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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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ESLD 2008 in Paris 

今年のEADVはパリのポルト・マイヨーにあるパレ・デ・コングレでの開催です。

この場所はシャンゼリゼ通りとブローニュの森が重なる地点にあります。非常に景色のよい場所です。

空港から会場であるコンベンションセンターまでは、リムジンバスがありました。

クロークにスーツケースを2ユーロで預けて、そのまま学会会場に向かいます。

まだまだ初日だけあってパリのコンベンションセンターは人があまり集まっていませんが、何人かドクターや、レーザー会社の人たちが僕の顔を見て話しかけてきました。何年も参加しているので、知り合いが多くなってきましたよ。

ヨーロッパ皮膚科学会(EADV)の初日には、その分科会である、ヨーロッパレーザー皮膚学会(ESLD)という学会が開催されます。

その会場に直接向かいました。

この学会はスイスのジュネーブで開業するマウリス・アダット医師が会長をするヨーロッパでのレーザー専門学会です。

マウリス医師とは、つい先日。今年の7月に行われたシンガポールでのIMCASでも、共同講演をさせていただいたのです。今年は世界各国で、しょっちゅう顔を合わせますね。

第一部では、 ヨーロッパ各国の大学病院皮膚科教授陣が持ち回りでレーザーの講演を行いました。

一人5分。分刻みで約15人の講演が続いたのち、今度はレーザー会社9社の営業もしくはマーケティングスタッフが自社の製品についてプレゼンをしました。

学会の一セッションを割いて、各社にPRの時間を与えたというわけです。

これは新しいレーザーと、企業が戦略的に本当に売りたいレーザーがよくわかって、面白い試みだとおもいましたよ。

プレゼンのうまい営業マン。下手で上がっているのがわかる営業マン。それぞれがいて、聞いていて興味深かったです。


初の大西洋横断

夜、空港に着き、ラウンジでパリ行の飛行機を待ちます。

今回はパリのEADV(ヨーロッパ皮膚科学会)の発表もあるため、日本→アメリカ東海岸→フランス→日本・・・と、大西洋を渡る世界一周チケットを取ったのです。

なんだかわくわくしますね。

でも、相当疲れが溜まっていて、飛行機に乗り込んだ途端眠りに落ちてしまいました。

パリまで約7時間。

思ったよりも近い道のりでした。

パリ シャルルドゴール空港に到着したのは現地時間の朝7時。

新しくなったこの空港は、ボーディングゲートがガラス製で、スケルトンなのですよ。おしゃれですね。

出国の手続きが終わるころには日が昇ってきました。

今回はEADV初日の朝に到着したので、トランクとともに、そのまま学会会場に向かうことに。

学会会場行のリムジン乗り場を探します。

リムジンに乗り込んで、ふと窓の外を見ると何やら奇怪な飛行機がちらっと見えました。

あれ、もしかしてこれは…。

そう。コンコルドが展示してあったのです。

「怪鳥コンコルド」は英仏が共同開発した超音速旅客機です。

1969年3月にモデル機が初飛行。アポロの月着陸に少し遅れて、同年10月に、実験機が音速の壁を超えました。

1976年に航空会社向けに最後の機体(コンコルドは16機しか販売されませんでした。)が作られましたが、2003年10月24日を最後に営業飛行を終えました。

日本にも何度かチャーター機が飛んできていたようですが、僕は初めて機体を見ました。

音速をあらわわすマッハ1は1気圧。摂氏15度のもとで音が進む速度、秒速330m=時速1224kmの速度です。音速を超えるとき、ソニックブームと呼ばれる衝撃波が出るのです。

特殊な形をした雲も現れますので、飛行機ファンには決定的瞬間の写真といわれるものです。

YOU TUBEで詳しい映像が出ていたので、貼り付けますね。

通常、飛行機を着陸させるときに、翼の後ろ側にある、「フラップ」という機体の浮力をあげる機能を使います。僕も操縦士免許を取った時に、最初、このフラップの練習ばかりをさせられました。着陸できるように飛行速度をゆっくりにした状態でも、機体の浮力を維持することのできる極めて大切な機能なのです。旅客機の翼にの上に乗っていて、着陸時に翼の後ろが伸びてきますよね。あれです。

コンコルドの機体を見ていて思いだしたのですが、コンコルドのようなデルタ翼には、フラップがありません。着陸で減速ができないので、極めて着陸が難しく、技術がいるのです。

コンコルドは商業的に成功したとは言えないようですが、コンコルドの引退には、2000年のシャルルドゴール空港での、コンコルド着陸失敗、そして炎上という事故がかかわっていたのは間違いないですよね。テレビで見たのを鮮明に覚えています。

コンコルドはマッハ2.0の速度で、6万フィート(約18km)という通常の旅客機の約2倍の高度を飛行する超音波旅客機でした。コンコルドがなくなってしまった今、特殊な状況を除いて、民間人が音速を超える飛行を体験することができなくなってしまったのは残念ですね。


空からの摩天楼

ニューヨーク・マンハッタン島を周遊する方法はいくつかあります。

いちばん有名なものがバス。そして地下鉄、船で周遊する人もいますが、ひとつ裏ワザがあるのです。

それはヘリコプター周遊。ダウンタウンにある「ピア6」の船着場から出ています。

金額は、約20分の周遊で200ドル。

空好きの僕としては、毎回NYに来る度、買い物はしなくていいからヘリコプターに乗りたい!と思ってきました。

前回来たとき、

「今回こそ!」

と思ったら、残念。大統領機が飛ぶということで、臨時休業。

今回こそは・・・と思っていたところにリーマンの影響で一気にドル安。これはチャンスと思い、思い切って乗ってきました。

ちなみにこのサービスはもう20年以上続いていて、その間ヘリが落ちたことは一度もないそうです。

今回乗ったヘリコプターは乗客5人乗りでした。一気に浮上したヘリコプターに乗客は沸き立ちます。

マンハッタンのダウンタウンを飛び立つとあっという間にマンハッタン島を見上げるスポットに。

ヘリコプターって速いんですね。

そのままハドソン川を北上していくと、エンパイア・ステートメントビルが見えます。

さらに北に向かうと先ほど昼寝したセントラルパークが…。

この日は晴れていたため、遠くの景色までよく見えました。

さらにブロンクスまで北上すると、先ほど訪れた、新旧のヤンキースタジアムが見えます。手前が古いスタジウムですね。

こののち、一気にマンハッタン島を下って自由の女神像へ。

自由の女神島の後ろに、移民のための入国管理所があったエリス島が見えます。映画「ゴッドファーザー」のビト・コルリオーネも思えばここからNYに入ったのですよね。

このように鳥瞰すると街の印象が変わりますね。

わずか20分の旅でしたが、これは200ドル以上の価値がありますよ。晴れた日にNYに来たらお勧めです。


ヤンキースタジアム

予定の前に、一時間ばかり時間があったので地下鉄に乗ってブロンクスにあるニューヨーカーの聖地ヤンキースタジアムに行ってみることにしました。

マンハッタンから地下鉄でわずか15分余り。思っていたよりもあっさり着きました。階段を経て地上に上がると…。

ヤンキースタジアムの周りはベースボールグッズのお店ばかり。

多くのファンが詰めかけています。

松井のユニフォームも見えますね。

僕も昼食を食べていなかったので、ホットドックを買い、ぶらぶらと球場の方に向かいます。

ホットドッグは、「これぞアメリカの味」というかんじで、旨かったですよ。しかし、こうして改めて見るとすごいケチャップとマスタードの量だな。

この日はナイトゲームがありました。球場の裏では車で来場する選手を待つファンの群れが…。

定期的に歓声が上がるので、誰かがやってきたのだとわかります。

折しもヤンキースタジアムは、御存知のように来年建て替えが決まっています。

今シーズンが終わり次第、新しい隣に建設中の球場に移ることになっているんですよね。

1923年に、「ベーブルースが建てた」と言われた球場の歴史が、ここで一度幕を引き、また新たな歴史が始まるのです。

記念に写真を撮りました。

工事中の新スタジアムも見えました。

まだ目新しい黄金のスタジアムの文字が見えます。

一度球場でメジャーの試合を観てみたいですね。 

 


朝のNYセントラルパーク

パリのヨーロッパ皮膚科学会(EADV)に向けて、ボストンからNYにもどった朝、NYセントラルパークを散歩することにしました。

この日のNYは真夏日。半そでで歩いて生活できました。

いくつか美しい写真を撮りましたので、ご紹介しますね。

きれいな芝生を見つけて、しばし仮眠をとります。時差ボケがひどかったのです。

木々の下、緑に囲まれてのうたたねは気持ちがよかったです。

セントラル・パークは1853年にアメリカで初めて景観を考慮して設計された都市公園だそうです。

当時膨張しつつあったニューヨーカー達には、ロンドンのハイドパークや、パリのブローニュの森のような、野外でのんびり過ごせるような場所が望まれていました。

公園内は湖や自然保護区、遊歩道などもあり、あたかも自然の中にいるように錯覚しますが、高度に計算された人工的なものなのだそうです。

それにしても南北4km、東西0.8kmの広大な敷地は一日で回れる広さではなく、僕も何度も行きましたが、いまだに全容を知りません(笑)。

1930年頃より、ホームレスが住み着き、治安が悪化した時期もあるようなのですが、現在はニューヨーク警察も警備重点地区に指定しているため、非常に安全な場所となっているとのこと。

セントラルパークの設立以後、ジョン・レノンとオノ・ヨーコなどが住んでいたダコタ・ハウス(アパート)のような、公園の見える土地のマンションが高級化しました。

いまやニューヨーカーたちのオアシスですね。


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