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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

カテゴリー:神学・仏道

般若心経

真言宗の仏道学院で学ぶようになり、般若心経をより理解するためにも、写経をしてみました。

薄い文字が書かれた写経セットなるものを手に入れて、久しぶりに筆をとってみました。般若心経には8種類の漢語訳があるそうですが、一般的に唱えられ、広く普及している玄奘三蔵の訳のものでした。

神経集中できてこれは気持ち良い。30分ぐらいで278文字書き終わりました。

般若心経を書いていて気づいたのは、全体の文字数と、使われている文字の数。特に「無」の文字をたくさん書いたので、気になって文字の数を数えてみました。

まず般若心経全体の総文字数は諸説あるのです。

278文字、276文字、266文字、262文字と。

実際数えると、これは表題と最後の般若心経の文字を入れるかどうかということですね。

つまり、

仏説摩訶般若波羅蜜多心経 ー本文ー 般若心経
の全てを数えると文字総数は278文字

「仏説」を取ると276文字

「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」を取ると266文字

最後の「般若心経」も取り、本文だけだと262文字

になります。

そして複数回使われている漢字を数えると、

やはり一番多いのは「無」で21回

次が「羅」「不」「是」の9回で

「波」が1つ8回でした。

その他、「空」「般」「若」「多」「故」「色」「蜜」「呪」が多かったですね。

学生の時に一度覚えたのですが、読み方も幾つもあるようで、より深く理解してゆきたいと思います。

内容の解説についてはまた別の時にふれますね。

———————

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
(ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう)

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
(かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ)

照見五蘊皆空 度一切苦厄
(しょうけんごうんかいくう どいっさいくやく)

舎利子 色不異空 空不異色
(しゃりし しきふいくう くうふいしき)

色即是空 空即是色
(しきそくぜくう くうそくぜしき)

受想行識 亦復如是
(じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ)

舎利子 是諸法空相
(しゃりし ぜしょほうくうそう)

不生不滅 不垢不浄 不増不減
(ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん)

是故空中 無色無受想行識
(ぜこくうちゅう むしきむじゅそうぎょうしき)

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
(むげんにびぜっしんに にしきしょうこうみそくほう)

無眼界 乃至無意識界
(むげんかい ないしむいしきかい)

無無明 亦無無明尽
(むむみょう やくむむみょうじん)

乃至無老死 亦無老死尽
(ないしむろうし やくむろうしじん)

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故
(むくしゅうめつどう むちやくむとく いむしょとくこ)

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
(ぼだいさった えはんにゃはらみったこ)

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
(しんむけいげ むけいげこ むうくふ)

遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃
(おんりいっさいてんどうむそう くきょうねはん)

三世諸仏 依般若波羅蜜多故
(さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ)

得阿耨多羅三藐三菩提
(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)

故知般若波羅蜜多
(こちはんにゃはらみた)

是大神呪 是大明呪
(ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ)

是無上呪 是無等等呪
(ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ)

能除一切苦 真実不虚
(のうじょいっさいく しんじつふこ)

故説般若波羅蜜多呪
(こせつはんにゃはらみったしゅ)

即説呪日
(そくせつしゅわつ)

羯帝 羯帝 波羅羯帝 波羅僧羯帝
(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)

菩提僧莎訶
(ぼうじそわか)

般若心経
(はんにゃしんぎょう)


情熱大陸 ピアニストの藤田真央くん

昨日の情熱大陸観ましたか?

ピアニストの藤田真央くん。

音楽について全精力をかけて、そして努力して、真摯に向き合っている姿が感動でした。

苦労も多いでしょうが、好きな事を仕事にして、尚且つ他人を喜ばせられる事が出来るって本当に幸せな事ですね。

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今年得度を得るために、僕は仏教学院に通っているのですが、釈迦の基本的な教えの一つに、八正道というものがあります。

正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定

とされるもの。それぞれの言葉の意味は仏門の教えを語る多くのサイトが出ています。

外国語を明確に翻訳するときに、少し考えないといけないのは、それぞれの言語で表す「概念」は常に少しずれているという事。

当然のことながら、もともとの釈迦が使ったパーリー語に相当する日本語が、まったく同じ意味とは言えません。

しかしながらどの用語を検索してみても、多くの解釈をそれぞれの言葉で説明されていますので、最低でも10人ぐらいの文章から、新たな概念を括り直すようなイメージを持った方がいいのでしょうね。

八正道の中の「正命(しょうみょう)」という言葉は、正しい生活と訳している人も多いのですが、お釈迦様が使われたパーリ語では、samma-ajiva(サンマーアージワ)というのだそうです。

アージーワとは、「何をして生計を立てているのか」という意味。

つまり、仕事のことを指すのです。

「正命」とは、人の迷惑になる仕事をせず、皆に役立つ仕事をすることと言っても良いと思います。

「間違った仕事をして、生計を立ててはいけない」と言えば、あまりにも当たり前のことです。

仕事の条件とは、

1)人の役に立つこと、人に喜んでもらえること

2)さらに自分も仕事により喜びを感じることができること

3)生活をするのに見合った収入を得ることができること

4)さらに人の迷惑となる仕事をしないこと

具体的には、毒、武器、麻薬の製造と売買、さらに生き物の売買をしてはならないというのが仏教の教えなのだそうです。

———————

こうして考えると、アーティストは素晴らしい職業だなあと思うとともに、医師として、趣味と興味を持って「医学×レーザー」と「医学×音楽」の二つを専門分野として扱うことができる自分は、正命を選んだなあと心から嬉しく思うのです。


祖母のお墓参りへ

今日は節分明け。

2月4日は4年前に103歳で亡くなった祖母の誕生日でしたので、神奈川にお墓参りに来ました。

初孫だった僕には無償の愛を注いでくれましたが、この写真は102歳の時に102本の薔薇をプレゼントした時です。

藤本家としては海軍士官だった祖父が戦争中に亡くなった時以来の75年ぶりの葬儀でした。

子供の頃からの家族構成が初めて変わった大きな事件だったので、いまだに喪失感に苛まれる時があります。

僕にとっては100%自分の考えをサポートしてくれる大きな存在でした。

「生と死は対極にあるものではなく、生の一部に含まれるものだ」とは村上春樹がノルウェイの森で書いた言葉ですが、人の死は残されたものにとっての方が、大きな意味を持ちますね。

戒名には「慈」の言葉が入っていましたが、仏道を学ぶ身としては、思う事が多いですね。


仏門学校での勉強始めました

【神学、仏道について、今年は仏門学校で勉強始めました】

以前記事に書いたこともありますが、明治生まれの僕の祖父は身延山で日蓮宗の僧侶の資格をとり、門下の子供を教えているうちに、頭が良いので医師になれと言われ、旧制一校を経て医師になった人です。

ハンセン氏病の研究で九州大学で医学博士をもらい、戦中は沖縄のハンセン氏病施設に赴任されて院長をしており、この時の話は以前テレビでも取り上げられました。

https://youtu.be/v3CsUoGA1Zs

(写真は1945年当時の祖父で、沖縄県公文書館からお借りしています。)

その後、静岡県三島市に居を移し、朝4時に起きてお経をあげ、日中は医院で外来をする生活を続けていました。

僕が物心ついたときには医院は辞めていましたので、将棋やオセロをした記憶しかないのですが、ちょうど僕の大学受験期の昭和の終わりに亡くなったため、それまで外交官を目指して文系の勉強をしていた僕は、この日を境に医学部併願を考えるようになり、10月に願書を取り寄せることになるのですが、まあそれはまた別の機会に。

そんな僕も、あと数年で医師免許を取得してそろそろ30年目の節目を迎えます。最近になって祖父の考えをもう少し深く理解してみたいものだと思うようになりました。

医師になった僕が初期に選択したのは、麻酔救急の分野でした。

急性期医療はまず手を動かせなければなりません。

点滴やIVH挿入、挿管などやらなければならないことがある程度決まっていて、「救命のためにルーチン通りのその作業を素早くすること」が求められていました。

両親も高齢になり、様々な医療相談を受けるたびに、高齢者医療の難しさは、経験ばかりで補えるものではないのだなあと思うようになりました。日本の国民皆保険の保険診療ができたころと比較して、疾病構造が大きく変化していますし、病状も複雑化しています。

人間70歳を越えたら体のどこかに不調を持っているのが当たり前で、がん細胞ともいくつも共生しているものです。

さらに、自分の身体の不調に対するセンサーの感度も落ちています。もしもガンを外科医が見つけたら、相手がたとえ100歳でも健康状態が良ければ切りたくはなりますが、切らない選択肢が良い場合ももちろんある。

多くの病状を想定して、その人の生活習慣や社会的なバックグラウンドや本人と家族のインテリジェンスなどを考慮したうえで、より包括的な最適解を求めるアドバイスが必要になってくるのです。

そのアドバイスや最適解を求める際に、僕は今まで、主に応用科学の世界を扱う、いわば「実態のあるものを対象」とする形而下学に根拠を求めてきました。 物事を考える根拠として、医学(生物学)、工学(物理学)、薬学(化学)の、僕の取得した三つの博士号の分野の研究立証方法を利用すれば、最適解にたどり着けるものだと。

確かに50歳までに、それまで人生の目標としていた「医師としては国際学会100回招待講演」、「研究者として工学部の教授の職を得る」、「経営者としては株式上場に関わる」ことを達成するまでは、その方針で良かったのではないかと思います。

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しかしながら、今後、自分の思考根拠をサポートする上でどうしても必要だなと思うのは、神学、仏道などの「実体のない原理」を研究の対象とする形而上学なのですよね。

人間が生まれて20万年。意味がある文字をもって記録が残るようになってからは1万年余りと言われていますが、実際のところ、ほんの100年前までは、医学も栄養学も進歩しておらず、病気は祈って治している場合が多かった。

この分野を一度きちんと学ばないと、先にはいかせてもらえない。そんな気持ちになりました。

得度を目指して頑張ります。


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