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Rachimaninoff plays Rachmaninoff

最近ツイッターで毎朝一番にクリニックFで聴くCDをお知らせしているのですが、何人かの人にお褒め頂いています。

今日のCDは Rachimaninoff plays Rachmaninoff。

このCDには思い入れがあるだけにツイッターの140文字だけでは語りきれず、ブログにも続きを書きますね。

クラシック音楽を聴くこと、良い録音と演奏のCD(昔はLP)を集めることは、もう中学生から続けてきた趣味の1つですので30年以上になります。

小学校の時に少しだけピアノを習っていたことがあり、その後も人生の要所要所で鍵盤を弾く練習をしましたので、最近でもピアノを弾くのが気分転換になるのですが、特にピアノと交響楽団の二つの音を聴くことができるピアノ協奏曲は大好きで、コレクションは沢山あります。

ピアノ協奏曲と言えば、僕が中学一年生の時にクラシック音楽を聴くきっかけとなった

■エミール・ギレリスの チャイコフスキー ピアノ協奏曲第一番

を筆頭に

■モーツァルト ■ベートーヴェン ■シューマン ■ショパン ■リスト ■ブラームス・・・など有名どころを聴き込みましたが

ラフマニノフのピアノ協奏曲の第二番、そして第三番を初めて聴いた時は、頭に電流が走るぐらい衝撃を受けました。

技術的にも難しいのはよくわかるのですが、楽章ごとに現れる数多くの甘美なメロディ。

それ以降、何度聴いたかわかりません。

ラフマニノフは、マルファン症候群と呼ばれる背丈や手指の長い性質を持っていたので、その大きな手を利用して非常に高い技巧の演奏が出来たのだろうと言われています。

2年前にロシアのサンクトペテルブルグの学会に参加した時に、リムスキー・コルサコフの家で、実際にラフマニノフの使っていたピアノを弾く機会に恵まれましたが、本当に記憶に残る良い体験でした。

そうそう、今年も7月に同じサンクトペテルブルグ学会で共同演者としての発表があるのです。

今回も訪れることが出来るかもしれません。

ラフマニノフは1873年生まれ。音楽的教養の豊かな祖父や両親の感化で、幼少の頃から音楽の才能を見いだされます。

モスクワ音楽院に入学すると、早くも在学中にピアノ協奏曲第一番を作曲し、作曲家としての一歩を踏み出します。

けれど、1899年 ロンドンのフィルハーモニー協会からの依頼で作曲に着手したピアノ協奏曲第二番作曲中に極度の精神衰弱に陥ってしまいます。

精神科医のニコライ・ダール博士の新しい暗示療法で見事に自己を取り戻し、1901年この作品が完成に至ったことは有名な話ですよね。

ラフマニノフ自身がピアノ独奏者として参加しモスクワで初演が行われた際に、この曲は当然のように恩人である博士に献呈されたのです。

後年(1926年に)アマチュア音楽家でもあったダール博士が、レバノンのベイルート・アメリカ大学のオーケストラに、ヴィオラ奏者としてこの曲の演奏に加わった時、指揮者と独奏者とともに、起立を求められ、拍手喝采を受けたというエピソードもあります。素晴らしい話ですね。

かたやピアノ協奏曲第三番は、ラフマニノフが1909年に初めてアメリカへの演奏旅行を行った際、さまざまなインスピレーションを受けて、途中まで書き留めていた第三番を旅行中に完成させ、ニューヨークで初演で披露したのだそうです。

作曲家としても、演奏家としても才能を認められていたラフマニノフですが、貴族の家柄であった彼は、大きな人生の転機を迎えます。

1917年のロシア革命を契機に祖国を捨てなければならなくなるのです。

この年、まずパリに亡命。そして翌年アメリカに移住。

結局1943年にカルフォルニアのビバリーヒルズで亡くなるまで、アメリカに永住することになります。

クラシック音楽の世界では作曲業と演奏家業は両立しないと言われていますが、ラフマニノフは超絶技巧を持ったロシアのピアノ演奏家のヴィルトゥオーゾとして、商業的にアメリカで活躍することを期待され、作曲活動に打ち込むことが出来なかったのを悔やんでいたと言われています。

僕は甘美で超絶技巧のラフマニノフのピアノ協奏曲の第二番と第三番の、現在売られている録音は、本当に全部持っているかもしれません(笑)。

それほど思い入れがあり、好きな曲でもあるのです。

ピアノ協奏曲第二番は、最近では辻井伸行さんと佐渡裕さんのカップリングが日本で話題になりましたよね。

でも、僕のお勧めは、スヴャトスラフ・リヒテル、 ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団でスタニスラフ・ヴィスロツキ指揮のもの。

この歴史的名演と呼ばれている作品は録音状態が悪かったのですが、2007年に限定でSHM-CD版が発売されました。今ではプレミアムがついているようです。

ピアノ協奏曲第三番はとても素晴らしい演奏が多く評価に迷うのですが、ラフマニノフが自分の曲を自分以上に上手く弾くと唯一認めた巨匠ウラディミール・ホロヴィッツ。 ニューヨーク・フィルハーモニックのユージン・オーマンディ指揮が、ラフマニノフの意図していたものに近い気がします。

セカンドベストがロシア人の若手ピアニスト、デニス・マツーエフのものでしょうか。でもこのCDはもう手に入りません。

この2曲。お奨めします。

 

 

 


グレングールドの二つのゴールドベルグ変奏曲

おはようございます。今日はクリニックFの診療日です。

今日の朝の音楽はグレン・グールド演奏のJSバッハ最晩年の傑作ゴールドベルグ変奏曲。天才、孤高の演奏家として知られたグールドは、1981年と1955年(写真順)にこの変奏曲の録音を残していますが、彼の独自のバッハ感が集約されていますね。

1981年版には、明らかにグールドのバッハに対する解釈の進化がみられます。

また、グレングールドの作品では、JSバッハの平均律クラヴィーア第一集 第二集が金字塔ともいえる作品です。合わせてお勧めですよ。

 

 

 


The Asian Aesthetic Guide アドバイザリーボード就任

米国ではレーザーを購入するドクターがほぼ確実に100%読んでいる、レーザー機器の比較雑誌「Aesthetic Buyers Guide」。

そのアジア版である「The Asian Aesthetic Guide」がとうとう発売になりました。

友人であり、最近はFacebook友達でもある(笑)Mark Tager MDが編集長を勤めています。

この雑誌のエディトリアル・アドバイザリー・ボードのドクターとして、アジア地域から32人が選ばれました。

雑誌の中にこのような形で紹介されています。

こちら1ページ目の僕の紹介の拡大図です。

さらに2ページ目です。

日本人医師としては二人の選出で、僕も東京女子医大形成外科の河野太郎先生とともに選んで頂きました。

とても嬉しく光栄です。

早速中身を見てみました。この本の面白いところは電子媒体でこの通り、無料公開しているのです。

2011年春期号では、シネロン/キャンデラ社の新しいフラクショナルCO2レーザーの記事で、いつもお世話になっている、みやた形成外科・皮ふクリニックの宮田先生のコメントも紹介されていました。

特に本の後半にある機器別の比較表は類書がなく、クリニックFでも新規に購入するレーザーを選択する時にも必ず参考にしていますので、新しいレーザー光治療機器の購入を考えていらっしゃるドクターにはお勧めです。

これからもコメントを求められると思いますが、この雑誌のエディター就任を契機に、僕もアジアの地域の最新レーザー・光・RF機器を今後もご紹介させていただきたいと思います。

 


リッカルド・ムーティのシカゴ交響楽団

シカゴに滞在ができると予定が決まった時に、僕はまずシカゴ交響楽団の題目を調べました(笑)。

せっかく行くのですから、やっぱり聴きたい、というのがいつもの僕ですが、今年ばかりは震災・原発のこともあってそんなムードでもありません。

それでも、実際行く行かないは別として、滞在中の現地コンサートスケジュールはなんとなく気になります。

調べてみると滞在日に、ナポリ出身の指揮者リッカルド・ムーティの「ロミオ&ジュリエット」の演奏がありました。

現地に来てから、ホールに向かってみたところ、完売の文字。それでも手を尽くせばどうにかチケットを手に入れることはできたかもしれませんが、今回は見送りました。

劇場の見学だけはしてきましたよ。

余った時間は、目の前のシカゴ美術館に行ってきました。

 


CLEO:2011 ボルチモア⑫ 統合失調症をテーマにしたミュージカル「next to normal」

シカゴに入った初日は移動日で特に予定を入れていませんでした。

街を歩いていると、昼の二時にぞろぞろと劇場に入る人たちが。

なにをやっているんだろう、と看板に目をやると

next to nomal と書いてあるではないですか。

劇場の受付で、当日券はありますか? と聞くと、運よく真ん中あたりの席がありましたので、そのまま観ることに。

このミュージカル「next to normal」は今年の1月にNYC ブロードウェイでの公演が終わった作品で、ちょっととした話題作でした。僕はブロードウェイでは観ることができなかったんですよね。

ミュージカルはたいてい明るい話題が多いのですが、これはちょっと暗い医学の話。

それも、統合失調症の話なのです。

父のダン、母のダイアナ、兄ゲイブと妹のナタリー、4人の家族が過ごすある朝の光景でミュージカルは始まります。

いかにも幸せそうな家族に見えるのですが、舞台の上で少しづつ、ダイアナは幻覚を見たり、挙動がおかしくなり、しまいには自殺未遂をおかします。

そのうち、ダイアナが赤ん坊の時に病気で子供(ゲイブ)を失ってから精神が分裂し、彼女は死んだ息子の幻影とともに生きているということがわかる台詞があり、観客が皆、息をのむのです。会場の雰囲気ががらりと変わったのが分かりましたよ。

この演出が素晴らしかった。確かに開幕から劇の舞台上で、ゲイブが父のダンや妹のナタリーと話すシーンは無かっのですよね。

ゲイブはダイアナの心の中では大きく成長し、大学生ぐらいになっています。

ダイアナはこの病気に立ち向かおうと、精神科医にかかりますが、薬を使った療法もあまり効果が出ずに、ドクターショッピングした挙句、とうとう夫のダンとともに、ECT(Electroconvulsive therapy 電気痙攣療法)を選択する決心をします。

その結果、それまでの記憶を失ってしまい、自分の娘が誰かもわからなくなってしまうのです。

アーネスト・ヘミングウェイは、1961年 メニンガークリニックでECTの直後に、記憶を失ったことを苦に自殺したと言われています。

また、僕が好きな怪優ジャック・ニコルソンが演じた『カッコーの巣の上で』のランドル・パトリック・マクマーフィーも、刑務所に入リたくないがために、精神病患者のふりをして精神病院に入院し、薬の療法は拒否できたものの、このECT療法を期に、最終的にロボトミー手術を受けさせられて廃人になってしまいました。

ECT療法の適応については諸説ありますが、これに代わる強力な療法が存在しないのも事実です。僕も都立病院の麻酔科にいた時に、修正型ECT療法(筋肉弛緩剤を使用して麻酔をかけた後にECTをかけ、実際に痙攣をおこさないようにする方法)の麻酔を担当したことがありました。予後はとても良かったと精神科の先生から聞きましたよ。

劇中ではダイアナは少しづつ記憶を取り戻しますが、それと同時にゲイブの存在も思い出します。

一見すると、綺麗で明るいアメリカ家庭の主婦であるダイアナの next to nomal の物語。

途中4人の家族と、ナタリーの彼と精神科医のわずか6人の劇でしたが、それぞれが織りなすコーラスが本当に素晴らしくて、会場は総立ちのオヴェーションで応えていました。

 


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