芸術も音楽も、神の存在を信じ、死や痛み、災害や争いごとを畏れるところから始まっている。そこには未来の、1 分先の、知らない時間への恐怖があり、また、己への執着があるからこそ宗教が生まれるのだと考えられる。
人生の前半は、様々な知的好奇心・ 探求心に引っ張られるように、主として外の世界を探訪してきたが、人生の後半を迎えるにあたり、己と向き合ってみたいと初めて思うに至った。こうしたことをより深めていきたいし、僧籍を取ったのちは、科学と宗教理念の再統合なども考えてみたいと思う。
自分の名前には弘法大師の「弘」という文字が入っている。この由来について父に聞いたところ、「幸せを弘める」ことができる人間になれ、という思いで名付けたそうだが、まさにこの言葉が、弘法大師の生き様を表現しているのではないかと思った。そして僧侶資格について通信教育などいくつかの手段を考えた後、ご縁をいただいた弘法寺で、自分の名前の「弘」の由来でもある弘法大師と仏道について学ぶきっかけをいただき、毎回 13 人の同期と共に理解を深めることができたことに心より感謝いたします。

令和 5 年 7 月 8 日

弘法寺仏道学院四期生  藤本幸弘


ルービックキューブ

ハンガリー出身の建築家で、ブタペスト工科大学教授のエルノールービック氏が1977年に作り上げたルービックキューブ。

単純ながら、美しい六面体のパズル。

本当に素晴らしい。

僕も小学校の時に熱中し、学校で初めて6面を揃えたのを覚えています。

ちなみに、3×3×6面からなるキューブの配置は、

4,325京2,003兆2,744億8,985万6,000通り

もあるそう。

さらに、どんな状態からも6面が揃えられるという手数は、ルービックのゴットナンバーと言われており、2010年7月にそれが20手だと証明され確定するまで世界中で研究されてきたそうです。

すでに特許権は切れており、日本では商標が残っているものの、こうした進化系が出ているのも面白いですよね。

Amazonポイントで買ってみました。

ちょっと遊んでみようと思います。


レーザー治療をするだけで、なぜ若くなるのか?

レーザー治療をするだけで、なぜ若くなるのか?と質問を受けたので、お答えしますね。

自分の顔をみていて、年取ったなあと思う瞬間ってどんな時でしょう?

コラーゲンやエラスチンが加齢により細くなると、隙間ができます。その隙間には水が溜まって「むくみ」を感じるようになります。

「パツっ」とした感じから、「ぺちゃっ」とした感じへの変化です。

夕方になって、仕事を終えて帰るときは、そのむくみの水分が尿や汗によって排出されますので、自分のげっそりした顔を、帰宅途中の地下鉄の中とかで見つけてしまうのです。

とにかく真皮内の隙間が「イケてない顔」を作ってしまうのです。

実際には、コラーゲンやエラスチンを作る遺伝子は、誰もが生まれつき持っています。

レーザーをトリガーにして、これらの遺伝子を再発現させるような波長の研究が進み、強度設定なども可能になりました。

若かったころの様なパツっとした柔らかい肌を、自前で取り戻すことができる時代になったのです。

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日本の保険診療下でのレーザー治療は、シミやあざを取る、いわゆる病気を治療する診療でした。

21世紀に入り、米国を中心に肌を若返らせるレーザー治療が生まれてきましたが、この分野は教科書も何もない分野でした。

レーザー治療機器は数多く存在しますし、僕自身もそれこそ20年間で100台以上の機器を購入してきました。

クリニックFにあるすべてのレーザー機器は、僕自身がその開発会社に自ら出向き、社長や技術スタッフの工学博士たちとディスカッションした上で購入を決めたものです。

レーザーで肌を美しく綺麗にする治療はこの20年で飛躍的に進化しており、美を手術で作る美容整形外科とは異なった医療分野です。

最近僕も他科の学会のランチョンセミナーなどで、最新レーザー医療の話をさせていただくことも多いのですが、このようなことができるのは全く知りませんでした、と他科のお医者
さんに感想をいただくことも多く、講演をきっかけにクリニックに通ってくださる医師の方も多くいらっしゃいます。

保険診療下で国民全員に格差が無いように進められてきたきた日本の医療ですが、特に最先端医療の場合は、海外との情報の格差はありますよね。

海外出張も復活してきました。今後もアンテナを張って、正しく、エビデンスのある情報を集めてきたいと思います。


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