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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

カテゴリー:アジア インド編

■インド国際皮膚科学会ISDS出張⑮ インドの交通事情 オートリクシャー 

おはようございます。

「スーパームーン」と言われた満月や、つくば市などを襲った竜巻など自然の圧倒的な力をまたしても感じた今年のGW。

皆さん連休はどうお過ごしでしたか?

僕はGW後半はすこしリフレッシュを兼ねた休みをとり、久しぶりに日本の田舎の風景を楽しみました。

こちら伊豆の伊東沖で撮影したトビウオが飛んでいる写真。

船の速度から考えても、時速70kmぐらい。

ここからさらに100m近く飛ぶんですね。

飛行機みたいで感動しましたよ。

さて、5月7日。連休明けの月曜日。東京に戻り、クリニックFの診療再開です。

ブログ「新国際学会周遊記」は、先月招待講演で滞在したインドでのブログが、こちらも再開です。

しばしお付き合いください。

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インドの街の交通事情。

現地では皆、車線を守らず走行する話はふれたと思うのですが、例えばこのバイク。

見てください。

せいぜい二人乗りのはずのバイクに、前後ろで家族4人が乗って普通に走っているのです。

単なる移動? それとも家族旅行?? なのでしょうか。

ちょっと驚きます。

オートバイはホンダが人気です。

面白いところだと、こちら、インドの自動車メーカーである“TATA”タタ社の救急車。

インドでよく目にするのが、「オートリクシャー」という小型3輪車に幌がついた乗り物。

僕は乗る機会がありませんでしたが、あらゆるところで見ましたね。

リクシャーは日本語(人力車)に由来がある名前なのだそうです。

このリクシャーに多い時には10人ぐらいの人が乗っていて、これまた驚くことがあります。

運転席は、この通り、オートバイのよう。

これも記憶に残る、インドの風景の一つですね。

 

 


■インド国際皮膚科学会ISDS出張⑭ 全インド医学研究所でのレーザー実技指導

おはようございます。

明日から再び連休に突入する今日、5月2日もクリニックFの診療日。長い一日、何時に診療が終わるのか・・・サドンデスなかんじになりそうですね(笑)。

昨日も、eマトリックスや、マドンナアイリフトなど、数日のダウンタイムが必要な施術を御所望される方が沢山いらっしゃいました。

満員御礼だと思った予約枠も、その後さらに当日のお電話で「昨日中にどうしても・・・」という患者さんがいらして、追加で数名受け入れましたが、なんとかあまりお待たせせずに診療を行うことが出来ました。忙しかったですが、チームワークと集中力を駆使すれば、なんとかなるものなのだなあ・・・と改めて自分やクリニックの診療スタイルを考えるきっかけになりましたよ。

スタッフには明日以降ゆっくり休んでもらうことにして、本日も満員御礼ですが、引き続き、皆で頑張っていこうと思います。

ブログ「新国際学会周遊記」は、インド滞在最終日を迎えます。

全インド医学研究所で開かれた、招待講演の話です。

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前日の“タージ・マハル強行ツアー”は、夜中の1時にホテルの部屋に帰宅。

そのまま数時間眠った後、朝早く学会会場のホテルを出て、用意されていたタクシーに乗り、向かった先は・・・

AIIMS(全インド医科学研究所:All India Institute of Medical Sciences)。

インドでは、医学の研究で非常に由緒ある組織だと聞きました。

ちょうど日本でいうと、僕が2005年まで大学職員(東京大学助教)として勤務していた東大医科学研究所のようなイメージ。

独立した医科学研究所です。

皮膚外科一般のワークショップが開催されましたので、脂肪吸引や、小手術などの講演枠などとともに、レーザー治療の実技指導があったのです。

デリーの中心にあることや、中庭の様子など、東大医科学研究所にそっくりです。

僕も講師の一人となったレーザーの実技指導枠は、今回非常に人気を集めたイベントとなったようでした。

今回は、米国パロマ社の「スターラックスXD」を主に使用しました。

機器の特性と、使用法について説明します。

まずは、患者さんの肌の診断をして、自分の見解を伝え、さらにそれぞれの疾患と部位によって治療法を変えて、説明しました。

症状が違う場合は機器を替え、パラメータを部位によりそれぞれ調整して照射していったので、細やかな施術だと、非常に好評を得ることが出来ました。

細かい質問もたくさん出ます。

皆さん、とても熱心ですね。

通常ほかの地域でデモをすると、患者さんになりうる候補者があまり集まっていないことが多いのです。

多くて数名というレベル。

こうした医療施設の中でしたので、同じにきび跡でも

「ラウンド型の波打つようなスカーの症例が欲しい」

とか、

「深いボックスカー型の症例が欲しい」

とか、

「アイスピック型の症例が欲しい」

などというと、

それに適した症例の治療希望者を連れてきてもらえるのです。

さすが人材豊富なインド(笑)。

その分クオリティの高い仕事が出来たと思います。

何人も症例を替えて、実際の施術をしながら、インド人医師たちにテクニックを教えてゆきます。

最後はテレビカメラも入りましたよ。

この場所でインド人医師に教授した日本人医師は、過去にほとんどいないとのことでしたが、僕にとっても光栄な機会を与えていただきました。

とても名誉な仕事をさせて頂き、関係者の方々に改めてお礼を申し上げます。

 


■インド国際皮膚科学会ISDS出張⑬ タージ・マハルに沈む夕日 黒いタージマハル

おはようございます。

ゴールデンウィークの前半はいかがお過ごしでしたか? 例年より都心は混んでいるように感じますが・・・僕は特に出掛けることもなく、日頃読めずに溜まっていた本を、8冊一気に片付けました。

中でもカーン大学神経学教授のベルナール•ルシュヴァリエが書いた「モーツァルトの脳」という音楽的知能の脳認知を解説した本は、面白かったですね。

さて、今日5月1日(火)も東京・四谷クリニックFの診療日です。

連休の中日ですが、予約表を確認すると今日・明日共に予約が一杯ではみ出しているような状態。連休前は多少のダウンタイムがある機器も使用できますし、久しぶりに帰国中の方々もいたりしますので、どうしても混みあってしまいます。

ありがたい限りですが、患者さんおひとりおひとりの貴重なお時間ですので、ご迷惑をおかけしないよう、今日も先週末と同様、集中力を切らさずに、頑張ろうと思います。

ブログ「新国際学会周遊記」は、先月訪れたインド タージ・マハルの最終編です。

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僕がタージ・マハルで過ごした時間は日没までの、1時間余り。

限られた時間でしたが、カメラのシャッターを何度も切りました。

22年の歳月をかけたタージ・マハルが竣工してまもなく、シャー・ジャハーンは、なんとタージ・マハルの接するヤムナー河の対岸に、対となる自分自身の黒大理石の廟を計画し、実際建設に着手します。

ヤムナー河の対岸に出来るはずだった、黒いタージマハル。

Googleマップを確認すると、確かに建築跡が見られます。

この写真でも建設跡が確認できますよね。

当然の帰結として、この国家財政を揺るがす大事業に、民衆の不満が高まりました。

1657年には、シャージャハーンが病床に伏すとともに、長子でありシャージャハーンが後継に指名したダーラー・シコーと、第三子のアウラングゼーブ・アーラムギルの後継者争いが始まります。

弟のアウラングゼーブが皇位を継承し、シャー・ジャハーンはアーグラ城塞に幽閉されてしまうのです。

彼は亡き愛妃の眠るタージ・マハルを眺めながら、1666年に74歳で死去しました。

このタージを作り上げ、ムガル帝国最盛期を築いたシャー・ジャハーンの晩年は不幸だったということでしょうか。

日没までの間、シャッターを切り続けます。

ゆっくりと西の空に沈んでゆく夕日を観ながら、帝国の行く末に思いを馳せました。


■インド国際皮膚科学会ISDS出張⑫ 見事な貴石の数々 麗しき白亜のタージ・マハル

おはようございます。

4月28日(土)。今日もクリニックFの診療日です。

東京は変なお天気が続いていますが、今日は暖かくなりそうですね。ゴールデンウィーク直前で、昨日・本日ともおかげさまでクリニックのほうは満員御礼。少々超過(?)しているようなかんじですが(笑)、気を引き締めて完成度の高い診療を心がけて頑張ってゆこうと思います。

そして、すっきり! とした気持ちでGWを迎えたいですね。

さて、ブログ「新国際学会周遊記」は先週訪れたインドの、タージ・マハルについて。

もうすこし詳しくご紹介していきましょう。

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いよいよタージ・マハルが見えてきました。

想像していたよりもはるかに巨大です。

祭壇の上にいる人々が「米粒のよう」に確認できます。

 

タージ・マハル。

ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、14人の子供をもうけた愛妃ムムターズ・マハルが37歳で死去したため、1632年より建設を開始した総大理石の墓廟。

大理石の建材は、インド中から1,000頭以上もの象で運ばれてきたのだそうです。

シャー・ジャハーンは、日本でいえば、豊臣秀吉や徳川家康と同世代。

当時としては世界最大級の建築物だったのでしょうね。

シャージャハーンの時代はインド=イスラム文化の最盛期でした。

一方で、文化の爛熟期が、国家の衰退期と重なるのは世の常です。

ムガル帝国はここを頂点に衰退し、最後のスルタンがイギリスにより退位したのが1858年。帝国は消滅しました。

さらに1877年、ヴィクトリア女王の直接統治によるイギリス領インド帝国の成立が宣言されたのはご存じのとおりですよね。再びインドが独立することが出来たのは、第二次世界大戦後の話です。

日本の明治維新も、1868年の話ですから、帝国主義の時代、一歩国の方向性を間違うと国の存続に関わったということですよね。

それにしても、これほどまでに均整がとれた、白亜の美しい建物があるでしょうか?

上から見ると、ちょうど四角形のシンメトリックになっています。

しばし、疲れを忘れ、見とれてしまいました。

ちょうど夕日が沈む時間。綺麗に影が差しています。

ついていた英語ガイドによると、タージマハルには大理石、碧玉、翡翠、トルコ石、ラピスラズリ、サファイア、紅玉髄、などなど、全体で28種類もの宝石・宝玉が嵌め込まれていたのだそうです。

このように、写真で見ると何かで描かれているかのように見える模様も、実際はすべて大理石を削って、貴石がはめ込まれているのです。

こちらのコーランの文字の黒も、すべて黒い石がはめ込まれているのに驚きます。

未来永劫、このままの形で保存されることを願っていたのでしょうね。

内部中央にはシャージャハーン帝とムムターズ・マハル愛妃の棺(レプリカ)がありましたが、こちらは撮影禁止でした。

本物の正棺は地下にあるのだそうです。

建物の内部の床も、この通り、綺麗なモザイクで作られていました。

細部まで見事な作りでしたよ。


■インド国際皮膚科学会ISDS出張⑪ ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン タージ・マハルの門

アグラ中心から30分ぐらい。

いよいよタージ・マハルへの道に入ったようです。

ゲートが締まるまであと15分。

ドキドキします。

閉門10分前にチケットセンターに滑り込みました。

あまり人がいません。

とりあえずトイレに行き、さらに700m離れた入口へ向かいます。

タージマハルの領域は、ガソリン車が走れない様になっており、ゴルフ場のカートのような電気自動車で移動するのです。

ゲートを超えると、ようやくタージマハルの門が見えてきました。

門と言ってもかなり大きな施設ですね。

ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンがタージマハルを作るのに22年かけたと言いますが、この前門の上には11個のモスク状の飾りがあります。

門の後部にも11個の飾り。これを一年にひとつづつ作ったのだそうですので、文字通り、22年の歳月をかけて建築したということです。

まずは門で、写真を一枚撮りました。

さすがに5時間休み無く車に揺られ、食事無し。

ぐったりしています(苦笑)。

しかしながら、このゲートをくぐればタージ・マハル。

門柱から観ると、白亜の建築物が見えてきました。

長い間車に揺られてきましたので、これには興奮しましたよ。


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