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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

カテゴリー:神学・仏道

幸福の飴

ちょうど先週、箱根神社を訪ねていた時に、幸と福と書かれた飴をひとつづつもらいました。

かわいらしいですね。

*****

幸福な状態って、何でしょう?

幸 は「海の幸」など、神などから与えられる受動的かつ、精神的な幸いを示し、

福 は「福袋」など、自分で求めて得られる能動的かつ、物質的な富を表す。

と聞いたことがあります。

西洋哲学では「三大幸福論」と言われる、アラン、ラッセル、ヒルティの幸福論があります。アランとラッセルは「人との健全な交流が幸福な状態」としているのに対して、ヒルティはキリスト教的な幸福感を述べているようです。

*****

日本国憲法には

第十三条 すべての国民は、個人として尊重される。

生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

「幸福」の追求が、生命と自由の追求と並び、国民の権利として書かれています。

*****

憲法上には幸福には定義はありませんが、もともと英語の翻訳であろうと思います。

幸福の意味合いの中には、

luck  幸運

happy 幸せ

glad 感謝

delighted 慶び

pleased 喜び

などを混ぜたような意味合いがあり、満足感を伝えるものとして、

contented 納得する

satisfied 満ち足りた

さらに

ウェルフェア(Welfare)

ウェルビーイング(Well-being)

といった福祉的な社会的な満足度も含まれるんでしょうか。

*****

仏教的には、”執着”こそが「苦」を生むので、それを排除することで幸福を得られるというのが教え。

すなわち四苦八苦からの開放です。

四苦とは、出生・老・病・死という根本的な四つの苦しみ。

日本語では「苦」という言葉を使うので、苦しみと解釈されますが、サンスクリット語の意味では「思うがままにならないこと」という事だそうです。

ここにさらに

愛別離苦(あいべつりく) – 愛する対象と別れること

怨憎会苦(おんぞうえく) – 憎む対象に出会うこと

求不得苦(ぐふとっく) – 求めても得られないこと

五蘊盛苦(ごうんじょうく) – 五蘊(身体・感覚・概念・決心・記憶)に執着すること

上記四つの苦を加えて八苦というのだそうです。

*****

ちょっと色々な方面に脱線しましたが、医学の話でまとめましょう。

医学的に、脳内に満たされる幸福感は「脳内ホルモン」と呼ばれる神経伝達物質の働きによってもたらされます。

脳内伝達物質の中で代表的な幸せホルモンの三原色は

「セロトニン」「オキシトシン」「ドーパミン」

と言えます。

一番わかりやすいものは「ドーパミン」でしょうか。

何かを獲得したり、勝ったりした際に脳内で生まれる報酬系ホルモンです。

麻薬に近い恍惚感に満たされますが、長続きしない、そして依存症の原因になることが特徴です。

「オキシトシン」は、分娩時に子宮の収縮を促したり、乳腺を刺激して母乳の分泌を促す働きがあります。愛情や人とのつながりなどがあることで精神が安定します。オキシトシンが分泌されると、ストレスなどに過剰反応していた脳を平常の状態に戻したり、脳の疲れを癒したり、気分を安定させるなどの作用があります。

「セロトニン」には、不安感を和らげて精神を安定させる働きがあります。

まさに、心の安定剤。

分泌されているとポジティブで前向きな気分をもたらしてくれますが、不足すると、イライラしたり落ち着きが無くなったり、衝動的、攻撃的になったり、うつ病を発症させたりします。

ただ、一言でいえば、幸福とは、不安のない状態なのかもしれません。

人間の脳は、危機回避のために様々なセイフティ回路があるのです。

全ての皮質感覚連合野 (視覚・聴覚・体性感覚・味覚・嗅覚) からの情報は、大脳辺縁系に収束しますが、その主要構成部位の海馬と扁桃体では

情動発現 快・不快 好き・嫌い(扁桃体)

記憶形成・保持(海馬)

として整理されて、脳の他の部位に情報発信されます。

扁桃体は少ない情報でも興奮を起こしやすく、これが不安として感知されます。

言語情報、つまり「言葉」をつぶやく。「言語化」によって、扁桃体を鎮静すれば、不安やストレスが軽減されたり、場合によっては消えたりします。人に話したり、紙に書き出すことはこの点で有効です。

扁桃体を鎮静させるのは、こうした「言語情報」のほか、五感のうちの視覚以外の四感。聴覚、味覚、触覚(温覚)、嗅覚。あるいは、温覚などが刺激されると、扁桃体はリラックスするのです。

リラックスする音楽を聴く (聴覚)

香しいお茶や珈琲、ワインなどを飲む、アロマセラピーを受ける (嗅覚)

おいしいものを食べる (味覚)

入浴する、柔らかく心地よいものや温かいものに触れる (触覚)

スキンシップやマッサージを受ける (触覚)

などのリラクゼーションは扁桃体の興奮を鎮静して、副交感神経を優位にして、不安を取り除くことができる手段とも言えますね。


般若心経の意味する事とは

般若心経の意味する事とは、一言で言うと「判断価値基準は時や文化と共に変わるので、何事にも拘らず、柔軟な心を持て」という教え。

否定の「不」、中立の「空」、そして何もない「無」の三つの漢字を用いて、それを繰り返し説明しているのだと思う。

1 月 9 日(火)19:00〜 ゴルフ医科学研究所の異業種交流会で、
「般若心経の解説と現代訳、記憶法」について講演をします。
藤本幸源(真言宗僧侶)

https://takahirofujimoto.com/blog/blog/diary/%e7%a5%9e%e5%ad%a6%e3%83%bb%e4%bb%8f%e9%81%93/post_73062/


般若心経について

般若心経について昨日記事を書いたところ、FB上だけでなくいくつかリアクションを頂いたので、こちらのスピンアウト話もすこし今日は忘備録として書いておきますね。

2020年コロナ禍が混乱を極めていたころ、近しい方が亡くなりました。

闘病中は病棟にお見舞いもままならないような状況でしたので、通夜葬儀の類は一切ありませんでした。

もちろん なかった、というよりは できなかった、が正しいと思います。

そんな中、喪主となった方が自ら ご遺体を前に般若心経を唱えられたそうです。

コロナ禍でも来てくださる僧侶はいらしたようですが、それには及ばない、と。

昨今、通夜や葬儀の在り方、墓終いをどうすべきか、仏壇や法事をどうすべきかなど これまでは当然とされてきたお寺と個人、仏教と個人との関係・あり方が問われていますよね。

仏道について学ぶこと、お経や法典について学ぶことは、結果こうしたことについても考える機会になります。

そして、般若心経を覚えておくと役に立つ場面が これからまだまだ出てくるのかもしれませんね。

写真は高野山の宿坊に泊まり、翌日奥之院で撮った写真。今もこの奥の御廟で空海が瞑想されていると考えられています。

この橋より先では写真が禁止されているのですよね。


般若心経の簡単な覚え方

般若心経の簡単な覚え方。

般若心経が覚えられないという人がいますが、僕も色々試してみましたが、最も簡単に覚える方法は、ブロック分けすることじゃないかと思いますので、僕の方法を伝授しますね。笑。

1)「般若波羅蜜多」(橙)の組み合わせ語が6か所

深い知恵(般若)について悟りを開く(波羅蜜多)意味です。

2)前半二つの「舎利子」、後半二つの「依般若波羅蜜多故」同じ言葉の後に違う言葉が入るので、ループしてしまいがちです。このピンクの四角を骨子としてイメージしてください。

前半は観自在菩薩が、弟子の舎利子(黄色)に教えを説く物語なので、「舎利子」が二つ、後半には「依般若波羅蜜多故」が二つ出てきます。同じ言葉の後がどの言葉が続くのか、理解していると間違えません。

3)空 → 不 → 無 → 三 の語句が順番に登場

般若心経としては、空の意味を語りますので、空(青)について語る言葉がまず初めに、そして空を説明するために否定形の不(紫)の言葉が続き、さらに、空である事に気づくが故にその故に悩みなどが消える意味の無(緑)の言葉が続きます。最後のまとめに三(桃)が三つ続きます。

4)ぎゃーてい以降は意味も無い真言なので、唱えていれば覚えやすいです。

悩まれている方がいたので、ご参考までに。


出釈迦寺の奥の院「捨身ヶ嶽禅定」

7歳の空海が、仏法に入って衆生を助ける事が成就出来るのか試すために、身を投げたという伝説がある、出釈迦寺の奥の院である捨身ヶ嶽禅定に行ってみました。

空海を学んだ上で、どうしても行ってみたかった場所でした。

奥の院からさらに山というより、絶壁の岩山を登ります。

すくむ足に、気合を入れて鎖を掴んで登りました。

https://www.facebook.com/1486146253/videos/pcb.10232452466402642/229111093533828

絶景でしたが、ここからリアルに飛び降りるなんて、無理ですね。

https://www.facebook.com/1486146253/videos/pcb.10232452466402642/863701142116720

以下、出釈迦寺のWebsiteより引用します。

弘法大師幼少期の数ある伝説のひとつ「捨身ヶ嶽」縁起にゆかりがあります。

それは、弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時。

我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。

すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。

命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で刻んで安置し、堂宇を建てたといいます。


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