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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

カテゴリー:音楽・オペラ・バレエ・ミュージカル

3年前 コロナ2019が流行し始めた時

3年前の今頃といえば、コロナ2019が流行し始めた時。

50歳の誕生日のために、両親も招待して新宿初台のオペラシティでやったラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の指揮。

一年半前から企画して、集中してプロに指揮を1年間習いました。

本番1週間前のこの日、生まれて初めての本物のオーケストラの指揮の練習もしなければならない中、
ロシアでゲルギエフ指揮で演奏していた藤田真央くんと、
第一部での対談をお願いしたニューヨークにお住まいだった和央ようかさんの安全な帰国を待ち、
開催1週間前にたった19名の感染者情報に悩み、6kgも痩せて本番を迎えたのを思い出しました。

タイでもマスクをしていた人は殆どいませんでした。

3年間の長いトンネルでしたが、ウイルス弱体化によって、ようやく終わりを迎えそうですね。

https://takahirofujimoto.com/blog/blog/diary/post_26998/


合唱曲「流浪の民」

「流浪の民」という合唱曲ご存知ですか?

母校鎌倉高校は合唱祭が盛んで、毎年クラス投票で曲を選んだのですが、僕はこの曲が好きだったのですが、結局一度も歌えませんでした。

作曲はあのロベルト・シューマン。シューマンの歌曲の多くは何故か1840年に書かれていますが、この流浪の民も1840年の作品です。欧州に増えた異国出身のロマノ民(ジプシー)についての歌ですが、この異国情緒漂う和音展開が独自で何とも言えず、素敵ですよね。

1840年と言えば、アジアでは欧州列強が力を伸ばし、清とイギリスの間でアヘン戦争が始まった年です。

強国清の敗退を受けて、江戸幕府が対外軟化、さらには開国に向けて大きく舵を切るのですが、携帯もなく、電話もなく、いまとは全く違うスピード感で時代は流れていたのでしょうね。


好きなピアニスト ディヌリパッティ

好きなピアニストは何人かいるのですが、1950年にホジキンリンフォーマにて33歳で亡くなってしまったディヌリパッティは僕の中では別格です。

ルーマニアはブカレストに欧州皮膚科学会で学会講演で行った時には生家を探したのですが、残念ながら見つけられ無かったですね。

ショパンのワルツなどは国際的な評価を受けているのですが、日本人にとって馴染み?のあるのは、リパッティとカラヤン指揮のシューマンピアノ協奏曲の音源が、ウルトラセブンの最終回でモロボシダンがウルトラセブンであることの告白シーンで使われた事ですかね。

クラシック音楽ファンの中では有名な話です。

https://www.classical-music.com/features/artists/dinu-lipatti-pianist/?fbclid=IwAR3QGww_zryMq9zlITTw2Ls8Q7IDml7w8ArrGBlBdul7I8PerPCCgu6eoAw


3年前 オーケストラと合わせての初ゲネプロ

懐かしや。

すでに三年前になってしまいましたが、50歳の誕生日に向けてオペラシティでラフマニノフのピアノ協奏曲第二番の指揮をする為に練習してきて、この日が約一月前。初めての少人数のオケとの合わせでした。まさに指揮棒をオケの前で振るのも初めて。

子供の頃には宇宙飛行士と指揮者になりたかった夢がありました。

高校生くらいまではよくピアノも弾きましたが、その後は楽譜とは縁が無い生活を送っていました。

思えば人生のいろいろな局面で、音楽に助けられたなあ。

https://takahirofujimoto.com/blog/blog/diary/post_26823/


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