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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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高知から戻りました

おはようございます。

今日は、日の出とともに起きて、

宿泊先の目の前の高知城を見学してきました。

高知城は国内の現存12天守のうちの一つ。

現存天守とは、日本の城の天守のうち、江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている天守のことです。

日本のお城の話は、僕の大学の同級生であり、雑誌「ソトコト」でも連載をもっている関谷剛先生が大変詳しく、彼はANAの機内誌にも連載を持っているんですよね。これがとてもおもしろいのです。

今回も行きの飛行機で読みましたが、室町幕府足利家の豊富な人材を作り上げた学校の話でした。機会がある方はぜひ一度読んでみてください。

早朝でしたので、残念ながら天守閣の見学はできませんでしたが、公園を散策できましたよ。

こちら敷地内にあった板垣退助像。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」が出版されて以来、土佐といえば坂本龍馬となってしまいましたが、板垣退助は、幼馴染の後藤象二郎と並んで、幕末の土佐藩を時勢の中枢に押し上げた人物ですよね。

高知龍馬空港から一番早いANA便で帰京し、四谷のクリニックでまた診療を開始しています。

今日は朝からリストの「愛の夢」など聴いていますよ。

 


足摺風で食べた鰹のたたき

足摺岬には、四国巡礼の38か所目である蹉跎山 金剛福寺があります。

この寺はまさに四国の南端です。山深い土佐のこの地を歩いて向かうお遍路さんは、さぞかし大変なのではないかと思いました。

立派な山門の奥には、綺麗な庭がありました。

その金剛福寺の目の前で食べたこのカツオのたたき定食。

これ、ねぎとニンニク、ショウガが山のようにかかり、ミカンを絞って食べる足摺風のカツオのたたきなのだそうです。

結局滞在中に4種類のカツオのたたきを頂きましたが、これが一番おいしかったです。

 


高知出張

昨日木曜日は、クリニックFの休診日。

あるレーザー機器会社さんからのご依頼で、高知で開業されているドクターに、レーザー機器の説明に行ってきました。

高知に行くのは、実は初めて。いろいろと見学もさせていただきたいところです(笑)。

今回の出張はANA便で行きました。天気予報は雨。

でも、雲を抜け、空を飛ぶと綺麗なスカイブルーが広がります。

雨の高知龍馬空港に、予定打ち合わせ時間よりも早めに到着しました。

レンタカーで四国南端の地 足摺岬と、日本最後の清流と呼ばれる四万十川に向かいます。

この二箇所には一度行ってみたかったんですよね。

四万十川町と、四万十川市の二つがあるのです。

土佐清水の足摺岬に到着する頃には、青空が。

ジョン万次郎の銅像が立っています。

四国最南端です。

灯台まで歩きましたが、海水の色が素晴らしくきれいでしたよ。

 


CLEO:2011 ボルチモア⑥ ベーブルース

前回のブログでも話しましたが、ボルチモアの出身者で有名な人物に、レッドソックスとヤンキースで活躍した、米国の野球の神様といえるベーブルースがいます。

ベーブはその愛嬌ある表情やその性格から、アメリカスポーツ界初のアイコンとなりました。

ちょうど学会会場から歩いて数分のところにベーブルースの生家がありましたので、ちょっと行ってきましたよ。

こんな感じの場所です。

家の内部はベーブルース博物館になっています。

ルースが打ったすべてのホームランの記録も展示されていました。

最後は1935年に打った714号でした。

この記録は、1974年にハンクアーロンに破られるまでは大リーグ記録でしたよね。

僕が小学校の時には巨人の王貞治がこの記録をいつ破るか、いつも話題になっていたのを思い出します。

この博物館でちょっと面白いと思ったことは、ルースが40歳となるまで、ルース自身も含めて、ルースの誕生日は1894年2月7日と信じられていたのだそうです。

この博物館にボルチモアの登記所に保管されていたルースの出生証明書が展示されていたのですが、

1895年2月6日と書いていますよね。約1歳年上だと勘違いされていたのです。

ルースの時代は子供が成人する率が非常に低く、9人いたルースの兄弟のうちで成人したのはルースともう一人だけだったのだそうで、そうしたことも関連しているのでしょうね。

不思議なこともあるものですね。

ボルチモアに来たので、おすすめのところってある?

とアメリカの友人にメールを打ったのですが、

No real recommendation for Baltimore … except don’t get mugged!

If there is a baseball game, the stadium is one of the best in the country.

Have a safe trip.

というメールが返ってきたので、せっかくなので球場も観てみました。

ボルチモア・オリオールズは、アメリカMLB、アメリカンリーグ東地区所属のプロ野球チーム。本拠地はオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ。

ちゃんとベーブルースもいました。

それにしても綺麗な球場です。

 


CLEO:2011 ボルチモア⑤ 歴史とインナーハーバー

今回のCLEO:2011が開催された米国ボルチモアは、ワシントンDCより北西に30マイル離れたメリーランド州最大都市です。

メリーランド州はアメリカでも最も古い州のひとつです。この地ボルチモアはアメリカの独立戦争(1775-83年)の舞台のひとつとなりました。

ボルチモアに今も残るマックヘンリー要塞は、イギリス軍と25時間にわたる激しい消耗戦を繰り広げ、米国が守り抜いた場所なのだそうです。

戦いの後、要塞にたなびく星条旗を仰ぎ見て、フランシス・スコット・キーが「星条旗」という詩を詠みました。

この詩が1931年に現在のアメリカ国歌となるのです。

また、米国野球の神様であるジョージ・ハーマン・(ベーブ)・ルースの生誕の地でとしても知られ、現在も大リーグ野球チームのボルチモア・オリオールズを擁しています。

医科大学附属病院としては、ハーバード大学附属病院ともいえるMGH(Massachusetts General Hospital)マサチューセッツ・ジェネラル・ホスピタルに次ぐ評価を受けるジョンホプキンス大学がある場所でもあります。

ジョン・ホプキンス大学のロバートワイス医師は、レーザー皮膚科医として非常に知名度の高い医師で、以前のブログで彼の病院を訪問したことはふれましたよね。

僕のボルチモア訪問はその時以来になります。

ボルチモアは1830年には、ペンシルバニア炭田の開発によって全米第二位の人口を持つ都市に成長しました。しかしながら、1960年代から施設の老朽化と産業構造の変化による不況に陥り、スラム街が発展、治安の悪化が進み、ボルチモアは危険な街といわれるようになってしまいます。

そこで、市は30年前より再開発計画を実施、特に学会会場のあるインナーハーバー周辺の建物を一新して、工業、貿易と共に、水族館などの多数のレジャー施設を建設しました。

このハーバー周辺の都市計画は、全米でも非常に成功例として評価されているようで、ご覧のとおり、非常に綺麗な街に見えます。

船や潜水艦を停泊させたりして、港を歩いていても、とても気分が上がります。

この都市開発が優れていたため、世界のさまざまな都市で参考にされたようですよ。

夜の街も歩いてみましたが、とてもきれいでした。

こちら夜の学会会場。

5月の気候は、夜歩きにちょうど良いですね(笑)。

危ない街だと身構えて行ったのですが、このハーバー周辺は大丈夫だったようです。

 


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