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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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オペラ「トスカ」第3幕の舞台 

このサンタンジェロ(聖アンジェロ)城は、オペラファンにとっては馴染みのある場所ではないでしょうか。

そう、世界で最も多く上演されているオペラのひとつであり、イタリアを代表する作曲家ジャコモ・プッチーニの傑作「トスカ」第3幕の舞台なのです。

「トスカ」は1900年にローマのオペラ座(当時のコスタンツィ劇場)で初演されています。

共和派と旧王制派が争いを繰り返していた1800年のローマを舞台にした、言わば「御当地オペラ」です。

劇の名前となった「トスカ」は、劇中の主人公となる有名歌手の名前。

簡単に概略を説明すると、友人の政治犯をかくまったトスカの恋人であるマリオ・カヴァラドッシは、ローマの警視総監であるスカルピアの命で、処刑されることになります。

トスカに気があるスカルピアは、トスカを部屋に呼び、カヴァラドッシの処刑を空砲を使って見せかけのものにし、イタリアを出国できるように通行証を書いてやるので、体を許すように迫ります。

スカルピアが通行証を書き終えるのを確認すると、トスカは秘かにナイフを隠し持ち、

「これがトスカのキッスよ」

と言い放ち、スカルピアを刺し殺すのです。

そして舞台は第3幕へ。トスカは通行証を手に持って、カヴァラドッシの処刑がまさに今行われんとしているこのサンタンジェロ城に向かうのです。

カヴァラドッシは名アリア「星は光りぬ」でトスカへの熱い想いと死んでいく無念さを歌い、激しく泣いているところに、トスカが到着します。

彼女はカヴァラドッシに、処刑は見せかけであり通行証を手にしていることを伝え、刑を待ちます。

やがて刑が執行。銃砲でもんどりをうって倒れるカヴァラドッシに、

なんて素晴らしい演技者なのかしら。

とつぶやくトスカ。

しかし、あまりにカヴァラドッシが動かないので不安になり、確認に行くと、本当に処刑がなされて、カヴァラドッシが死んでしまっていることに気付きます。これがスカルピアの計略だったのです。

トスカは悲しみにうちひしがれますが、すぐにスカルピア殺人の容疑でスカルピアの部下に追われます。

追い詰められたトスカは、このサンタンジェロ城の屋上から飛び降りて劇が終わるのです。

そんな「いわくつき」の屋上なのですが、実はこの場所、写真のようにサンピエトロ大聖堂や

美しいローマの都市を見下ろせる、絶好のロケーションなのです。

ローマにこんなに美しい展望があったなんて、今回の新しい発見でした。

まるで絵のようなこの絶景をご覧ください。

サンタンジェロ橋もきれいに見えましたよ。

 

 


サンタンジェロ城とパンデミック

パンテオンから、4つの噴水があるナヴォーナ広場を抜けて、僕はサンタンジェロ城を目指しました。

テヴェレ川を渡るときに、とてもきれいなサンタンジェロ橋があるのですよね。

このあたりの景色はフォトジェニックで、大きなカメラを抱えた人がたくさんいます。

確かに素人の僕でも写真を撮りたくなるようなアングルがたくさんあって、にわかフォトグラファー気分でシャッターを何度も切ってしまいました(笑)。

サンタンジェロ城は、イタリア語で書くとピンと来るのですが

「Castel Sant’Angelo」

つまり、“聖天使城”というわけです。

城の名前の由来は、590年のフランスを中心としたペスト大流行の際、この城の上に大天使ミカエルが現れ、剣をさやに納めるしぐさをすると、間もなく流行が治まった・・・という伝説によるのだそうです。

城のてっぺんには剣をさやに納めるミカエルのこの像があります。

今世紀に至るまで、ペストの大きなパンデミック(伝染病の世界流行)は三回起こっているといわれています。

一度目はこのフランスを中心としたファースト・パンデミック。

セカンド・パンデミックは14世紀。中世の黒死病として知られるもの。

サード・パンデミックは1855年に中国を発症としてインドなどにも波及したもの。

ペストは致死率30%以上の恐ろしい病気。都市どころか、国の人口比率を大きく変えてしまい、国の明暗を左右することもありました。

病原菌の同定が可能になったのは、1894年のこと。

当時、伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)の所長であった北里柴三郎が、政府の依頼でペストが蔓延していた香港に飛び、そこで行った研究の功績です。北里柴三郎というとドイツに留学して破傷風菌の発見や血清療法などの功績で、第一回ノーベル賞の人選にも挙がった日本の医学の祖の一人ですね。

研究者として、医師として、そして海外と関連があった人物として、ぼくが尊敬する人の一人です。

ちなみに僕が医学博士号を取った後の、大学病院医師としての最後のキャリアは、北里柴三郎が初代所長を務めていた東京大学医科学研究所の附属病院の大学助手(現在は助教)でした。

実は僕には国家公務員だったキャリアもあるのです(笑)。

白金という高級住宅街の中にある、レンガ建ての歴史を感じさせる建物。秋には紅葉したイチョウ並木の中で、銀杏が沢山とれたんですよ。いい思い出です。

 


今日の僕 20091205

5月にウィーンで購入したモーツァルト全集

毎日、クリニックFのBGMで流すうちに、モーツァルトの全曲を聴き覚えてしまいました。

味をしめてアマゾンで、今度はバッハ全集CD155枚、ベートーベン全集CD85枚を購入。

現在、クリニックのBGMのiTunesにインストール中です。

しかし、本当に格安に手に入るようになりましたね。もしかしてCDという媒体がなくなるんでしょうか…。


パンテオンへ

トレヴィの泉から、今度はパンテオンを目指しました。

実は何度もローマに来ているのに、パンテオンを見たことがなかったのです。

紀元前1世紀に完成したものが火事で焼けおちたため、

2世紀に再建したとのことですが、よく見れば見るほど、すぐれた建築物だと思いました。

あのミケランジェロが「天使の設計」と絶賛しただけのことはあります。

これが、パンテオンの図面です。

ごらんのとおり、図面上は ドームとファサードの組み合わせでできているので、後ろから見ると単なるドームに見えますが

ほんのちょっと移動して、前から違う角度で見ると、全く違った印象の建物に見えませんか?

そして教科書に載っているかのようなコリント式の柱頭。

中に入るとまず目につくのが、丸天井の中央にある直径9mの天窓。

ここを訪れたのは、お昼過ぎくらい。

天窓から差し込む太陽の光が、ちょうど中央を照らしていたのです。

パンテオンの動画を見つけましたが、この日も本当に幻想的でした。

ここにはあのラファエロのお墓もありましたよ。

大きな柱を通過して外に出ました。

うーん。素晴らしいものを見せてもらいましたよ。

 

 


トレヴィの泉

晴れた土曜日のローマ。

スペイン広場から歩いてトレヴィの泉にやってきました。

本当に人が多いのです。

泉にコインを投げると、願い事が叶うといわれていますが、この通り、皆が後ろ向きで投げています。

一枚投げると「再びローマに来れる」

二枚投げると「好きな人と永遠に一緒にいられる」

三枚投げると「恋人や配偶者と別れられる」

のだそうです。

三枚投げる時のお願いは、離婚を禁止していたカトリックのイタリアの歴史が垣間見れますね。

みたところ、三枚投げている人はいませんでしたね(笑)。

僕は20年前に来た時に一枚投げましたが、そのご利益があってか、この場所には何度か戻ることができています。

晴天のローマは今回が初めて。こんなお天気だと街歩きも楽しいですよね。

街並みを歩いていると、突然よく見知った景色が出てきます。

世界的な観光地ローマのすごいところですよね。

次はどこに行こうかな??

 


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