TakahiroFujimoto.com

HOME MAIL
HOME PROFILE BOOKS MUSIC PAPERS CONFERENCES BLOG MAIL CLOSE

BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

BLOG|ブログ

メトロポリタン・オペラ「ラ・ボエーム」

メトロポリタン・オペラ「ラ・ボエーム」。

渋谷NHKホールで開催された舞台を、昨夜診療後観に行ってきました。

楽しみにしていた音楽監督のジェームス・レヴァインや、ミミ役を演じるはずだったアンナ・ネトレプコの来日が直前に中止となる・・・などハプニングもありましたが、楽しい夜になりました。

会場で患者さんにばったりお会いして(なんとジャパン・アーツにお勤めなのだそうです!)、びっくりした場面もありましたよ。

オペラについては後日またもう少し詳しく書きますね。

木曜日はクリニックFの休診日。今日はWEBの打ち合わせなどで都内を動き回る事になりそうです。


理性の限界

おはようございます。今日もクリニックFの診療日です。

今日は朝早く目が覚めたので、週末に本屋で購入した高橋 昌一郎氏の「理性の限界」という本を一冊読みました。

数年前に出た本ですが、話題になった本ですよね。昨年には続編の「知性の限界」という本も出ました。

 

人間が、あらゆる問題を理性的に解決できる日はやって来るのか? という哲学的な問題に対して、

「選択」の限界

「科学」の限界

「知識」の限界

の三つの章を設け、数名がディベートをしている形式で書かれたもの。

こういうスタイルだと、僕のような読者にとっては読みやすくなります。

それぞれの章で、

■アロウの不可能性定理

■ハイゼンベルクの不確定性原理

■ゲーデルの不完全性定理

・・・と、人類が到達した三つの限界論が引用され、議論をさらに興味深くしています。

震災後という、あらゆる人間の価値観ががらりと変わってしまうような状況の後にこの本を読んだので、いろいろと考えてしまいました。

特に、「選択の限界」については思うところがありました。

僕のように小さなクリニックを経営している人間でさえ、時に治療上の選択や、経営上の選択を、迫られるときがあります。

今まで培った経験と知識を総動員して、確実に理論的だと思われる選択をしたとしても、それが正しい選択であったかどうかは後々までわかりません。

選択をするためには、まず、選択肢を想定しなければなりませんが、その選択肢さえ思い浮かばない時もあるのですから。

または、ごくごく限られた選択肢の中から――例え、その中に自分の本意が反映されるものがただのひとつもなかったときにでも――たったひとつを選ばなければならないことも、ままあります。

とはいえ、選択の限界があるからこそ、人間は知恵を使うのかもしれませんし、こうした試行錯誤や工夫も、人生を全うする、そして仕事をする醍醐味のひとつ。

選んだ道のひとつが、思いがけない場所に自分を導いてくれることもありますからね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

哲学的な話はさておき、現実的な話をすると(笑)

クリニックにとって、そして僕自身の医師人生にとっても大きな選択のひとつに、このブログでも何度も書いていますが、導入する機器の選択が挙げられます。

ちょうど今月クリニックFでは、いくつか新たに購入するレーザー機器を決定しようと思っているところです。

予算も限られていますので、どういった機器を現在のクリニックに選択するべきなのかということを、ここしばらくずっと考えています。

一台は数日前のブログにも書きましたが、クリニックで最も人気のあるレーザー機器を、そのまま新品に入れ替えるという選択をしました。

新品のトリニティやギャラクシーで施術をすると明らかに結果が変わりますね。

クリニックFでは、特にこの施術に関してはリピート患者さんが多いので、皆効果の違いに喜んでくれています。

しっかりとした治療がしたければ、レーザー機器も2年以内に変えてゆくべきなのかもしれません。

ここ数年、機器購入の一つ基準にしていることは、

新たな技術が開発された場合、または新たな治療法が発表された場合、

一流メーカーの開発した本家のものを購入し、他社の追従品は買わない。

ということです。

医師としても、技術者としても、新たな技術や知識に対して敬意を表したいですからね。

事実、クリニックFに導入されているレーザー機器は、すべて世界一流のスタンダードに叶っています。

ニューヨークでも、LAでも、パリでも、ミラノでも、ロンドンでも、香港でも、シンガポールでも、一流のレーザークリニックに設置してある布陣に勝るとも劣らないラインアップが、クリニックFには常に揃っているのです。

 

 


昨夜は2時まで歌ってしまいました(笑)

昨夜は診療後、打ち合わせを兼ねた会食があったのですが、その後皆でカラオケに行ってしまいました(笑)。

出張先でお誘いいただくことはよくあるのですが、東京でカラオケに行くのは久しぶりでした。

良い気分転換になりましたよ。

日本レーザー医学会誌が届きました。

さて、ここから午後の診療です。

 


「THE ART OF PIANO」イグナツ・ヤン・パデレフスキ

おはようございます。曇り空ですね。今日もクリニックFの診療日です。

今日は「THE ART OF PIANO」という20世紀を代表するピアニストの映像を集めたDVDから聴いています。偉大なピアニスト達をどこにいても動画で観られる・・・というのは、この時代ならではの贅沢ですよね。

106分のオムニバス形式のインタビューと演奏映像なのですが、昨日紹介したアルフレッド・コルトーの映像も入っています。

昨日のブログで中村紘子さんの話をすこし書きましたが、それでふと昔読んだ「ピアニストという蛮族がいる」という彼女の本を思い出して、このDVDを久しぶりに探してきたのです。

ちなみに、この本は僕がいまさら言うまでもないですが、名著です。読まれたことのない方にはお薦めします。

さて、このDVDで最初に紹介されているピアニストのイグナツ・ヤン・パデレフスキは1860年生まれ。

ピアノを本格的に習い始めたのは24歳の時だったのだそうですので、テクニックが優れているよりは、長い髪で、気品のある演奏姿が、フランツ・リストが作り上げた「ピアノリサイタル」というビジネスモデルに見事に合致したのでしょう。

1887年にウィーンで果たした公式デビューから世界的なツアーに出て、ピアノ史上最大の興行収益を上げ、ホロヴィッツの出現まで、半世紀もの間ピアニストの代名詞となったと言います。

パデレフスキの演奏をライブで聴いた初めての日本人は、瀧廉太郎だったといわれていますね。どんな感想をもったのでしょうか。

演奏家として活動したのち、1919年に短い間ですがポーランドの首相という要職に就任したという、ちょっと珍しい人物です。

パデレフスキ (1860-1941) は、首相退職後、ハリウッド映画にも出ましたので、スターオブハリウッドにも名前が刻まれているのですよ。

スターの中にレコードプレーヤーが彫り込まれていますよね。

その他、19世紀から20世紀初頭に生をなし、興行成績を上げたこれらのピアニストの映像と演奏が収録されているのです。

■ヨーゼフ・ホフマン (1876-1957)

■セルゲイ・ラフマニノフ (1873-1943)

■ベンノ・モイセイヴィチ (1890-1963)

■ウラジーミル・ホロヴィッツ (1904-1989)

■ジョルジュ・シフラ (1921-1994)

■マイラ・ヘス (1890-1965)

■アルトゥール・ルービンシュタイン (1886- 1982)

■フランシス・プランテ (1839-1934)

■アルフレッド・コルトー (1877-1962)

■ヴィルヘルム・バックハウス (1884-1969)

■エトヴィン・フィッシャー (1886-1960)

■エミール・ギレリス (1916-1985)

■スヴャトスラフ・リヒテル (1915-1997)

■アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ (1920-1995)

■グレン・グールド(1932-1982)

■クラウディオ・アラウ (1903-1991)

■アニー・フィッシャー (1914-1995)

収録されたピアニストは前世紀を代表する人ばかりで、まさにお宝もののDVDですね。

 

 

 


アルフレッド・コルトーのショパン

おはようございます。関東は梅雨に突入したと聞きますが、今日はカラッと晴天ですね。

今日はクリニックFの診療日です。

今朝はアルフレッド・コルトーの「エコール・ノルマル音学院でのマスター・クラスより」という企画ものショパンを聴きながらスタートしました。

アルフレッド・コルトー(Alfred Denis Cortot)は、1877年9月26日にスイスのニヨンに生まれました。

優れた演奏家というよりも教育者として名を成した人です。

ピアニストにしては手が小さく、決して器用な演奏をしたわけではなかったようです。演奏会もミスタッチが見られたそうですが、独自の演奏練習法を編み出すなど、常に努力を怠りませんでした。これが後年の指導者人生に大きな影響を与えたのでしょう。

以前、ピアニストの中村紘子さんが、過去の演奏家の中で、何度も繰り返して聴き、自分が目指しているのはコルトーだけだというようなコメントをしていたのを思い出します。

1907年にパリ音楽院の教授に就任しましたが、

「音楽院の育成方法は、ピアニストだとピアノのことしか出来なくなる輪切りシステムだ」

と言いつつ改革を訴えました。

どこかの国の医学部の話のようですね(笑)。

1919年に、オーギュスト・マンジョとともに自らの音楽学校「エコール・ノルマル音楽院」を設立し、同年パリ音楽院を辞任。

さらに教育活動にも力を注ぎ、朝から公開レッスンを精力的に行ないました。

このCDは、1954年から1960年にかけて、エコール・ノルマル音楽院でのレッスン中の演奏を録音したもので、曲によっては途中で止まってしまうものもあり、びっくりしますが、コルトーのリラックスした演奏が聴けますよ。

 


カテゴリー